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3C's

Creative
Craftsmanship
Challenging
04

Kazuyuki Miyabe

Director
オーディエンスの気持ちを
盛り立てる演出法

宮部 一通

2002年、日本大学芸術学部映画学科卒業。 音楽番組やミュージックビデオなどの制作を多数手がけた後、2005年からブランディング会社の映像部門において、企業向け映像などに携わる。2011年に「株式会社HIROBA」を立ち上げる。主にCM、ミュージックビデオ、ファッション関係の映像を制作。近年、活躍の場は映画製作にまで広がっている。

テレビ業界からファッション映像の世界に入り、ハイブランドのイメージムービーを手がけるなど、その道のパイオニアとして活躍している宮部氏。そして現在は、日本の地方を舞台にしたドキュメンタリー製作やドラマ、中編映画の監督など、新たな挑戦を続けている宮部氏の3C(Creative Craftsmanship Challenging)とは?

chapter01
映画に親しんだ幼少期

映像の仕事を始めたきっかけは、両親が映画好きだったというのが大きいですね。僕も小さい頃から映画館によく足を運んでいて、自然に映画が好きになっていきました。中学生になると、映画づくりを仕事にしたいと思うようになり、日大の芸術学部の映画学科に入りたくて。高校から日大の附属に通っていました。

「就職したら負け」みたいな空気が大学時代にはあって、大学を卒業してからはずっとフリーでテレビのアシスタントディレクターをしていました。フリーで仕事をしている大学の先輩も多かったですし、映画業界で助監督をしていたり、撮影の助手をしている人もいました。

大学を卒業したての頃はあまり仕事がなかったので、掃除のアルバイトなどを掛け持ちしていました。それから時間があるとライブハウスに行って、ミュージシャンに「映像の仕事をやっているので、撮らせてください」と営業みたいなことをしながら、ミュージックビデオを撮らせてもらっていました。当時はまだ自分で撮影はせずに、カメラマンにお願いしていました。

chapter02
スチールでは、
表現できないものを目指して

自分でカメラを回すようになったのは、ファッション関連の映像をやり始めた2007年くらいからですね。ファッションは大好きで、中学生の時は自分で服を作ったりもしていたんです。当時はファッション映像をやっている人がほとんどいなくて、業界の人もどれくらい予算をかけるか分からない状態でした。そのため、少ない予算での撮影も多く、「だったら自分でやるしかない」と一眼で映像を撮るようになりました。

同じようなことをしている人もいなかったので、案件は根こそぎ持っていくぞという気持ちでやっていましたね。「VOGUE JAPAN」が映像コンテンツを始める最初の撮影をすることもできて、ここからファッション関連でも映像が広がっていくだろうと手応えも感じていました。

ファッション業界は元々スチールの世界なので、ムービーの撮影で僕が入った頃は「映像ってなんなの?」という雰囲気がありました。顔見知りのチームの中に、映像担当の僕がポンと入って行くというか。だから、関係者の目を何とか映像にも向けさせるために、スチールでは表現できない世界観――どのように洋服の動きを見せるかといった1枚の写真では見せられない部分を大切にしました。あと、ムービーだとシーンを多角的に見せられるので、前からも後ろからも、表情も含めて綺麗に見せるというのはこだわりました。

この業界で映像を作り続けていくためには、僕がクライアントの要求以上のものを作らないとまた映像を作りたいとは思ってもらえないですよね。だからこそ、何とかスチールの世界観を超えるようなムービーを作っていこうと撮影に臨んでいました。今では有名ファッション雑誌の撮影や、海外のハイブランドのイメージムービーやショートムービーといった依頼もいただいています。

chapter03
新しい演出を、常に追求

当時はスチールメインのファッション業界の中で、どうすれば限られた時間でモデルとコミュニケーションが取れるか。被写体との向き合い方を、最初の頃は探っていました。スチールのメイキング映像ではなく、ファッション映像として確立するために、今ではよく使われるようになったタイムラプスやスローモーションなど、新しい見せ方も追求していました。若い人たちがWebで映像を見るようになった頃だったので、どう見せるか、どう飽きさせないかを、すごく考えていましたね。

先ほどもお話ししましたが、当時の現場は「スチールがメイン」といった雰囲気が強かったので、モデルの目線をもらうだけでも結構大変で。映像の撮影時間がもらえない時に、いかに目線をもらって現場に入り込んでいくかということにはこだわっていました。だからこそ、どのようにスチールとは違うものを動画にするかを考えて、機材に関しても選んでいました。

chapter04
今、挑戦していること

山形県の置賜(おきたま)地方を、1年かけて春夏秋冬を撮りながらドキュメンタリー映像を制作しています。置賜は、明治時代にイギリス人旅行家・探検家のイザベラ・バードが「東洋のアルカディア(桃源郷)のようだ」と評した場所。なぜ、日本全国を旅した彼女がこの場所だけ東洋のアルカディアと表現したのかを追っていくような、ドキュメンタリー映像です。

