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プロジェクトスタート
長い歴史を持つソニーヘッドホンの系譜。その中で燦然と輝く存在が1988年に発売された不朽の高級機MDR-R10、そして2004年には“感動価値の創造”を目指したQUALIAシリーズの一つとして発売されたQUALIA010といったフラッグシップモデルたちだ。
そうした他を寄せ付けない孤高の系譜の流れがある一方、その時々で求められるフラッグシップ像もまた変化しているのだが、今現在そのテーマとして掲げられているのは“ハイレゾ”の魅力を最大限伝えることができる広帯域再生能力に長けたフラッグシップモデルである。そこで求められていたスペックの一つがハイレゾ音源の広帯域特性に対応できる100kHzまでの再生周波数特性を持たせることであったという。MDR-Z7開発の音響設計担当である井出賢二氏(ソニービデオ&サウンド事業本部 V&S事業部 サウンド1部 MDR設計4課)にその経緯を伺った。
「単一ドライバーによる100kHzまでの対応はSACDのスペックを満たす再生能力を持たせたQUALIA010で実現していました(5Hz〜120kHz)。ハイレゾ再生という点ではこの100kHzを達成することと、可聴帯域内の特性を改善することが課題です。そこで当初から目をつけていたのが大口径の振動板でした。長い期間をかけ我々は人の耳介のサイズを調べてきたのですが、大きな人であっても70mmであるということがわかりました。自然界の音の伝搬やスピーカー再生において、耳元に到達するときは平面波となっています。ヘッドホンでもハイレゾ再生に必要不可欠な自然な響きを生む平面波を再現するため、耳介のサイズと同じ70mmドライバーを用いることで理想のサウンド再生ができるのではないか、と考えました」
ハイレゾという新たな高音質時代の到来に向けて、大型ドライバーで100kHz広帯域再生を可能にするというソニーの新しい顔となるヘッドホンの開発がこうして始まった。
液晶ポリマーを使用した1stサンプルで音だし
理想的な70mmドライバーの開発。そのスタートは1990年代後半であったという。
「30mm、40mm、50mmとドライバーのサイズが大きくなっていくにつれ音楽のスケール感は増し、低域の再現性も増していくのです。その大型化を推し進める契機となったのが1997年に50mmドライバーを搭載したフルオープンエア型のMDR-F1でした。フルオープンエア型での低域再生能力を求める中で、さらに70mmや100mmという非常に大きなドライバーの試作も実施してきました。しかし、100mmでは物理的に大きすぎてヘッドホンに使用するには適さず、70mmは人間の耳介の大きさとほぼ同じであり、大きさもなんとかヘッドホンに収まりますが、50mmドライバーの音質に及ばずこの時は断念したのです。口径が大きくなると低域の再現性は向上しますが高域の特性を伸ばすことが難しいんですね。
そして、大型ドライバーの低域の再現性という特長を活かして誕生したのが2011年に発売されたMDR-XB1000です。XBシリーズはあたかもクラブにいるかのような重低音を体験できることを目指したヘッドホンです。大型ドライバーの低域の再現性を生かせるのではないかと考え、本モデルで70oのドライバーを初めて搭載したヘッドホンでした。この時点で70oドライバーの持つ低音再生能力が次世代のハイファイ再生に必要なものであることに我々は気付いていました。一方、問題となるのは高域再生でした。ソニーでフラッグシップヘッドホンと言うからには100kHz再生は必須です。このためQualia 010を開発した際のカギとなった独自の振動板シミュレーション技術をフル回転させて、徹底的に検証を行っていくことになりました。70mmドライバーでの100kHz再生は簡単でなく、可聴帯域内、外ともに満足のレスポンスを得られるようになるまでには、2011年より3年という長い検討期間を必要としました。」(井出氏)
この2011年からの3年間、シミュレーションを繰り返し、約40〜50種類もの振動板形状の検討を行い、試作を重ねたそうだ。そのなかで着目したのが2008年発売のMDR-Z1000で採用された振動板素材、液晶ポリマーフィルムであった。
「70mmで100kHzが実現できたのは2010年にMDR-Z1000で初めて搭載された液晶ポリマーフィルムの存在が不可欠でした。高域まで内部損失が高く、フラットな特性を持っています。つまり硬くて軽い素材というわけですが、今回はさらにアルミコートをかけることで超高域まで内部損失をフラットにでき、色づけの無い、クリアな音再生できるようになりました」(井出氏)
デザイン開発始動
ソニー史上最大口径となる70mmドライバーで100kHz再生という命題を実現した新たなフラッグシップモデルMDR-Z7であるが、その存在をより印象強く引き立てる上で重要となるがそのフォルムだ。MDR-Z7のデザインを担当したのが大田潔氏(ソニー クリエイティブセンター スタジオ2 オーディオプロダクツデザインチーム1)に開発コンセプトを伺ってみた。
「歴代のハイエンド機のような高級ヘッドホンの領域の商品ではなく、より多くの方々にハイレゾサウンドを楽しんでいただくためのヘッドホンとして、必然の要素のみを凝縮した息の長いTimelessなデザインを目指しました」
音作りのテーマでもある「開放的な空気感を再現」するため、最初に音響設計担当者である井出氏との間で確認したのが音をチューニングするためのエリアがどの程度必要かということであったそうだ。
