―どういったところが一番苦労されましたか?
「一番はスケジュールかな。撮影期間は2泊3日で、初日はリハーサルのみという予定が天気が崩れるか
もしれないということで、初日からいきなり撮影になったんです。実は初日って東京公演のリハーサルがあ
って、それが終わったあとすぐ飛行機でシドニーに。9時間のフライトのあと休む暇もなくですから。でもCM
の現場ってこういうものなんだ、ってひとりで納得していましたけど(笑)」
―天候は大丈夫でしたか?
「なんとか。雨が降ってきたら一時中断して、雨宿りしながらタイミングを見計らって、少し晴れたら今、行こ
う! 屋内でやる自分の公演などでは考えられないですし、常に撮影できるようテンションを高めていかな
いといけないから大変でした」
―現場に着いてからすぐにCMのイメージはつかめたのでしょうか?
「いや苦労しましたね。いつも自分がやっている舞台とは違うし、監督が持っているイメージに応えなくては
いけない。シドニーに着いてからすぐにアップできたということはなかったです。未だに自分の中では“あそ
こはもうちょっとこうしたほうが良かったのかな?”というところもありますね。でも完成した映像を見たら、自
分には分からなかった面というのがたくさんあることに気づきました。撮影しながら徐々に出来上がる、現場
でつくりあげていくというのはすごい勉強になりました」
―なるほど。確かにTVからタップの音が流れると注目しますね。熊谷さんのお気に入りのシーンがありましたら教えてください。
「夜のシーンで板の上をシャーッと滑るところがあるのですが、あれはメチャメチャ気分がよかった!
ヨットハーバーのようなところなんですが、そこがひとつのステージのようにつくり込まれていて、周りに
はギャラリーがたくさんいる。もうCM撮影というよりはライブをしている感じでした」
―ギャラリーの反応はいかがでしたか?
「面白かったです。最初はもの珍しい感じだったけど、何度か回を重ねると一度終わるごとに拍手みた
いな。こちらもテイク重ねるごとにテンションがあがっていって、すごく盛り上がりました。でも撮影だか
らスタッフが黙ってと指示を出すんですよ(笑)。自分としてはワーッて盛り上がってほしいし、“もっと
来いよ!”ってあおりたかったです」
―やはりギャラリー(観客)の目は気になりますか?
「もちろん。監督は気にせずにって言うんだけれども、普段は僕の踊りを見に来てくれた人たちを喜ば
せるのが当たり前だから、その人たちが静かだと“アレ? 今のキマったでしょ?”って(笑)。でもその
現場の雰囲気というか、あの状況の中でできたのは本当によかったです。自分で板を担いで渋谷の
路上で踊っていたときは、そんなに人も集まらなかったですけれども、今回は自分のために用意された
ステージ、自分のためのライティングなど、もう格別でした! こんなストリートが自分にできるんだと、
感慨深かったです」
―熊谷さんから何かアイディアを出されたところはありますか?
「最初のシーンで初めは音楽が流れるようになっていたんですが、“タップだけにしたらどうですか?”
って提案しました。それを気に入ってもらい、そのタップのリズムも自分で決めさせてもらったんです。
絵コンテなどを見て、30秒という短い時間の中にもスピード感のあるものをと思ったんです。なので画面
を躍動するイメージにしたくて、即興であのリズムにしました」
―各シーンの撮影はスムーズにできましたか?
「テイク的にはそんなに多くなかったと思います。3、4回ぐらいかな。でも結構キツかった。目が泳いでい
るとか、顔がこわばっているよとか監督に言われて。テイクを重ねるごとにプレッシャーがかかってくるん
ですよね。アセリというか。最初は気軽にやっていたのに、どんどんできなくなってくる(笑)」
―CMを大勢の人に観られるということについてはいかがですか?
「テレビで放送されるということに関しては、あまり実感がないんですよね。それよりも作品が残ったという
ことが、すごい大切。自分の中で一生残る30秒になると思うんです。自分が今までやってきたタップという
アートを新しい形で表現できるということが一番の喜びです。それは監督とのコラボレーションでもあり、
商品とのコラボレーションでもあると思います」
―それでは最後に、今後のスケジュールと、これからの夢についてお聞かせください。
「2006年1月18日に、SMEレコーズより第2弾DVD「Tap Me Crazy!」を発売します。
また、12月に東京で、そして来年2月には東京、新潟、仙台、大阪にてライブをやる予定です。
これからの夢ですが、今タップをやっている人たちの中には、どういう方向に進んでいいか分からない 人も多いと思うんです。そこで大きな夢としては、タップのプロフェッショナルなカンパニーをつくって、 これからタップをやる人たち、今タップをやっている人たちが向上していけるような場所を提供していき たいですね。今以上にタップの芸術的な地位を確立できればと思います。もちろんステージは全国、 そして海外でもやっていきたいです。今回のCMを見て、タップに興味を持ってもらえれば一番嬉しい ですね」
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熊谷和徳 ( くまがい かずのり )
1977年仙台市生まれ。
15歳でタップダンスを始め19歳で渡米。20歳でブロードウェイの大ヒットミュージカル「Noise & Funk」の出演者養成学校Funk Universityへ初の日本人として入学。
グレゴリー・ハインズが絶賛。その後NYの地下鉄やストリート、ライブハウスの殿堂ニッティングファクトリー等で独自の活動を続け、一時帰国。
98年熊川哲也主演のYellow Angelにソロ出演。02年7月NYで出演したNYCタップフェスティバルについては、ヴィレッジボイスに「日本のグレゴリー・ハインズ」と批評された。
NYで6年半の活動後帰国。04年10月天王洲アートスフィアにて行った単独公演は各方面から絶賛。2005年1月にはNYCタップフェスティバル全米ツアーに日本人として初参加。
2005年3月初のツアーを全国のクラブクアトロで開催、オールスタンディング、クラブ仕様で新たな展開に突入した。
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