石坂拓郎氏×今村圭佑氏
映画制作の最前線を走る
撮影監督の視点
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石坂拓郎
1974年生まれ。神奈川県出身。撮影助手時代に「セクレタリー」(2002年)、「ロスト・イン・トランスレーション」(2003年)に参加。2006年には、Frameworks Films Inc.を設立。米国ロサンゼルスを拠点とし、映画・CM・PVと幅広く活動中。撮影監督として「さくらん」や「るろうに剣心」シリーズ、「マンハント」などを手がける。
今村圭佑
1988年生まれ。富山県出身。日本大学芸術学部映画学科撮影・録音コース卒業。大学在学中より藤井道人氏と自主映画を制作。卒業後はKIYO(清川耕史)氏のもとで約2年アシスタントを務めたのち、24歳で撮影技師としてデビュー。映画・CM・MVのカメラマン、撮影監督として活動。2020年には映画「燕 Yan」で長編監督デビューを果たす。
映像業界の最前線で活躍するクリエイターたちのこだわりに迫るWEBマガジン「3C’s」。去る2月22日には、初となる単独ライブ配信を開催。藤井道人監督を招いたセッション1に続き、セッション2では、ロサンゼルスを拠点に活動しながら、「るろうに剣心」シリーズなどの撮影監督として知られる石坂拓郎氏と、「新聞記者」や「ヤクザと家族 The Family」などさまざまな映画作品でその手腕を発揮してきた今村圭佑氏が登場。映像ディレクターの曽根隼人氏が、映画制作の最前線を走る撮影監督お二人にお話を伺いながら、ものづくりにおける3C’s(Creative,Craftmanship,Challenging)を紐解いていきます。
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01
撮影監督を志した「原点」
曽根氏:セッション1の藤井道人監督のインタビューをご覧になって、いかがでしたか?
今村氏:僕は大学時代の後輩で、過去の辛い経験もそばで見てきた身なので、日本アカデミー賞を獲って最近まわりにちやほやされるのを僕だけが厳しい目線で見ています(笑)。
石坂氏:本当に人間が好きな方なんだと思いましたね。実は最近衣装デザイナーのワダ・エミさんとお仕事でご一緒する機会があり、脚本を読んで最初に仰っていたのが「これ、今の時代の人たち見たいかしら?」という言葉でした。藤井さんのお話でも「時代」というキーワードが度々出ていましたが、時代をしっかり認識することは、ものづくりにとって一番大切なことなのではないかと改めて感じましたね。
曽根氏:お二人が撮影監督を志したきっかけは何だったのでしょうか?
今村氏:僕も藤井監督と同じ日本大学 芸術学部映画学科に入ったのがきっかけです。実は、高校時代はあまり映画に詳しくなく、ただ地元の富山を出て東京に行きたいという想いで、東京にしかない学部を探していました。それで見つけたのが日大の映画学科。
その当時は、まさか自分がカメラマンになるとは思っていませんでしたが、大学に入ってから藤井さんや山田智和など、周囲の環境に刺激を受け、とにかく沢山の映画を観たり、自主映画を撮ったりしていましたね。
石坂氏:僕の場合は、父も姉も、家族の中に映像に関わっている人が多かったので、逆にそちら側には行かないぞ、とどこか抵抗しているような気持ちがありました。でも、大学で写真を学んでいるうちに、映像の魅力に気付き、それからは素直に映像の道へ進もうと決めたんですよね。それから、アメリカのフィルムスクールへ編入しました。
曽根氏:なぜアメリカを選ばれたのですか?
石坂氏:幼い頃から、アメリカ文化が大好きでした。音楽も洋楽をずっと聞き続けていたし、映画もハリウッドが元気な時期でした。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だったり、スピルバーグ作品だったり。そうした良質なアメリカ作品が世に溢れている時代です。メイキング映像なんかを見たりする時に、とにかくあの現場に立ってみたいと強く思っていました。
曽根氏:いきなり渡米というと、苦労もあったのではないでしょうか?
