RX1Rを初めて手に取ってみたとき、どこかほっとする、ちょうど良い「重み」を感じました。撮る気にさせてくれる重みです。昔ながらの絞りの操作を含めて、露出補正もすべてが目に見えて機械的に操作できる。まさに写すための道具というシンプルさ。ダイヤルやボタンの絶妙な感触を確かめているうちに、だんだん心地よくなってきて撮影に出かけたくなる。そんな心惹かれるカメラです。今回の撮影場所には亜熱帯の島を選びましたが、私の被写体は自然の風景がメインなので、季節や天候よって状況が変わってきます。今回は特に「これを撮ろう」という先入観を持たずに、その時、その場所で出会ったものを流れるままに素直に撮ろうと決めていました。このカメラにはそういう心持ちが合っていると思ったのです。飛行機に乗って船に揺られていくうちに、気持ちは静かに落ち着きながらもゆっくりと高まっていきます。暑かった。島ではRX1Rを小さなディパックに入れ、カーボン製の三脚を杖がわりにして身軽に歩きました。
レンズ交換をはじめ今の高級なカメラなら当たり前の機能をあえてそぎ落としたRX1Rは、言ってみれば「大人のカメラ」という印象です。何かに到達した人や、あるいは「到達したい」人が触るのだろうなと思います。私も、このカメラを持っていると少し背伸びしてしまいました。私はいつでも自然の姿をありのままに撮りたいと思っていますが、今回は、抽象的な風景が囁きかけてくるものを自分の心でキャッチして、写真にしたいと感じました。これは日没後、白い灯台が空の色を映して全体が青い世界に変わってくるところです。このタイル一枚一枚の質感を描き出す解像感に圧倒されます。そして、強い光でないので平面的に見えてしまうような光の条件ではあるけれど、やわらかな丸みをここまで描き出す諧調表現の豊かさ。レンズとセンサーをはじめ全てが絶妙に調整されている、レンズ一体型設計の良さが凝縮されたような一枚です。これは格子状の人工物ですが、ローパスフィルターがないために出ると言われているモアレは全く出ませんでした。
RX1Rには、せかせかとした気持ちで撮るのは似合わない。いつでもどこへでも持ち歩いて、心に触れたものにスッと焦点を合わせ、一枚ずつ大切に撮って残していくようなカメラだと思います。この写真は、いつもの私なら絞り込んで、流れをぶれ描写にして、奥の森もしっかりとピントを合わせたのでは…とも思いますが、絞りを開放付近にして撮ったらどうなるのだろうと思って撮ってみたものです。陽射しがほとんど入らない暗い森の中だったので、少しシャッター速度が遅くなって、やわらかな揺らぎを記録してくれました。ISO200で1/250、F2.2です。ピントが合っていない部分は35mmフルサイズの撮像素子、カールツァイスのF2レンズならではのきれいなぼけで、ピントが合っているところはシャープな解像感が際立っていま
す。うだるような暑さだったけれど、清涼感のある涼しげな一枚になりました。水の流れは一瞬ごとに表情が違うので、岸に座ってゆっくりと、ローポジションで納得がいくまで撮ってみました。
これは先島蘇芳という木。弱い光の中で、湿った森の感じが伝わってきます。黒くつぶれた部分はなく、階調再現と解像感をあらためて感じます。私は、写真を学んでいた学生時代、単焦点レンズのうち自分に合うものを一本見つけなさい、そしてずっとその一本だけで、あとは足を使って撮影しなさいと指導されました。何も知らない私が、レンズをいろいろ試して選んだのがまさにこのRX1Rと同じ35mmレンズでした。パッと物をみたときの人間の視覚に近いのかな。被写体との間合いも落ち着いて、広い風景も撮れるし、寄れば小さな部分にも集中させてくれると思えたのです。今回、そのころを思い出しながら撮るのはとても楽しかった。ズームレンズに慣れていると、こういう画角も欲しかったという場面が、最初はあるかも知れません。でも撮り進めていくと35mmだけでもなんとかなるし、やがてレンズ交換が煩わしくさえ思えてくる。もちろんレンズ交換の魅力というのはあります。ただこのRX1Rから見える世界を撮るということの楽しさは、またそれとは別なのです。