Takuro Ishizaka
新たな可能性を切り拓いた
独自の撮影アプローチ
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石坂 拓郎
1974年生まれ。神奈川県出身。撮影助手時代に、「セクレタリー」(2002年)、「ロスト・イン・トランスレーション」(2003年)に参加。2006年、Frameworks Films Inc. を設立。米国ロサンゼルスを拠点とし、映画、CM、PVと幅広く活動。撮影監督として「さくらん」(蜷川実花監督/2007年)、「るろうに剣心」シリーズ(大友啓史監督)、「マンハント」(ジョン・ウー監督/2017年)などを手がける。
近年では、撮影監督として携わっている「るろうに剣心」シリーズが記憶に新しい石坂氏。TVドラマ「ふぞろいの林檎たち」などで知られる脚本家/作家の山田太一氏を父に、「101回目のプロポーズ」などのTVドラマ演出家として知られる宮本理江子氏を姉に持つという映像一家で育った石坂氏は、いかにして映像の道へ進み、また今のキャリアを築いたのか。渡米して映像の世界を学んだ学生時代にまで遡って彼のルーツを辿るとともに、「るろうに剣心」シリーズの撮影秘話から今後の挑戦まで、石坂氏の3C(Creative Craftsmanship Challenging)を聞きました。
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01
1を10にするシネマトグラファーの仕事に惹かれて
家族全員が映像関係の仕事をしていたので、幼少期から“映像を仕事にする”という意識は、もしかすると刷り込まれていたかもしれません。ですが、僕自身は映像を仕事にしたくて渡米したわけではありません。ただ、違う国に行ってみたい。最初はそんな気持ちで高校生の時にアメリカへ渡りました。
アメリカの高校を卒業後、大学ではグラフィックデザインを学び、授業の一環で写真を撮っていました。とある課題で、作品にテーマ性を持たせるために何枚綴りかの写真の絵を考えていると、静止画ではなく動いているものを撮りたいという気持ちに駆られたのです。その時、「やっぱり自分は映像が好きなんだな」と改めて感じました。この出来事がきっかけで、グラフィックから映像の道を志そうとスイッチすることに。ただ、この時点では、映像業界の中でも何を仕事にしようかは明確に決めていませんでした。
そこから、アメリカのフィルムスクールへ編入し、監督業からサウンド、ビジュアルストーリーテリングに至るまで、フィルムプロダクションを一通り勉強しました。でも、正直どれもしっくり来なくて。そんな時「アドベンチャー・オブ・ロッキー&ブルウィンクル」という映画作品が、1ヶ月間学校のキャンパスへロケに来たんです。ロバート・デ・ニーロがプロデューサーも兼ねていて、レネ・ルッソとジェイソン・アレクサンダーといったキャストが出演している本作品。僕は、インターンとしてその照明部を手伝うチャンスを得て、重鎮の照明技師たちにライトの並べ方、置いた時の角度、ケーブルの引き方、結び方に至るまで徹底的に叩き込まれました。タダ仕事もどんどん受けて、とにかく場数を踏みましたね。この時、「自分は0から1を生み出すよりも、1を10にする方が向いている」と感じました。監督からの要求に対し、それをブラッシュアップしていくことが自分は得意だし、アートもテクノロジーも好き。それならシネマトグラファーを志そうと決めたんです。
ちょうどその頃から、16mmフィルムやHD24Pで撮影した自主映画のDVDを持ち歩いて各所で配るということをやっていて、少しずついろんな現場に呼んでいただけるようになりました。ある日「リリイ・シュシュのすべて」のポストプロダクションでロサンゼルスにいらしていた撮影監督の篠田昇さんを、パーティーで偶然お見かけして。篠田さんの作品が好きだったので、思い切って話しかけました。それがきっかけで、篠田さんから「日本で一緒にやってみない?」とお誘いいただけたのです。そこで帰国し、初めて日本で参加した仕事が、浜崎あゆみさんの予算3億円のMVという大きな仕事でした(笑)。
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02
「さくらん」の撮影監督を手がけるまで
先にお話した浜崎あゆみさんのPV撮影を機に、日本とアメリカを行き来して仕事する生活が始まりました。その時、日本とアメリカの現場の違いに最初は戸惑いましたね。規模も違えば、スケジュール感もまったく異なる。日本の撮影現場はある意味戦場みたいな雰囲気があったりして、徹夜続きなんてこともしょっちゅうありました。