石坂氏:そうですね。まずは言葉の壁にぶつかりました。あとは、日本人だったら曖昧にできる所をすべてはっきりさせないといけないところ。ちょっと無理だなと思っても、やるかやらないか、白か黒か。その二択しかないというところにはカルチャーショックを感じましたね。要求の高さに応えていってみんなが洗練されていくっていう意味では面白いんですけどね。
曽根氏:今村さんは、大学入学まではそこまで映画がお好きじゃなかったということですが、撮影が楽しくなってきたのはいつ頃でしょうか?
今村氏:実は、大学入学時は録音コースだったんですよ。コースの違いもよく分からないまま、ただ入りやすいかなぐらいの気持ちで選びました。ですが、自主映画を撮る際、ジャンケンでカメラマンをやることが多くなり、大学3年生ぐらいの時に、「ああ…自分はカメラマンになるのかな」と思って始めましたね。
その頃一眼レフカメラを買って撮っていたのですが、どうもうまくいかず、自分が見てきた映画と全然違っていて、「どうしたら上手くなるんだろう」と試行錯誤し続けていました。そうするうちに、どんどん面白くなってきたという感じですね。
曽根氏:最初は撮影部の助手からスタートされたのですか?
今村氏:そうですね。最初はアシスタントでつかせてもらいながら、藤井さんと自主映画を撮っていて、それを観てくださった監督やプロデューサーの方にお声がけしてもらって、世に出るような大きな作品をやり始めました。それで、気づいたらカメラマンになっていたという感じです。
曽根氏:最初にカメラマンとして携わった作品は?
今村氏:藤井さんと一緒に取り組んだ「幻肢」という映画があって、劇場で公開されるような大きな映画は、藤井さんも僕もその作品が初めてでした。その後、乃木坂46のミュージックビデオを撮影したのを機に、世の中の人に見てもらえるようになったのだと思います。
曽根氏:石坂さんはいかがでしょうか?
石坂氏:僕も大学では今村さんと同じようにカメラマンを担当することが多かったですね。でも当時は、照明が一番のミステリーだと感じて、勉強したいと思い始めていました。その頃に大学で大きな撮影が2ヶ月ぐらいあったんです。インターンで照明部に入れていただき、それがきっかけでいろいろなところから照明部として呼ばれるようになりました。なので、初めてプロになったのは照明部でした。
その後、照明部としては結構いいところまで上がっていったのですが、大きな作品になればなるほどセンターから離れていって、下手すると1日中ライトの下に立っているだけなんてこともありました。その時に、隣にいたおじいちゃんの先輩が「カメラマンになりたいならこんなところにいちゃいけない」って言ってくれて。「じゃあやめよう!」と決心し、カメラの近くにいれるように、撮影部へ行きました。
曽根氏:照明をやっていた経験が今に生きていることもありますか?
石坂氏:そうですね。照明の経験があったからこそ、たとえば窓があった時にどこに人を置いたら一番楽に撮れるかとか、あとあと自分をおとしめないようなブロッキングに変えていくとか、そういう頭が働くようにはなりましたね。
曽根氏:初めてカメラマンとして携わった映画はどんな作品でしょうか?
石坂氏:学生映画ですね。その途中で HD が入ってきてしまったので、今みたいに学生でもシネマカメラが撮れるなんていうのはありえない話で、16mmが撮れれば万々歳という時代。下手すればスーパー8とかでした。 はっきり言って作品集なんかにはならなかったですね。
それからどんどん新しい技術が生まれたり、24Pが出てきたりしたので、それらを使いこなすうちに、24Pのスペシャリストに。それからは、しばらくアシスタントとしてメニューを全部やって、設定してルックまでやるということをしていました。そのおかげで、デジタルの波に乗ることができましたね。
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02
ターニングポイントとなった作品との出会い
曽根氏:石坂さんの撮影監督としてのキャリアで、転機となった作品は?
