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3C's

Creative
Craftsmanship
Challenging
14

Makoto Nagahisa

Film Director
観た人の人生にどう機能していくか。
物語だけで終わらない映画づくり

長久 允

1984年生まれ、東京都出身。株式会社電通の社員として働きながら、長期休暇中に映画を制作。2017年、監督作品「そうして私たちはプールに金魚を、」がサンダンス国際映画祭で日本人初グランプリを受賞。CMプランナーとしても受賞歴多数。2019年、初長編作品「WE ARE LITTLE ZONBIES」がベルリン映画祭、他37以上の映画祭に招待。2021年は、ドラマやミュージカル舞台などの作演出が予定されている。

埼玉県の女子中学生が400匹もの金魚をプールに放ったという実際にあった事件をベースにした短編「そうして私たちはプールに金魚を、」や、両親を亡くしても涙を流せなかった子どもたちが主役の青春音楽映画「WE ARE LITTLE ZONBIES」(2019年)が国内外で高い評価を得ている長久氏。電通に在籍しながら、いわば“サラリーマン監督”として映画を撮りながら、最近ではアーティストのMVや舞台「憂国」とジャンルを問わず幅広い活躍を見せる長久氏の3C(Creative Craftsmanship Challenging)を聞きました。

chapter 01
ダブルスクールで映画の勉強をするも、新卒で入ったのは広告代理店だった

僕が高校生くらいの多感な時期、ケーブルTVでは連日のようにMVが流れていて、生活のすぐ傍にいつも音楽がありました。ですので、僕の作品にはMVのエッセンスも多分に含まれています。運動にはさほど興味を示さず吹奏楽部に所属し、大学ではジャズをやっていました。ただ、ジャズの世界はものすごく難しくて、いくら練習しても上達せず、途中で挫折することに。

違うことをやろうと、服を作ったり写真を撮ったりいろいろ試してみる中で、唯一楽しいと思えたのが映画でした。そこで、大学に通いながらダブルスクールで専門学校へ行き、そこで映画を一から学んだのです。「映画を撮りたい」という気持ちは強く持っていたものの、映画監督という就職先はありません。就職活動では、それらしき会社を受けてみるもどこにも引っかからず。制作会社やテレビ局、広告代理店にエントリーし、その中で唯一内定をいただけたのが電通だったので、これも何かのご縁かなと思い、入社することになりました。

入社当初は営業〜コピーライターでしたが、僕は他の人よりちょっと映像に詳しかったので、1年あまりでCMプランナーの部署へ異動し、長く携わってきました。CMプランナーというと華やかに聞こえますが、実際は、スーパーの試食コーナーの後ろで流れている宣伝映像を手がける仕事。通り過ぎるお客様をいかに立ち止まらせるか。商品をいかに手に取ってもらうか。そんなことばかり考えていました。おそらく、うちの会社でステーキの焼き方を映像化させたら、僕よりうまい人はいないんじゃないかというくらい自信があります(笑)。

ただ、広告って自分ではなく商品やサービスの声を代弁していく仕事です。大学時代にフランス文学を専攻していたこともあり、シュールレアリスムが好きだったのですが、ロジカルとは言えない表現技法は広告の世界ではあまり用いられることがありません。自分が好きなアウトプットができないことはもちろん、ときに自分が正しいと思うことを押さえ込むこともありました。なぜ僕は自分でない他の誰かのメッセージを代弁していくことに、命をすり減らさなければならないのか、それは間違っているって感じたんですよね。