僕は映像に関して、自己表現するという気持ちはあまりなくて。ただ、依頼して頂いた方々が、自分たちの仕事やプロジェクトを誇りに思えるような映像を作りたいという気持ちは強くあります。それがファッションでも、ドキュメンタリーでも、ジャンルが変わっても軸が変わらないというか。その映像を見た人の気持ちを盛り立てるものを作りたいと思っています。

今回の映像制作に関しても、4年くらい前に置賜地方にある長井市のドキュメンタリーを撮ったのがきっかけなんです。その長井市のドキュメンタリーが、自分では知らないところでその地方で映像を作るベンチマークみたいになっていて。また映像を作りたいとなった時に、当時撮影をした僕に依頼することになったそうです。

chapter05
「道」の精神で、
自分と向き合う

色々と器用に撮れるタイプではないのですが、「僕にしか撮れないものがある」と信じて映像を作っています。映像を作る上で大事にしていることは抽象的な言い方ですけど、撮影に関わる人たちに「やって頂いている、やらせて頂いている」という敬意を払うということ。物事に対して優しくありたいなっていうのは、常に考えていることです。そこには愛とか感謝とか、そういった気持ちがないとできないですからね。

日本には昔からのその道を究めるという考え方がありますよね。そう考えた時に、自分の映像は道を究めていくものなのか、それとは逆に進化をしていくものなのかは常に自問しています。そして、自分の内面を見つめたり、人との向き合い方を考えたり、奥底にあるものを探して行くような仕事のスタンス――その道を究めていく方が、自分には合っているんだと思っています。そうすることで、自分にしか撮れない突き詰めた何かがあるのではと信じています。

宮部氏が手がけたシチズン時計の100周年記念映像「100 Years of CITIZEN」。様々な国を訪れて撮影が進められた。

chapter06
自主制作映画を、
作り続ける理由

大学の卒業制作で映画を撮ったのですが、機材のトラブルで撮影したフィルムが全部ダメになってしまったんですね。それでも卒業はできたのですが、もう一度撮影し直すことにしたんです。自分が監督で、それに録音と撮影を合せた3人のチームだったのですが、再撮の時にメンバーがかなり疲弊してしまって。チームが空中分解のような形になってしまったんです。しかも、撮り直した作品も、自分が納得できるものではありませんでした。それで、「自分は失敗してしまった」という思いが強くて、映画業界に行くことを諦めたんです。

そこからテレビ業界に入ることができて色々な経験をさせてもらいました。しかし、映画に挑戦したいという思いを拭い去ることができなかったのです。「もう一度映画を撮りたい、でもまた失敗するのでは」という不安が30歳くらいまでありましたが、自分の会社を立ち上げて様々な経験を積んだときに、「映画を撮ってみよう」と決意しました。そこで、15分ぐらいの短編を1本作りました。

それが「帰ろう」という作品です。認知症のおじいさんがずっと歩いているというストーリーで、映画祭にも出展でき、作ってみたら意外と殻が破けて(笑)。そんなに気負わなくてもよかったし、自由に作って、色々駄目でもやればいいんだなと。それをキッカケにまた映画を撮るようになりました。

chapter07
初の中編映画「つぐない」

現在は「つぐない」という40分くらいの中編映画を製作しています。世の中は善悪だけじゃ語れない部分があって、それとは違う側面を観た人が感じられるような作品を目指しています。

FS7で撮影していますが、ファッションもドキュメンタリーもほぼすべてこのカメラで撮っています。S-Logで撮影してその後のカラコレまで、自分でやっています。さまざまな色が試せて、楽しみながらやっていますね。FS7だとハンドルを付けて、ワンオペでもできますから。モニターを付けて一応確認はしますが、自分だけで撮影を回すこともあります。実はFX9も使いたいなと思っているところです。

例え自主制作の映画でも、撮影に参加してくれるスタッフには協力費をきちんと支払って作りたいなと思っています。関わってもらう人達に出来るだけ無理をさせないという環境を僕が作らなくてはいけないなと考えています。それでも資金には限りがありますので、機動性の高いFS7は撮影時にとても重宝していますね。

あとがき

ファッション映像のパイオニアでもある宮部氏のキャリアは、決して平坦なものではありませんでした。大学時代の失敗やファッション業界の中での映像の認知……。そうした中でも、スタッフなど撮影に関わる人びとへの配慮を忘れずに、依頼主が「誇り」に思える映像を生み出す。さらに、見た人の気持ちを盛り立てる。そんな映像づくりへのこだわりが、宮部氏の高い評価につながっていると感じられました。

Text : Yukitaka Sanada
Photo : Yuji Yamazaki

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