石坂氏:やはり「るろうに剣心」はターニングポイントになりましたね。アメリカにいると、侍もののアクション映画は、やっぱり日本のイメージとして明確にあるんですね。僕は日本人なので、当時アメリカで、侍もののアクション映画をやりたいというオファーが来たりもしていました。
僕はアメリカに行ってから、初めて黒澤明監督の映画を観たのですが、やっぱりすごいなと思って、ちゃんと侍もののアクションかつエンタテインメント作品ってどうしたら撮れるんだろうと考えていた時に、題材としてギリギリ実写できそうなゾーンが来たなと思いました。
その頃にちょうど大友(啓史)さんが演出した大河ドラマ「龍馬伝」を見て、「NHKでこれだけルックを変えた人って面白い人なんじゃないか」と思い、そういうことを周囲に漏らしていたら一緒に仕事をする機会をいただけたという感じです。面白い巡り合わせですよね。
曽根氏:アクション監督はカット割を事前に作ったりすると思うのですが、「るろうに剣心」で大変だったことはありますか?
石坂氏:最初は本当に面白くて、「新しいことをやってやるぞ」という気持ちを秘めて集まった人ばかりで、僕自身「これは絶対にカッコ良くしたい」っていうのがすごくありました。ただのアクション映画にはしたくないし、テレビの要素も必要だし。大友さんは人間ドラマ、谷垣(健治)さんはアクションと、明確に分かれているので、僕の所に来る要求が真二つなんですね(笑)。
最初はその要素の間を取り持つのに必死でした。悩みながら、人間ドラマとアクションという相反する二つの要素をどうやって成立させようかと考えながら、そこに自分が撮りたい絵をどうやって混ぜようかということを試行錯誤し続けましたね。
ですので、たまにCカメだったらCカメに僕の画を託して谷垣さんの要求を撮り、Bカメが大友さんの要求を撮って、といったやり方も試みたりしていましたよ。苦労も大きかったですが、お互いがやりたいことを妥協したりぶつけ合うのではなく、それらを調和することができた作品だと思います。
「るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編」 (2014年公開)
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03
監督とのコミュニケーションの仕方、脚本との向き合い方
曽根氏:今村さんは、藤井監督をはじめいろんな方と仕事をされていますが、どのようにカットを決めていくのでしょうか。
今村氏:僕はまず脚本を読みます。この書き方だったらここはバックショットにしようとか、じゃあここは俯瞰と俯瞰でシーンを繋げようとか、ここは赤いライティングがいいかなとか、そういうイメージは脚本から得ていくタイプですね。現場で監督と多くをディスカッションするタイプではないかもしれません。
作品の中ですごく重要なシーンを撮影する場合は、現場に入る前に「こういう風な流れで、こんなライティングにしようと思っています」という話はしますね。最初に決めていたことが、現場に入ってからどんどん変わっていくことはあると思うのですが、脚本が設計図だとしたら、そこで決めたことをなるべくストレートにやった方がいいかなとは僕は思っています。
曽根氏:脚本は結構読み込まれるタイプですか。
今村氏:2回くらいしか読まないのですが、本気で2回読んでいます。そこでほとんどのイメージを描いてしまって、逆に現場に入ってからはまったく読みませんね。と言うのも、何回も読んでいるうちに、どんどん訳が分からなくなっていくので、第一印象で読んで思ったこと・感じたことを全部台本に書き出してしまうんです。色のイメージなんかも一緒に書き込みますね。
石坂氏:それは、僕も共感できます。特に画に関しては、人に伝えるのが結構難しいと感じます。どうやって他の人と共有して、同じ方向へ向かってもうらうかということを資料にまとめたりすると、途端に訳が分からなくなって、余計に難しくなるんですよね。
今村氏:あまり文字にしすぎて伝えすぎると、膨らみ過ぎてがんじがらめになりますよね。
石坂氏:読んだ人の捉え方にもよりますしね。でも、思ったことは伝えます。「このシーンは、絶対にこういう風にしたいんだよね」というのは必ず伝えるようにしています。
今村氏:石坂さんは海外での経験が長いですが、システム的に進めていくのでしょうか。
石坂氏:どちらもありますね。日本の場合、スタイルが合っていたり、何度も仕事をしたりしている人は言わなくても分かるでしょ的な空気で進めていきますし、その場合は、もうそういうスタイルでやった方が楽なので。
曽根氏:アメリカだと照明部と撮影部がミックスされたDPシステムを統括するポジションとして director of photographerがあるような形ですか?