それで、ある日思い立って10日間の有休を取得することに。どうせ休むなら、その間に自分が好きなことをしたいと思い作ったのが「そうして私たちはプールに金魚を、」です。当時は映画の世界から離れ、10年もブランクがありました。自分の正しいと思うものを好き勝手に作ろうと決めて撮ったこの作品。それがサンダンス映画祭のショートフィルム部門でグランプリをいただけたとき、「映画をやってていいんだよ」と肯定された気持ちになりました。自分の考えは間違っていなかったんだと認められた気がしましたね。そこから会社に掛け合い、映画を作ることを本職にさせてもらっています。

chapter 02
10年ぶりの作品と再燃した映画への想い

先にお話した通り、「そうして私たちはプールに金魚を、」はサンダンス映画祭で受賞したのですが、最初は出品した映画コンクールにノミネートすらされませんでした。当時は“人生でたった一回の映画を撮れるチャンス”と思って作ったので、残念な気持ちでいっぱいでしたね。

もともとこの作品は、埼玉県狭山市で実際に起こった事件をベースにしています。当時ヤフトピでこの事件が取り上げられた時、金魚をプールに放った理由が「キレイだと思って」という一言に集約されていることに違和感を覚えたのです。あくまで僕個人の感想ですが。いわゆる広告的にバズりやすい形に編集されてそこに載ってしまっているんじゃないかと。それは彼女たちにとって不本意なんじゃないかと思ったのです。僕は勝手にそこに使命感を抱き、これを題材に映画を撮ることにしました。

映画を撮ると決めたものの、僕自身は長く電通でCMプランナーをしていました。ディレクションの経験はほぼありませんでしたが、誰かが演出するのを後ろで見ながら「僕ならこう演出する」というイメージを長い間ストックしていたんです(笑)。10年も脳内シミュレーションを繰り返し、広告には使えないような映像表現もメモに溜め込んできたので、やっとそれ実現できる!という気持ちでしたね。

映像を作る上で影響を受けたのは、たとえばミヒャエル・ハネケの「ファニーゲーム」。物語を飛び越えて、目線をこちらに向けたり、逆戻しにしたり。物語と観客を繋げ、映像と現実世界を地続きにしている。スクリーンのフィルターを外した新しい映画であり、僕の映像に大きな影響を与えた作品の一つです。

『そうして私たちはプールに金魚を、』予告編

chapter 03
現実世界をファンタジックに映し出す独自の映像手法

2019年に「WE ARE LITTLE ZONBIES」という作品を撮りました。これも数年前にロシアで起きた「青い鯨事件」が題材になっています。子どもたちをゲームで洗脳して、自殺に追い込むという内容だったのですが、その内容があまりにショックで。絶望との向き合い方について、「真っ向から対峙しなくても、絶望から逃げながら、ただ淡々と人生を進めていく方法もあるんだよ」ということを伝えたかったのです。

主役は両親を亡くした4人の子どもたち。演技経験のない少年少女を積極的に起用しています。僕はテキストの意味を伝えたかったから、役者の皆さんには感情をあまり入れないで読んでいただきました。現実世界で、大きな怒りや悲しみって、そうそうありません。そのリアルな感覚に近づけたくて、敢えてテキストを棒読みすることで、フィクションにしすぎないということは意識しましたね。あとは、70年代〜80年代の日本映画は今よりもっとアグレッシブなアングルや表現技法をやっていて、そうした昔の作品をオマージュしながら今回そのままやっているシーンもあります。

僕は、映画というものが単なる物語としてではなく、見ている人の人生にどう機能していくかの方がよっぽど大事だと思っていて。見ている人たちと接続し、機能したいという思いで映画を撮っています。それはもしかすると、広告の仕事がベースにあるからなのかもしれませんね。

映画「WE ARE LITTLE ZONBIES」予告編

chapter 04
無邪気でいるためにアナログでいる

作品づくりにおけるこだわりは沢山ありますが、全シーンの絵コンテを作り、音コンテ・ビデオコンテを決めてから撮影に入るのもその一つ。シナリオの段階からイメージする曲を書いたり、効果音も自分で作ったり。自分の声で音コンテを作って、切り貼りで編集して流れを作り、その上でビデオコンテを当てていきます。それをすることで、本番に余分なお金や時間を使わなくていい。僕の場合撮りたいカットが多すぎるので、大変ではありますが、必要な作業だと思ってこの方法を選びました。撮影はGoProやドローンで撮るときもあればFS7で撮るときもあります。それぞれの機能にはこだわりますが、カメラのメーカーやブランドにはこだわりはありません。