アメリカは映画だと12時間、テレビだと8時間からオーバータイムで4時間プラスで予算組みされていて、12時間きっかりで1日の撮影が終了するのです。照明助手時代でさえも、きっちり定時であがってお給料をもらっていた自分には当時このギャップがあまりにも衝撃的だったことを覚えています。若かったので、仕事のスタイルが変化しても柔軟に適応していくことはできましたが、ただ驚きましたね(笑)。
そこからお声掛けいただき、2007年に公開された「さくらん」の撮影監督を手がけることに。純和風な設定かつ色使いが特徴的な本作品。本格的な日本の商業映画に取り組むのは初でしたが、世界観を共有し合った後は、割と全部任せていただけました。アメリカだと、監督のやりたいことがカットごとに明確に決まっていて、それを撮影監督として自分のアイデアも入れていき実現させていくという感じだったのですが、日本の現場はカット割からお願いされることも多くて。最初はそうしたアメリカと日本の現場の違いに大きなギャップを感じ、追いつくことに必死な毎日を送っていました。
映画『さくらん』(2007年公開)
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03
ターニングポイントとなった「るろうに剣心」
2012年に公開された「るろうに剣心」は間違いなく自分にとっての大きなターニングポイントとなりました。もともと「大友啓史監督作品は、面白く絵も良かったので、一緒に仕事してみたいな」と周囲に話していたんです。そしたらプロデューサーの方から連絡をもらい、撮影監督として携わらせていただくことに。今でさえシリーズ化していますが、当時1作目を撮った際は、予算は時代劇とアクションをやるには小規模。ただ、なんとしてもかっこいい作品を作りたいという気持ちが強くあったので、欲しいものは全て自分で引っ張ってきました。
以前から、日本で借りると1ヶ月で2,000万円するフィルム機材を、アメリカからダイレクトに空輸すれば1,000万円で済ませられるということに気づき、ロサンゼルスの会社から空輸もコーディネートして借りたりしていました(笑)。撮りたい映像を撮るために、手段はなるべく選ばないように、限界を決めてしまわないようにすることは大事だと思います。
「るろうに剣心」シリーズはもともと漫画・アニメ原作なので、その要素を派手な色に残しながらも、スピードが求められる現場で小回りが効くカメラを選びました。僕はこの時、初めて本格的なアクションシーンの撮影をしたのですが、準備期間はまったく慣れませんでしたね。手持ちのカメラで役者に寄ってみるも、顔と動きを追うだけで、アクションの何を狙っていいのかわかりません。そこで、どこからどう撮れば効果的かつスタイリッシュかを連日のように研究し続けました。意識していたのは、「ただかっこいいだけの戦闘シーンにならないようにする」ということ。派手に戦っているだけのごまかしのアクションシーンだと、観ていて飽きてしまうのです。なぜ蹴っているのか、どこへ向かっているのか?などの情報をしっかりと捉えることが大事でした。アクション監督の谷垣さん、大内さんには本当に教えていただくことが多かったです。さらにレンズの位置は、観ている人の目の位置。だから、アクションに近ければ近いほど観客をその位置に連れて行けると思い、蹴られようが、当たられようが、極限まで寄って撮影しました(笑)。
「るろうに剣心 最終章 The Beginning」に関しては、VENICEを使って撮影することを検討していたんです。カメラヘッド部を取り外すこともできたりと柔軟性があるところに興味を持ち、VENICEをお借りしてテストもしたのですが、最終的にはこれまで使っていたカメラに統一することになりました。ただ、これから取り組む作品についてはVENICEを導入しようと考え、候補としてあげています。
映画『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』特報
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04
アクションシーンで活躍した心強いMoVIの存在
「るろうに剣心 京都大火編・伝説の最後編」では、登場人物も増え、アクションシーンでのキャラクターの動きがさらに激しくなりました。それをなるべく安定して撮影するために、MoVIというリグを導入しました。当時アメリカで発表された直後だったので、プロトタイプがまだ世界に2台しかないという状況。最終的には現地に行ってもらい交渉して、なんとかデモ機第1号を入手して、次の日から使いました。時代劇なので、平な舗装されたロケ地がほぼない中でも、毎度レールを引くことなく、森の中、狭くて暗い場所などあらゆるシチュエーションでMoVIを動かして、移動カットを感覚的に動いて撮影できました。手持ちにしたくなかったのは、アクションも動きなので、なるべく安定したショットで見せたかったからですね。MoVIのおかげで、撮影の可能性はかなり広がりましたね。