石坂氏:それもまちまちで、ライティングの位置まで全て細かく指示する人もいれば、雰囲気だけ言ってガファー(Gaffer:照明技師)がやる場合もあります。カメラマンとガファーの関係性で変わってくることもあれば、カメラ上がりだったり照明上がりだったりで、違ってきたりもしますね。たとえば、2019年に公開された「サムライマラソン」では、あまりオペレートできませんでしたね。監督がオペレートしたい人だったので、逆にすごく楽しかったですが。久々にライティングに集中できましたし。
監督のバーナード・ローズ氏がすごく面白い人物で、僕らがだいたい現場へ行くと「今日は何やるか分かったぞ!」って大それた感じでいつも発表するんですが、大体夕方の4時には終わるんですよ。僕らは皆その一言で構えるんですけど、1カットで終わりとかもしょっちゅうありましたね。「寄りのカットは?」と聞いても「いらないものは撮るな」なんて言われて。なかなかあそこまで潔い人はいないんじゃないですかね。
「サムライマラソン」(2019年公開)
曽根氏:やっぱり監督ごとにコミュニケーションの取り方は異なると思いますが、普段はどうやり取りされているのでしょうか?
今村氏:僕たちは監督の撮りたいものとかその要求に応えたいっていう想いはもちろんありますが、人それぞれ大事にしているものが違います。だから、結果自分がいいと思えばいいと信じたいですよね。話し合いは必ずしますが、それでも僕は、自分の撮りたいものを撮ろう!っていう気持ちになってしまいますね。
本当に良いものが何なのかということだけは、ちゃんと忘れないで撮りたいと思っています。たとえば、確実にその監督がこういうのにしたいというイメージがあっても、本当にそれがいいかどうかは分かりません。逆に、僕がいいと思っているものも他の人が観た時にいいかは分かりません。だから、いいものが何かっていうのをちゃんと見るということは、カメラマンとしてやるべきだと感じています。
曽根氏:3C’sのキーワードになっているクリエイティブ・クラフトマンシップ・チャレンジングについて、お二人のこだわりはなんですか?
石坂氏:僕の場合、諦めが悪いことかもしれません。まわりがいいねと言っても、本当にいいのか、まだよくできるんじゃないかと、足掻き続けることが、全てのプロセスのなかで僕は大事な気がしています。撮影の時もそうですし、ポスプロのフェーズに入ってあと7日間とかしかない場合でも、「ここをほんの少しこう変えたら、もっとよくなるんじゃないか」と考えて提案したりしています。
今村氏:諦めきれない時にちょっとだけ変更するのって、時間にして3秒ぐらいの話なんですよね。3秒の変化で画をガラッと変えることもできるんですよね。
曽根氏:今村さんは「燕 Yan」という作品で監督も経験されましたが、カメラマンとの違いはありましたか?
