|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「第2回 ロボカップ」(パリ)にて「6号試作機」を公開。
3大学に貸出し、開発ソフトウェアを搭載したそのロボットたちによるサッカーゲーム"Sony Legged Robot Exhibition"にも出場。
このころまではピンクボールではなく、オレンジ色のボールを追いかけていた。 |
|
|
|
|
|
空山基氏デザインスケッチ完成 。
このデザインを形にするため、空山氏とハードウェアチームの苦闘が始まった。
空山氏の求めるAIBOの動きを実現させるために、機構設計だけではなく、部品の素材なども様々な種類を用意し、試行錯誤を重ねた。 ⇒耳や尻尾を製作したときのエピソードはこちら |
|
|
|
|
|
「第1回ロボカップ」が名古屋で開催。試作機のデモを行う。
また、リモコンによるサッカーゲームを披露画像認識や音階認識、感情モデルなどを持ち、93年の試作機から能力は大きく進化していたが、成長ソフト部分を開発していく必要があった。 |
|
|
|
ソニーが正式に「OPEN-R」を発表。「OPEN-R」とは脚部などのハードウェアモジュールを交換することで機能や形態を変えたり、ソフトウェアモジュールを変更することにより行動や反応パターンなどを容易に変更できるエンターテインメントロボット用アーキテクチャーである。
発表と同時に「OPEN-R」を搭載した試作機も公開されたAIBOプロジェクトが本格的にビジネス化に向けて始動する。 |
|
|
|
試作機を社内で発表、カメラ、マイク、大容量 のバッテリー等を小さい体に積んでヨロヨロと歩くそのロボットは、身体の重さに耐え兼ねて動きが止まってしまうこともしばしばだった。 |
|
|
|
ソニー社内でロボット研究グループが正式に承認される。その後、自律型のエンターテインメントロボットをビジネスにしていこうという目的がはっきりし始め着々と開発を進めていった。 |
|
|
|
|
|
初めての試作機は、市販のマイクロチップとラジコン用のモーター、そしてバッテリーをアルミの板にテープで留めた6足の昆虫タイプのロボット。文庫本くらいの手のひらサイズで、ひげで障害物検出をしていた。
この試作機はソニーのエンジニアがわずか2週間で作り上げたもの。
人間と共に暮らすことを考え、4足の、それも哺乳類のような身近な形でいこうという方針が決まった。 |
|