また、2021年初夏に公開予定の「るろうに剣心 最終章 The Beginning」においては、これまでとまったく違う世界観にしたかったので、巴の衣装にも使用されていた紫の色をキーカラーにして、「満ち足りないおもい」、「悲しい恋愛」をその色に託し、カラコレで忍び込ませるなどの工夫もしました。アクションにラブストーリーの要素も加わっている本作品。ぜひその辺りもポイントにしながら観ていただけると嬉しいです。
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05
ドキュメンタリー映画へのチャレンジ
今後は、ドキュメンタリー映画にもチャレンジしたいと考えており、面白そうなテーマを自らリサーチして、それを監督してくれる人を探しながら一緒に面白いものを作っていきたいと目論んでいるところです。大きい映画には大きい映画にしかない良さがもちろんあります。しかし、現場の歯車としてではなく、小さい映画の中で自分のやれることを増やしたいという気持ちも強く持っています。
僕が学生時代を過ごしたアメリカでは「地図を塗り替えてやる!」くらいの勢いを持った若手たちが、大勢います。その子たちから「こういうことがやりたい」という連絡もしばしば来ます。それは、純粋に面白そうですよね。値段が安くとも、自分の興味が掻き立てられればどんどん受けていきたいと思っています。そして、それをやりつつ、海外作品や大きな作品も並行して手がけたいですね。
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06
映像業界のグローバル化を見据えて
これまでアメリカ、日本、中国などいろんな国の現場を経験してきました。その中で思うのは、撮影に関わる人たちが心から楽しんでいるかどうかって、現場の雰囲気に結構出るなということ。海外の現場の方が、大変なポジションに若い子が多く、結構ハードなスケジュールでも笑顔で仕事していて、そこから発するエネルギーも強く感じました。日本にも同じような笑顔とエネルギーに満ちた若いスタッフがどんどん増えて欲しいなと思っています。もちろんそのためには自分の世代も頑張らないといけないのですが。
これから映像業界を志す方には、是非こじんまりした規模感に留まらず、どんどん大きな現場へチャレンジしていただきたいです。もちろん予算的なこともあると思いますし、すぐに大きな現場にいくのが無理な場合もあるでしょう。でも、そんな時はまずはアシスタントからでも、チャレンジしてみるだけの価値は十分あるはず。あとは、2つ選択肢がある場合は、大変そうな方を選ぶこと(笑)。自分の能力的にきつそうだな……と思う現場は、自分のリミットが試される機会。そういう精神で、とにかく怖がらずに、若いうちに新しいものにどんどんチャレンジしていってほしいですね。
今後、映像業界はますます国際化していくと思います。そうなると、海外からのプロダクションも増えるでしょう。僕が経験してきた限りだと、日本と海外の現場にはシステム的違いがあるので、その辺りをどうにかしてうまく共通化していけたら、もっとスムーズに対応できることが増えるのではないかと考えています。簡単なスタートとしては、まずは専門用語だけでも英語で覚えちゃう。そうなると、現場では専門用語だけで会話が通じてしまうので。意識して覚えていくと、世界が広がるのではないかと思います。
あとがき
アメリカからキャリアをスタートさせ、その後映画を中心に活躍を見せる石坂氏。手掛けてきた作品のジャンルはさまざまですが、共通しているのはその時々に応じて最適な機材を妥協なく選ぶこと。そして、それを誰よりも研究し続ける姿勢でした。日本と海外の撮影現場で生じるギャップに戸惑いつつも、自分なりの解を見出して常に新しいことにチャレンジし続ける。これから映像業界を志す方は、そんな姿勢に背中を押されるのではないでしょうか。今後は映画のみならず、小規模なドキュメンタリーにもチャレンジすることで、できることを増やしていきたいと語っていた石坂氏。今後どういった作品が生まれるのか、今からとても楽しみに感じる取材でした。今年のゴールデンウィークから初夏には「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」の公開が控えていますが、本インタビューで伺った撮影の視点を思い出しながら観ると、また違った楽しみ方ができそうです。
Text : Yukitaka Sanada
Photo : Ryosuke Oshiki