今村氏:監督という仕事をとても尊敬しましたね。やってみると、本当にいろんなことがあるし、いろんなものを見なきゃいけないし、やっぱすごいと感じました。「燕 Yan」ではカメラマンも自分でやったのですが、難しいなと感じたのは、いつも撮る時に僕はモニターよりも外側を見ているんです。監督が顔を撮っていたとしても、「今、手の芝居がすごくいいな」って思ったら手を撮れるようにしたいと思っているんですよね。
それで、なるべく広く見ようと意識しているのですが、監督をしようと思うとどうしても一点に集中しちゃって。でも、そうすると画が良くないなと途中で思ったり。だから同時にやるのは無理だなと気づいて、途中からは本番はカメラマンをしてプレイバックしてチェックして、というやり方に変えました。すごく細かい芝居の動きとか見ようと思うと、やっぱり主観的になっちゃうので広く見ることができなくなるんですが、それがすごく難しかったですね。
曽根氏:僕もたまにカメラを回したりするんですが、広く見るって難しいですよね。
今村氏:そうですね、もちろんカメラに動きがあったりしたら話は別ですが、機微をなるべく感じ取って、映すべき人でなく、隣に座った人の表情や動きがよかったら隣の人を撮ればいいじゃないですか。スタートがかかればカメラを振るのは僕の自由。それで、そっちの人を撮った方がいいと気付いていたら、監督だってそっちを撮りたいと思うんですよ。それに気づけるのはカメラを持ってそこで見ているカメラマンだと思うので、それを担うっていう意味では広く見ることって重要だなと感じますね。
曽根氏:石坂さんは撮影中にカメラが回っている時、どういうことを考えて撮られているのでしょうか。
石坂氏:役者に近いので、現場の雰囲気を感じられるから、オペレートを離せないというのがありますね。そこから離れたらどこか他人事になって、楽しさも半分になってしまう気がして。役者が「今いかないとダメだ」ってタイミングで、今ライティング直しちゃだめでしょ、とか。そういうのを感じられるのってそこしかないから、離れて同じ仕事ができるかどうかは不安になりますね。
今村氏:すごいですよね。オペレートしないっていうのは、僕は無理なんですよね。オペレートしないことの良さももちろん分かるんですが、僕はライティングとかも、カメラの横にいないと分からなくなってしまうんですよね。
「燕 Yan」(2020年公開)
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04
撮影監督の目線で見るこれからの映像業界とは
曽根氏:これからの日本の映像業界についての考えや想いについてお聞かせください。
今村氏:今、「だから全然ダメなのか」と思いました。韓国の映画とかアメリカの映画は凄いのに、まだ「自分がオペレーターしたい」とか利己的なこと考えているから映像が追いついてないのでは…。ということを、ふと感じましたね。
石坂氏:スケジュールの都合とかいろんな制約で、台数も増えているということもありますし、アメリカだと結構システム化して、雇用を増やすためにオペレーターを雇うケースも少なくありません。韓国もそうですが、こういうことをシステムとして成立させる場を増やしていけたら、日本の映像業界はもっと育っていくのではないかと思いますね。
たとえば、フォーカスがすごくうまい人は、別にカメラマンにならなくてもいいと思うんですよね。以前アンケートをとったことがあって、「そのポジションでちゃんと食べていけるんだったら、上にあがらなくてもいいと思ってるか?」と聞いたら意外にそう思っている人が多かったんですよ。
フォーカスマンなんて特にエキスパートが必要な仕事なので、さっきの今村さんの話であったように、手にカメラを振りたくてもずっと顔にフォーカスが合ってしまう時なんかに、エキスパートとして活躍してくれるんじゃないかと思いますね。
曽根氏:各スペシャリストが増えていくということですね。次はクラフトマンシップについてですが、撮影で大切にされているアイテムはありますか。
今村氏:サングラスですね。絞りとかもメーターをきっていましたが、デジタルだから目が露出計みたいな感じになっているんですよ。現場を自分の目で見るものってすごく大事で。いつもフィルターを入れるのですが、撮影する時にそのフィルターと同じフィルターが入っているサングラスを自分で作って、それを掛けています。
曽根氏:それで現場をカメラと同じフィルターを通して見るということですね。
今村氏:そうですね。僕はグレーディングでいじるのが好きじゃないので。撮影時に、カメラのフィルターとかライトのフィルターとか、本番の時に見ているモニターはなるべく完成形にしたいっていう想いがあるんです。
曽根氏:「新聞記者」は結構思い切ったライティングですね。あれもある程度現場で仕込まれているのですか?
