映画監督「藤井道人」を
作り上げたものたち
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藤井 道人
1986年生まれ、日本大学芸術学部映画学科卒業。大学卒業後、2010年に映像集団「BABEL LABEL」を設立。伊坂幸太郎原作「オー!ファーザー」(2014)でデビュー。以降、「青の帰り道」(2018)、「デイアンドナイト」(2019)、「宇宙でいちばんあかるい屋根」(2020)など精力的に作品を発表。 2019年公開「新聞記者」では日本アカデミー賞で最優秀賞3部門を含む6部門受賞を果たし、映画賞を多数受賞。新作映画「ヤクザと家族 The Family」が1月29日公開。
映像業界の最前線で活躍するクリエイターたちのこだわりに迫るWEBマガジン「3C’s」。去る2月22日には、初となる単独ライブ配信を開催しました。セッション1では、若手の筆頭として、日本アカデミー賞受賞作「新聞記者」や最新作「ヤクザと家族 The Family」などさまざまな映画作品でその手腕を発揮してきた藤井道人監督のものづくりにおける3C’s(Creative,Craftmanship,Challenging)を紐解いていきます。信頼できる仲間とともに「今の自分たちが撮るべき作品」に向き合い続けてきた藤井監督が、どんな経験を経て今いる場所に辿り着いたのか。株式会社Vook代表の岡本俊太郎氏が、その人生観や映画制作へのこだわりを聞きました。
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01
興味本位から飛び込んだ映像の世界
Vook 岡本氏:映像業界に足を踏み入れたきっかけは何だったのでしょう?
藤井氏:僕は3歳から18歳まで剣道一筋でした。父が慶応の剣道部だったので、幼い頃から当然自分も大学は慶応に入るものだと思っていたのです。 受験シーズンが到来し、自分もSFC(慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス)のAO入試を受験したのですが、落ちてしまったんですよ。それが1月とかで、相当焦りましたね。そのタイミングで受験できて、かつ英語と国語の2科目だけで受けられる大学ってあるのかな…と探していた時に、日本大学 芸術学部映画学科を知りました。名前だけ見ると「楽そうな学科だな」という印象でしたが、そんな背景があり、同学部へ入学しました。
最初は 脚本コースに入ったので、脚本家になるものだと思っていましたが、先生には叱られてばかりだし、なかなか上達しませんでした。その頃入っていたサークルで、とりあえず監督をやってみようと思い立ち、興味本位でやり始めたらそれが結構楽しくて。 剣道って対戦相手と自分だけの世界ですけど、映画はみんなで試行錯誤しながら、肩を並べて作りあげていくもの。そのギャップが新鮮でしたし、しっくりきたんですよね。それが大学1年の時の出来事です。
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02
“ギャラはおにぎり2個”、苦労の連続だった20代
Vook 岡本氏:学生時代から映画を作っていた藤井監督ですが、当時苦労した経験もあったのでしょうか?
藤井氏:学生時代は、企画〜公開まで一通りの流れを全て自分たちでやっていました。しかし学生の身なので、当然お金はありません。CM の制作会社からメイキングの仕事をもらったり、オフラインエディターの仕事をもらったり――。とにかく、「何でもいいから仕事をください!」というスタイルでやっていましたね。仕事が5個ぐらい重なっても全部受けていました。
今では考えられませんが、当時は若かったですし、「寝なきゃいいスタイル」でした。何しろ若いので、たいへんな思いをしてでも結果が欲しかったんです。生活をちゃんと豊かにできるほどのお金と、自分が監督でいられるプライドみたいな、それを手に入れるための最短距離をずっと探っていた気がします。
お恥ずかしい話ですが、自主映画を撮っていた頃、お金がまったくなくて。でもノーギャラというわけにはいかないので、役者さんにはお金の代わりにいつもおにぎり2個を渡していました。それでもプロの人たちがやってくださったんです。でもその厚意に甘んじてはいられないとずっと思っていて、それで会社を作ったり、ちゃんとお金を払える環境を作ったり、少しずつ形にしていきました。20代は本当に皆さんに迷惑を掛けっぱなしでしたが、今こうして新たな映像作品を世に生み出し続けることが、その方々への恩返しになっていけばいいなと思っています。
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03
ただただ妥協しない、それこそが映画作りへのこだわり
Vook 岡本氏:30代最初の作品「青の帰り道」は、どの辺りにこだわって作られましたか?