「非常に大きいユニットを使うので、余裕を持ったハウジング構造にするととても大きなものになってしまいます。それをミニマムサイズで目指す音を作るには容積はどのくらい必要なのか、井出とやり取りを何度も何度も重ねました。ユニットと耳との最適な角度・距離を最終は3D図面上で検討、そのうえで最低限の容量、それにチューニング用に必要なエリアをハウジング上で決めていくと形や大きさが見えてきます。それをうまく取り込んだ上で初めてハウジングのデザインが決まるわけですね。もう一つはハウジング形状を非対称な富士山型としました。これはMDR-R10やQUALIA010のフォルムにも似ていますが、満足ゆく音のため、必然的に同じシルエット形状へ至ったということですね。立体縫製されたイヤーパッドは、耳を包みこむような快適な装着性と高い気密性を実現することができました」
こうしたこだわりを持って形作られたハウジングやハンガー・スライダー部は音質向上に加えて耐久力と軽量さを併せ持つアルミ材でそれぞれの用途に最適な加工法で作られている。
「フラッグシップモデルということで、仕上げや素材の品位を高め、音も含めてプレミアム感を味わっていただくよう心がけました。今回は頑丈さ、道具として長く使ってもらうための形、天然皮革やハウジングのプロット塗装など、使うほどに味わいが出てくるような素材や仕上げを選んでいます。」
アメリカのオーディオショーで試聴テスト
ドライバーユニットの形状を約50種類制作して徹底検証
ニューヨークのスタジオでサウンドをチューニング
MDR-Z7はハイレゾの魅力を引き出すというテーマのもとで開発が進められていたが、そのなかでサウンド作りの参考とするため、著名なハイレゾ音源のマスタリングを多数手がけるソニー・ミュージック・エンタテインメント系列のマスタリングスタジオ、Battery studioの協力を仰いだという。Battery studioはニューヨークの歴史のあるスタジオであり、様々なジャンルの音楽を扱うため、オールジャンルをきちんと鳴らしこめるオーディオファイル向けのヘッドホンを目指すMDR-Z7開発ではまたとない最適な環境であった。
井出氏は都合2回、ニューヨークを訪れ、スタジオでのサウンドチューニングを実施。そこではハイレゾ音源のありようも学ぶこともできたという。
「Battery studioではハイレゾ作品のマスタリングに造詣が深いエンジニアが多く、ハイレゾ音源の魅力をどう表現するかを熟知しています。
マスタリングスタジオはリスナーに届く最終の音を決める場所です。ここでのサウンドがこのMDR-Z7できちんと表現できているかをマスタリングエンジニアに評価してもらいました。そこで学んだのはハイレゾサウンドの聴き方についてです。私自身、ハイレゾとはどういったものであるかという考えは持っていましたが、新たな発見は、ハイレゾ音源で重要なのは周波数帯域がどこまで伸びているかもさることながら、中低域のボディ感や音像の実体感、弱音部の繊細な鳴り方が良く分からなければいけないということでした。そこで得たサウンドの経験を日本に持ち帰り、ハイレゾの素晴らしさがきちんと伝わるチューニングを行ったのです」(井出氏)
量産用の最終モックが完成
ニューヨークのスタジオで2度目のサウンドを
チューニング
日本でオーディオ評論家に試聴してもらう ドライバーの金型の変更
時は2014年6月末。本来であれば量産に向けての試作が完了しなければならないタイミングであったが、サウンド作りでは国内でもよりリスナーに近い視点での音質評価を行い、さらなる追い込みをかけたかったと井出氏は語る。
「また、クリエイターだけでなくお客様の視点も重要と考えたのでオーディオ評論家の方の協力も仰いて入念な調整を行っています。そこで得られたのはヘッドホンの周波数特性だけでは語れない音楽の魅力や深み、クラシックを聞いているときであれば会場の雰囲気をどう出していくかということでした。最後の調整で音質プラス音楽性、空気感をそこに入れ込めることができたのが非常に大きな成果でしたし、勉強になったことでもありました。これを実現するためには量産直前での通常の設計では起こりえないほどの大きな設計変更が必要でしたが、最高の音質を届けたいとギリギリまで検討を重ねました。その結果、会社の仲間には夜を徹して作業をしてもらうなど、最終調整の段階まで無理をお願いしてしまいました。このMDR-Z7は“メイド・イン・ジャパン”の体制で製造されていますので、単なる通常の変更にまつわる連絡だけでなく、細かなニュアンスの伝達もスムーズに行うことができたことも大きかったですね」
またMDR-Z7はこちらも新製品であるポータブルヘッドホンアンプPHA-3を組み合わせてのバランス接続にも対応している。このバランス接続用のオプション、そして同梱ケーブルのリケーブル用にハイエンドケーブルブランドとして著名なKIMBER KABLE®社と協力した専用ケーブルMUC-Bシリーズも用意された。KIMBER KABLE®社とは以前から交流があり、MDR-Z7開発のさなか、共同開発を依頼したのだという。
「実はケーブル被覆の色についてもKIMBER KABLE®からのアドバイスがあり、音を邪魔しない色合いがあるということを教えていただきました。それを踏まえクールな編み構造とカラーリングを整えたケーブルのデザインも私が担当しました」(大田氏)
こうして十数年にわたってソニーが追い求めてきた大型ドライバーによる広帯域再生が、MRD-Z7というヘッドホンで結実。その音は、ここでは語り尽くせない開発に携わってきた多くの人たちのヘッドホンづくりへの熱く強い意思でできていることを実感した。
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