ちなみにこう見えて僕はガジェット系にめっぽう弱く、iPadも使えないし、使えるのはTwitterとWordくらい(笑)。だから、絵コンテは全て手書き。会社の方眼紙なんかに書いちゃいます。アナログだなと思われるかもしれませんが、そこに対してもこだわりがあります。やっぱりロジカルではない思考の方がよりリアリティーがあって好きなんです。効率化とか便利なものは考え出したらきっと沢山あるんだろうけど、それにより映像制作にストッパーがかかってしまうこともある気がしていて。僕にとってアナログでいることは、無邪気でいるために必要なことなんです。CMの仕事ではいろんな方法を試すので、その経験値は映画作りにも役立っていると感じますね。

「WE ARE LITTLE ZONBIES」も実は日本でヒットしませんでした(笑)。ただ本作で伝えたかったことって、1クラスあるとすればその中の大半には響かないようなこと。でも、クラスの中の2〜3人、マイノリティに届けばいいやという気持ちで作ったので、納得はしています。僕自身が中学生の頃に感じていた怒りや悲しみといったあらゆる感情をトレースしているし、そこに嘘は全くないんです。物語に登場するのは、全部僕の分身みたいな存在。自分が思ってないこととかモラルに反するようなことは言わないと決めています。

日本ではヒットしませんでしたが、アメリカでは「新しいブラックユーモア」という評価をいだき、ヨーロッパでは「哲学や宗教をベースにした純映画」として評価していただけました。1クラスで見ると届く人数は少ないけど、世界規模で見たら膨大な数になります。それなら、ビジネス的にも成立するんじゃないかという手応えも感じましたね。

chapter 05
初の舞台に挑戦。今後はドラマ作品や、海外進出へ

先日、舞台に初挑戦しました。三島由紀夫没後50周年企画の「(死なない)憂国」という作品です。役者さんと1ヶ月以上かけて役を構築していくという作業をしました。また、この作品は映像配信もしたのですが、単純に定点カメラで撮ったものではなく、カット割りを決めて手持ちのカメラなども使いながら撮影しました。これまでの「舞台の配信映像」とは違った印象に仕上がったと思いますね。また、本作を新しい映像作品として世の中に提示できないかを考え、英語の字幕をつけて海外の映画祭に出品できないかを検討しています。

今後も新しい分野に挑戦したいと思っていて、2021年はオリジナルの脚本でドラマ初監督を務めさせていただく予定です。今は、世界中からアジア各国がどういう考えを持っているのかがしっかり注目されている時代だと思うので、グローバルに向けた作品づくりにもチャレンジしていきたいですね。

あとがき

事前に台詞を音読して音コンテを作ったり、全シーンの絵コンテを作成したりと、独自の手法で映画を作っている長久氏。その背景には、見た人と映画を接続させ、ただの物語で終わらせないために、という意志が感じられました。また、インタビュー中では「現実と対峙しなくても、淡々と人生を過ごす方法もあるよと伝えたかった」と話していた長久氏。カラフルな映像とは裏腹に人生を淡々と進めて行く子供たちの姿に、どこか自分の人生とリンクしているという感覚を持った方も少なくないのではないでしょうか。今後は映画のみならず舞台やドラマと幅広い活躍を見せていく長久氏。サラリーマン監督という立場の新しさだけでなく、あらゆる表現技法を試すことで私たちがまだ見たことのない作品を世に送り出していくのではないかと感じた取材でした。今後の作品にも注目していきたいです。

Text : Yukitaka Sanada
Photo : Yuji Yamazaki
撮影協力:はらドーナッツ目黒店

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