藤井氏:先にお話した通り、20代は体力的にも金銭的にも相当きつい生活を送ってきました。作品は増えたしプロっぽい仕事はしていたものの、何も結果を残せておらず、焦っていました。「青の帰り道」は30歳になって撮った作品ですが、オリジナルで、ある種リベンジマッチだったのです。
デビュー作である「オー!ファーザー」を26歳で撮った際、プロのリングにちゃんと立てきれなかった悔しさがずっと心残りとしてあって。それからは、どの作品に対しても、ただただ妥協をせずに作るということにこだわってきました。ですので、「この作品の、ここにこだわりがあります」っていうのはあまりなくて、強いて言えば、ただ妥協しないということ。それが僕のこだわりです。
映画「青の帰り道」(2018年公開)
Vook 岡本氏:「デイアンドナイト」は、「青の帰り道」とはまた作風が異なりますが、制作の背景にはどんな想いがあったのでしょうか?
藤井氏:「オー!ファーザー」の公開が終わった時、自分が監督として思うように力を発揮できなかったことが悔しいという弱音を、俳優の阿部進之介さんに思わず漏らしてしまったことがありました。その時に「じゃあ納得いくもの一緒に作ろうよ」と言われたのが始まりで、そこから一緒にストーリーを書き始めて、到達したのが「デイアンドナイト」です。
阿部さんとは、お互いの生い立ちや育った環境、日々感じていることなんかをとにかく話し合って、それを飛躍させたのが「デイアンドナイト」でした。今見たら青くさく映るのかもしれませんが、当時真剣に議論を交わして作った作品です。また、山田孝之さんが脚本に入ってくださったおかげで、勢いが増し、いい意味でカオスな作品に仕上がったと思います。「デイアンドナイト」は役者さんたちと一緒に映画を作れた貴重な経験になりましたね。
映画「デイアンドナイト」(2019年公開)
Vook 岡本氏:役者さんと脚本を作るのは珍しいと思いますが、具体的に何が良かったですか?
藤井氏:役者さんが普段脚本をどういう観点から読んでいるかは、そもそも脚本家とは異なります。脚本家はこうなってくれたらいいなとか、こうあるべきだという視点で脚本を書くものですが、俳優部の行動原理にはそれがいい意味でありません。そういうフィルターを外した目線で、俳優部の方からいただく「ここにセリフを一個追加したり、キャラクターにこういうパーソナリティを付け加えたりしたら、こういうことが言えるかも」といった提案は新鮮です。それらを一つ一つ実行に移しながら脚本を作っていきました。
ただ一方で、俳優部と演出部の間にある境界線って、そう易々と越えて良いものではないと思っていて。脚本家という人たちがいる意味は、逆に俳優部と一緒に脚本を作ったことで、改めて大切な存在であることを実感しましたし、同時に責任も感じましたね。
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04
「いいチームメンバーを揃えること」は、監督の大きな仕事の一つ
Vook 岡本氏:チームプレイを大切にしながら仕事している藤井監督ですが、その背景にはどういう想いがあるのでしょう?
藤井氏:「新聞記者」や「ヤクザと家族 The Family」の撮影を担当している今村圭佑は、学生時代のサークルの後輩です。自分が4年生のときに今村が2年生で、その1つ下の代には、米津玄師さんのPVを撮っている山田智和とか、孤独のグルメの監督を務める北畑隆一がいました。 ゴールデンエイジだなとは思いますけど、ただ全員が全員、学生時代から飛び抜けてすごかったわけでなく、個人が目の前の仕事にひたすらがんばり続けてきた結果だと思っています。
みんなで切磋琢磨してきた時代を経て、こうして大人になってから結果を出し続けられていると思うと、やはり嬉しいです。結婚式とかで一堂に会した際は、大人になってもみんなで一緒にいるなんてちょっと気持ち悪いな、とは思いつつ(笑)。ただ、一緒に汗を流しながら苦労を共にしてきたこの人たちがいなければ、今の自分はいないので、感謝はしていますね。
Vook 岡本氏:同世代の刺激はやっぱりあるのでしょうか?
藤井氏:僕は同世代をライバル視したことはありません。映像というものにどう向き合っていくか、ちゃんと考えている人たちにリスペクトを持てばいいだけだと思っています。ただ、どういうものを作ったか、誰と何を作ったかはとても大切ですよね。
ちなみに、今村を撮影に最初に誘った理由は、大学生でギャラが安いだろうっていう理由でした(笑)。撮影監督だった友人が就職して困っていた時に、黙々と機材チェックをしていた今村に「お前撮る?」って言って、あの朴訥(ぼくとつ)とした雰囲気のまま「あ、はい…」と返事してくれて。それがきっかけで一緒に撮った1作目の映画が、面白い内容だったけど、うまくいかなかったんですよ。それで「悔しいね、じゃあ次もっと良いもの撮ろうよ」っていうのを、34歳になった今もずっと続けているっていう感覚ですね(笑)。
いいチームメンバーを揃えることは、監督の大きな仕事の一つだと思っています。チームができあがると、言うことは一つ。「傑作を作りましょう」。シンプルにこれだけです。そうすると、「100年残る映画を僕は作りたいんだ」というメンタルを持った、オフェンシブな人たちしか集まってきませんから。
今村や僕らは、自分たちの時代を自分たちの目でどう撮るかってことに対して、すごく執着していますし、そこにしか自分たちの価値はないのではないかっていう想いで一生懸命やっています。そういう想いを持った仲間が集まっているので、自分がどうしたと言うより、チームが勝手に育っていってくれるだけだなっていうのは最近感じますね。
Vook 岡本氏:映画のテーマや内容を考える時に、時代は考慮しますか?