今村氏:ほとんど現場でやっています。後からやるといやらしいなっていうのもあって。その現場で後戻りができないっていうのもありますし。
石坂氏:アイテムというと、僕はどこに行ってもそこにあるものでやりきっちゃう、みたいな風に思っているところがありますね。モニターはひとつ気に入ったのができたら、もう全部それを使い続けることが多いですね。
今村氏:めちゃくちゃ分かります。
曽根氏:機材の話の流れで、お二人がカメラに求めることってなんでしょうか。
今村氏:僕は、一眼レフで映画を撮り始めた人間なので、そのスピード感であったり、撮ろうと思ったときにすぐに撮れる小回りの良さはすごく大事ですね。今の若い世代の子たちは、どんどん新しいカメラが出てきて、そういうものをいっぱい使ってきていると思います。
若い子たちがチャンスを掴めるよう、ますます使いやすくて、すぐ撮れて、それでいてセンスだけでもこんな映像撮れちゃうんだっていうカメラがどんどん出てきてくれたら、多分この業界に入ってくる人も増えると思うんです。
石坂氏:僕は、余計なことに意識がいかないように、なるべくシンプルな設定がいいですね。フィルターワークでさえもNDフィルターの入れ替えなどでは意識をもっていかれますし、まわりを待たせてしまうので。
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05
意思を持って撮ることで、カメラマンの個性が生まれる
曽根氏:今後はどんなことにチャレンジしていきたいですか?
今村氏:石坂さんのように、海外で挑戦するっていうのはもちろんやりたいなと思うんですが、どちらかと言うと今は、僕が学生の頃に映画館で観た映画に感化されてこの業界に入りたいと思うような、コアな作品を撮ってみたいです。結婚式の写真を撮ってくださいと言われて撮るみたいな。そういうことが最終的にはできていればいいかなと思っていますね。
石坂氏:30代でそれを考えているのがすごいなと思いますね。自分の好きなものを撮っていけるような環境も欲しいと思いつつ、でもまだちょっとイギリスやアメリカの大きな映画も撮りたいなと思っているので、歳を取る前にそれにたどり着けるように、あともうちょっと頑張ろうかなと思います。
曽根氏:最後に、映像業界を目指す若い人たちにメッセージをお願いします。
石坂氏:先に限界を決めてしまわないで、なんとなく自分の信じる方向にどんどん進んでほしいなと思います。楽しむっていうことが一番大切で、「これを続けていけるかな」というよりも、「がむしゃらにやっていたら数年経っていた」というものを見つけて追っかけてやっていくのが一番いいと思います。
歳を重ねると、いろんなしがらみも出てきます。本当に自分の好きなことに没頭できるのって若い時だと思っていて、その間に培われるもので後の人生は大きく変わってきます。10代〜20代を、どれだけ自分につぎ込めるかっていうのは大事ではないでしょうか。とにかく楽しんで、悲観的にならないでやっていけるのが一番大切だと思います。
今村氏:現場で活躍する若い世代が減ったなと感じています。僕のまわりでも撮影部からアシスタントがどんどん減っていたりするんですが、その要因はほぼ僕たちにあると思っていて。かっこいい映像を出せていないから、映像業界に興味を持つ人が来てないっていうことだと思うんです。僕たちが良い映像を撮っていれば、それに興味を持つ若手が確実に増えてくると思うので、いいものを作り続けていくしかありませんね。
あとがき
今回は映像業界の最前線で活躍する撮影監督のお二人にお話を伺いました。こだわりの撮影手法や機材に対して求めること――。それぞれに違った視点でお話いただきましたが、共通していたのは映像に対する熱い想いでした。今村さんの仰っていた「僕らの世代がもっといいものを世に生み出していかないといけない」という言葉、そして石坂さんの仰っていた「10代・20代のうちは好きなものを撮り続ける」というお話。映像業界を目指す方にとっては、どちらも胸に響くものがあったのではないでしょうか。今後も、数々の映像作品に挑んでいくお二人に注目していきたいです。