アスリートが最高のパフォーマンスを発揮するには、あらゆるサポートが欠かせません。コーチやトレーナーなどの人的サポートはもちろん、映像やデータ解析なども、現代のアスリートを支える一翼を担っています。今回フォーカスを当てるのは、「日本のスポーツを強くすること」を目標に掲げ、さまざまな研究や支援を行う国立スポーツ科学センター(Japan Institute of Sports Sciences/以下JISS)。JISSで独自開発したシステムは、トップアスリートをどのように支えているのでしょうか。この第1回目では、スポーツの現場における先進の映像・IT技術の活用について、スポーツ科学部の映像・情報グループの皆さんにお話を伺いました。
(写真・左)長島 康敬 | 情報処理技術者・映像技術者
(写真・中)田中 仁 | 専門職
(写真・右)三浦 智和|主任専門職
長島康敬さん(以下、長島):「映像・情報グループは、トップアスリートを支えるソリューション開発を行っています。選手やコーチ及びそれを支えるハイパフォーマンススポーツセンター(以下、HPSC)スタッフからの要望を受けて、システムを内製したり、予算が確保できれば要望をまとめて企業に開発を依頼したりしています」
三浦智和さん(以下、三浦):「競技現場で最も活用されているのが、ビデオフィードバックシステムとクラウド型ビデオデータベースです。その他にも、AIやビッグデータを活用したシステムで、選手のトレーニングを多方面からサポートしています」
三浦:「ビデオフィードバックシステムとは、ビデオカメラに挿入する無線LAN対応メモリーカードにJISS独自のプログラムを書き込み、コーチが撮った映像を、選手が使用する端末に自動で転送するシステムです。スキージャンプやノルディック複合など、雪上競技でよく使用されています。
スキージャンプでは、選手がリフトに乗ってスタート台まで上り、コーチの合図の後に急斜面を滑り降りて滑空します。飛距離を伸ばすには、滑空直前の踏み切りが特に重要です。そのため、コーチがコーチボックスと呼ばれる場所に立ち、踏み切りの様子を撮影することが習慣化していました。
ところが、せっかく撮影をしても、ジャンプ台下へ滑り降りた選手とコーチの距離が離れているため、選手は映像をすぐに確認できません。『選手がすぐに映像を確認できるシステムは作れますか?』と、トップチームのコーチから依頼を受けて、2012年に開発したのが、ビデオフィードバックシステムの初期版でした」
田中仁さん(以下、田中):「コーチが撮影した映像は、まずコーチの手元にあるパソコンに転送されて、エンコード(圧縮処理)されます。圧縮されたファイルはオンラインストレージを経由して、選手が使用する端末に送られます。エンコードする理由は、ファイルサイズを軽くして転送速度を少しでも速くするのと、海外だとモバイルWi-Fiのデータ通信容量に制限があるからです。今後、5Gの時代になれば、ビデオカメラから選手の端末に大容量のデータをそのまま送ることが可能になるかもしれません」
三浦:「滑り降りた後、選手とコーチはトランシーバーを使って、『いまのジャンプはこうだった』『次はこうしよう』と議論し、次のジャンプに臨みます。ビデオフィードバックシステムを使えば、より具体的に改善点を確認できるので、一本一本のジャンプ練習の質が上がります。試合では公式練習を含めて限られた本数しか跳べないので、感覚が残っているうちにジャンプを振り返ることができるのはすごく大きいですね」
田中:「映像は繰り返し見ることができるので、試合前に過去のジャンプを見てイメージトレーニングをしたり、タブレットのアプリを利用して1年前の映像と2画面比較をしたりする選手もいると聞いています」
三浦:「コーチはビデオを撮影するだけであとはすべて自動で動くので運用負担もなく、コーチングツールとしてとても役立っていると聞いています。一方で、『トラブルがあった』と報告を受けることもあります。例えば寒冷地でのバッテリートラブルや通信障害です。トラブルについては、現場でなければ対応策がわからないことが多いので、選手が国内で練習しているときは足を運び、課題を吸い上げるようにしています」