藤井氏:なぜ今自分がこれを撮るのか、なぜ今自分がこれを映画として世の中に公開するのか、そういうことから逃げない姿勢は常に大事にしています。たとえば、映画の脚本ができると、マネージャーや社長にも送りますし、自分が信用する人とか、映画をすごく好きな友人にも送ったりします。オリジナルだったら、映画評論家さんにも送ります。「これを映画として世に送り出すことに僕はちょっと悩んでいるんですが、評論観点からどう見えますか」とストレートに聞いたりもしますね。チームの船頭やらせてもらっている限り、いろいろリサーチもしたいなと思って。30歳を超えてからやるようになりましたね。
映画「新聞記者」(2019年公開)
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05
「人に会う」という行為そのものがインプットに
Vook 岡本氏:映画「ヤクザと家族 The Family」についてお伺いしたいのですが、何故このテーマを選んだのでしょうか?
藤井氏:「新聞記者」という、とてつもないハードな題材の映画をつくった後、あらゆる候補の中からプロデューサーと一緒に決めました。今自分たちにしか撮れないヤクザ映画をちゃんと撮りたいと思いましたし、昨年から世の中の動きが大きく変わりましたよね。そんな中で、誰もが心境の変化があったと思うんです。そういう時代の変化と向き合った家族映画かなと思っています。
映画「ヤクザと家族 The Family」(2021年公開)
Vook 岡本氏:お忙しい中で、日々インプットの時間はどのように確保しているのでしょうか?
藤井氏:例えば毎日来るエキストラさんがいて、そういう人たちを見ていると、どんな人なんだろう…と想像を膨らませたりします。些細かもしれませんが、僕にとってはそれが立派なインプットになっています。日常生活の中で、どこにヒントが隠れているかは分かりません。だからこそ、1日1日を大事にしたいとは思っています。僕が書ける脚本って、人間の話しかないんです。ロボット同士が対戦するアクションや、複雑な推理を必要とするミステリーなんかは、すごいなと思う一方、僕は人間が好きだから人間を描くことしかできません。そこに喜びを感じるから、人に会うという行為そのものがインプットなのかもしれないですね。
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06
人の三歩先をいく、苦労の積み重ねが今の自分を創り上げた
Vook 岡本氏:今後挑戦したいこと・野望などはありますか?
藤井氏:30歳を超えて、自分の中で限界を決めつけたくないと思う一方で、限界は必ず見えてくるんです。いい意味で。自分という人間の可能性とか僕らしさとか。そうしたものを自分の中でちゃんと受け入れて、その上でじゃあ何をしようかと考えた時に、プロデューサーとして若い監督たちをちゃんと世に出せる人になりたいということは意識しています。
それから、僕自身が台湾のクオーターということもあり、いつか海外に行って結果を残したいなと思っています。ハリウッドとか行きたいですよね、A24初の日本人監督になってみたいです(笑)。とにかく、もっと勉強して、海外の映画作りを学んで、作家としてスキルアップしていきたいです。
Vook 岡本氏:ありがとうございました。最後に一言、映画監督を目指す未来のクリエイターにメッセージをお願いします。
藤井氏:僕自身は、自分が人の三歩前に行くという気持ち一つで努力してきました。撮影の今村との合言葉は「どうせ死ぬんで」。その言葉の裏には、「それを分かっているなら、なぜ努力しない」という意味もあるのだと勝手に思っています。
ただの言葉に聞こえるかもしれませんが、少なくとも僕たちはこの合言葉で10何年やってきて、今があります。人の100倍努力した、自分より努力している人間は周りにいないと強く思えるかどうかで、自分の未来は変わってくるのではないでしょうか。
あとがき
今一番忙しい映画監督の一人と言われる、藤井道人氏。その輝かしい経歴からは意外なほど、気さくで親しみやすいキャラクターがとても魅力的でした。今の藤井道人氏を作り上げたもの、それは誰もが真似ができるような楽な道ではなく、武道で鍛えた強い心に支えられた、日々の努力の結果といえるでしょう。人間がとても好きだという藤井氏の視点が今後どこに向けられるのか。これからの活躍が楽しみです。