長島:「現場を訪れることで技術が蓄積されて、他の競技にも活かせるようになりますね」
田中:「状況に合わせて工夫できるのは、システム内製化の利点だと思います。競技団体によって、使用しているビデオカメラや端末のメーカーが違いますので、どのような機材でもできるだけ互換性を保持できるようにしています。また、映像を転送するときに、音が鳴るようにしているのも工夫の一つです。コーチがパソコン画面をいちいち確認しなくても、音が鳴っていれば転送できていることがわかりますので。
現場でトラブルが起きたらそれに対応できるようにプログラムを変えたり、新しい要望が上がってきたらそれに対応したりするなど、常にアップデートしながらシステムを提供しています」
三浦:「私たちはJISS nx(ジスエヌエックス)と呼んでいますが、平たくいえばスポーツ動画共有サービスです。ただし、誰でも見られるわけではなく、選手やコーチにIDを発行して閲覧してもらう仕組みになっています。現在、パラスポーツを含めて47競技、4,500名程度の方に利用されています。サービス開始から13年ほど経ち、アップロードされているコンテンツの件数は53万件程度に上っています。基本的に、我々がサービスを提供し、映像のアップロードやユーザー管理は各競技団体にお任せしています」
田中:「絞り込みの項目は、各競技団体のご要望に応じて変えています。例えば、ウエイトリフティングの場合は、ナビゲーターで<2015年/世界選手権/48kg/女子/クリーン&ジャーク>と入力すると、条件に合った映像の一覧が出てきます」
三浦:「絞り込みを機能させるにはメタ情報が必要ですが、アップロードした映像一つひとつにメタ情報をつけることもできますし、エクセルで一括してメタ情報をつけることもできます。また、<番号_種目_階級_選手名>といったルールに従ってファイル名をつけ、その映像ファイルをアップロードすると、メタ情報が自動的につく仕組みになっています」
三浦:「少し前にアクセスランキングを確認しましたが、空手や体操、卓球などは使用頻度が高いようですね。車椅子バスケットボールや、パラバドミントン、ゴールボールのようなパラスポーツでもアクセスが増えています」
田中:「視聴機能としては、スピードが変えられたり、コマ送りができたり、左右反転ができたりします。印をつけた範囲だけリピートする機能もありますね。選手やコーチにヒアリングをして、「こういう機能があったらいい」と要望が上がったものは、その都度実装してきました。左右反転などは、まさに選手から要望があり実装した機能です」
三浦:「mellon II(メロン2)という栄養サポートシステムですね。タブレットで食事の写真を撮ると、AIがその写真を認識して、エネルギーやタンパク質、炭水化物などの栄養成分を表示してくれます。選手が摂るべき目安量を管理栄養士があらかじめ設定しているので、食事内容が正しいかどうか、写真を撮るだけで簡単に判断することができます」
長島:「食事画像認識AIを使い続けることで、HPSC以外の場所で食事をするときも、「この食事内容なら、栄養成分はこのくらい」と目安がわかるようになります。mellon IIの導入には、そういった教育的な意味合いもありますね」
田中:「レスリングやウエイトリフティングなど体重管理が必要な選手は、管理栄養士がこまめに食事内容をチェックして、栄養指導を行います。食堂に置いてあるプリンターにIDカードをかざせば、レポートを出力することもできます」
田中:「AIといってもパーフェクトではないので、たまに認識を間違えることもあります。特に飲料は、麦茶なのかコーヒーなのか、見た目では判断が難しいですね。間違っている場合は、選手が手動で直すこともできます」
長島:「mellon Iの頃は、選手が食べたものを一から記録していたので、手間がかかっていたんですよね。AIである程度認識して、栄養成分も表示してくれるので、mellon IIは選手が積極的に使ってくれているシステムの一つです」
三浦:「JISSではこれまで、JISS nxやmellon IIなど、システムごとにIDを振っていました。システムを使用するためには、いちいちIDを入力してログインしなければいけなかったんです。それでは効率が悪いですし、データの活用もしにくいですよね。そのため、システムを一元化してID管理をするといった取り組みが、2年前から始まりました。
HPSCの中には『ATHLETESPORT(アスリートポート)』というアスリート専用の端末が40機以上設置されています。選手はIDカードをかざすことで、自身の体やトレーニングに関するさまざまなデータを閲覧できます。また、端末の横には体重計が設置されていて、そこで体重測定をするとその情報が自動で登録されます。練習前と練習後に体重を測り、練習中に水分がしっかり取れているか確認する選手も多いですね」
三浦:「HPSC内のいたるところに設置しており、新しくできた味の素ナショナルトレーニングセンター屋内トレーニングセンター・イースト(以下、味の素NTCイースト)にも置いてあります。味の素NTCイーストはパラスポーツの選手が多く利用するので、車椅子に乗ったまま測れる体重計も設置しています」
田中:「視覚障がいの選手は、音声ガイドがなければ、体重を測ることが難しいんですよ。現在、味の素NTCイーストで通年合宿を行っているブラインドの選手に意見を聞きながら、ATHLETESPORTに点字テープを張ったり、音声ガイドを組み込んだり工夫してます」
田中:「選手がアカウントを共有すれば、コーチやトレーナーなどもデータの閲覧が可能です。トレーニングメニューを組み立てたり、栄養指導をしたりするためにも、選手のデータは欠かせません」
三浦:「今後HPSCで蓄積されているビッグデータを様々な視点から分析し、次世代アスリートの育成に活用するプロジェクトも検討中です」
三浦:「以前、スノーボードのコーチから、VRを使ってトレーニングできるような環境があればいいと相談されたことがあります。若い選手は特に、納得するまで練習を続けてしまいます。そうすると、体に負担がかかりますし、ケガをして半年や1年のあいだ練習できなくなることもあります。VRを使ったトレーニングが実現すれば、選手の体を守ることにつながるかもしれません」
田中:「5GしかりVRや8Kなど、先進の技術が次々に登場する時代です。それら最新技術をトレーニングにどう生かし選手の能力を向上させるかが我々の命題です。遠隔からタイムラグのないコーチングができれば、選手にとってもコーチにとっても、時間を有効に使える。練習以外の時間をコンディショニングや休息に当てられることもできるんです」
長島:「アイデアは競技現場にいくらでも転がっています。しかし、先進技術を使ったシステムを開発するのは、JISSだけでは難しい。企業と連携して先進技術をスポーツに生かしていくことが、次のステップではないかと思います」
映像・情報グループの皆さんのお話からは、日本を代表するトップアスリートを支えスポーツ界を発展させるため、日々の試行錯誤と新たな技術開発にかける想いを感じ取ることができました。アスリート自身がデータを信頼し、積極的にデータを活用すれば、より高いパフォーマンスを発揮することができるようになるでしょう。そして、そのような研究と努力から生まれたパフォーマンスが私たちを感動させ、スポーツを盛り上げることに結びつきます。今後もスポーツの現場における映像やITの活用に注目していきたいと思います。
(取材:2020年2月)
スポーツ科学部 映像・情報グループ
田中 仁(左)|三浦 智和(中)|長島 康敬(右)
国立スポーツ科学センターはスポーツ医・科学研究の中枢機関として、日本スポーツ振興センターが運営するハイパフォーマンススポーツセンターの中核を担っています。充実した最新施設、器具・機材を活用し、各分野の研究者、医師等の専門家集団が連携しあって日本の国際競技力向上を支援しています。
東京都北区西が丘3-15-1
https://www.jpnsport.go.jp/jiss/