スポーツとテクノロジーの親和性は高く、多くの競技現場で最新の映像技術やIT技術が用いられています。国立スポーツ科学センター(Japan Institute of Sports Sciences/以下JISS)内にあるトレーニング施設「ハイパフォーマンスジム」にも、ディープラーニングを活用したトラッキングシステムや、映像解析システムなど、最新のテクノロジーが多数導入されています。JISSシリーズ第2回目の今回は、トップアスリートのトレーニングとコンディショニングに徹底的に寄り添うハイパフォーマンスジムの全容に迫ります。
今回は、JISSスポーツメディカルセンターでハイパフォーマンスジムのトレーニングチームを率いる高橋佐江子さんを中心に、オリジナルのトレーニングプログラムを組み立てるチームスタッフの皆さんにお話を伺いました。
高橋 佐江子 | ハイパフォーマンスジム 研究員
高橋佐江子さん(以下、高橋):「JISS内にはさまざまなスポーツ科学の研究を行っているチームがあり、その研究を生かす場所として、ハイパフォーマンスジムが作られました。現在は、日本オリンピック委員会、日本パラリンピック委員会や各競技団体の強化指定選手を対象として診療、アスレティックリハビリテーション、トレーニング、栄養、心理、研究や支援活動を行っている部門などと連携し、JISS独自のサポートや、測定と解決策の提示、実施を担っています。私たちは選手と直接やりとりすることは少なく、トレーニングやリハビリの専門スタッフを通じて依頼を受け、ハイパフォーマンスジム内の機器を使った身体能力の計測やトレーニングを提案します」
高橋:「JISS内部の研究員や専門職との横の連携が強く、チームで選手をサポートしていける点ですね。ハイパフォーマンスジムでは、医療やバイオメカニクス、生理・生化学など、さまざまな分野のスタッフと連携して、選手のトレーニングをサポートしています。映像情報チームにシステム開発の依頼をすることもありますし、栄養や心理の専門家と連携して選手の心身をサポートすることもあります」
高橋:「姿勢やジャンプの計測ができる機器や、エネルギー代謝のトレーニングマシン、下肢の筋力を計測できる機器、トレーニングの振り返りができる動作遅延システムを利用した機器など、テクノロジーと結びついたさまざまな設備を活用しています。また、ハイパフォーマンスジムでは『画像や映像などの視覚情報を選手にフィードバックすること』を大切にしていて、ジム内に15個程度の固定カメラを設置しています。映像を見せながら、『ここに課題があります』『ここは優れています』と伝えると、説得力が増しますし、選手も理解しやすいですからね」
高橋:「大学で低酸素トレーニングやエネルギー代謝の研究をしていたスタッフ、理学療法士の資格を取得しパフォーマンス向上のアドバイスができるスタッフなど、多様なバックグラウンドを持つスタッフが揃っています。私は理学療法士とアスレティックトレーナー、障がい者スポーツトレーナーの資格を持っていて、以前は他のスポーツ施設に勤めていました。そこからJISSに移り、現在はトップレベルの選手のサポートに携わっています」
増田雄太さん(以下、増田):「正面、横、真上に設置された3台のカメラを使用して、姿勢の計測を行います。直立姿勢のほか、スクワットや片脚でしゃがむ動作、片脚で立つ動作、台に座り棒を持って体をひねる回旋動作、前屈、後屈など運動時における基本的な動作を撮影し、ゆがみの有無や、水平バランスを計測していきます」
増田 雄太 | ハイパフォーマンスジム トレーナー
増田:「ゆがみや左右差がある場合、選手はもちろんのこと、医療系スタッフやトレーニングの指導者にも説明を行います。『パフォーマンスを発揮するうえで課題になり得るか?』『ケガにつながりそうか?』など、計測結果を基にディスカッションして、課題点を改善するようなエクササイズを提案します。そのエクササイズを実施してもらった後、もう一度FAABで姿勢計測を行い、体の状態がどう変化したかを確認するのです」
増田:「ある競技の選手で、肩周りが上手く動かず記録がなかなか伸びなかった方がいましたが、姿勢を計測したところ、やはり回旋(体幹をひねる)の動作が上手くできませんでした。回旋の動作が硬いと、肩に負担がかかりやすいんです。回旋の可動域を出すエクササイズを提案したところ、『肩の痛みがなくなって、いい練習ができています』と報告をいただきました。その選手のように、姿勢改善が記録につながったというお話はけっこう聞きますね」
鈴木栄子さん(以下、鈴木):「大きく二つのケースに分かれていて、一つは持久力やパワーに課題がある選手です。例えば、サッカーやバスケットボールなど試合時間が長いスポーツで、1試合続けて動く体力に課題を感じている選手の場合なら、ベーシックな持久力のトレーニングを行いますし、パワーに課題を感じている選手の場合なら、瞬発力や筋力向上にフォーカスしたトレーニングメニューを組みます。もう一つは、リハビリ中に体力を落とさないようにしたい、復帰に向けて体力を戻していきたいといった選手ですね。下半身をケガした場合、走ると地面からの衝撃が関節にかかるため陸上トレーニングはできません。でも、自転車トレーニングなら関節に負荷をかけずに体力を維持できます。リハビリを担当しているスタッフが『自転車を漕いでも問題ない』と判断したら、私たちに依頼をしていただき、トレーニングを始めていく流れになります」
鈴木 栄子 | ハイパフォーマンスジム トレーナー
鈴木:「そうですね。まずは、選手や担当のコーチ、JISS内で関わっているスタッフに状況をヒアリングします。そのうえで、スポーツ生理学の研究員に相談をして、アドバイスをもらいながらトレーニングメニューを組んでいく流れになっています」
石田優子さん(以下、石田):「Leg Press には様々な機能がありますが、ハイパフォーマンスジムでは主に三つの機能を活用しています。一つ目は足を正確に動かすトレーニングです。モニタに映し出される波形に合わせて、板を押す力や膝の角度を変えていきます。二つ目は下肢筋力(足を延ばす力や足の曲げ伸ばしの力)の測定です。三つ目は衝撃を吸収する力の測定です。足裏から押されるように力が加わってくるので、着地したときの衝撃をどれだけ吸収できるか測ることができます。すべての機能で、筋力や正確さが数値化されます。その結果を用いてトレーニングの負荷を決めたり、トレーニング結果を測定したりしています」
石田 優子 | ハイパフォーマンスジム トレーナー
石田:「椅子に座った状態で膝を曲げ伸ばしして、筋力を測るような機器は、一般のスポーツジムや病院などでも使用されています。ただ、Leg Pressのように、足裏から負荷がかかる仕組みのものでその結果が数値化できるものは珍しいですね。膝の衝撃吸収力まで測れる機器は国内では貴重かもしれません」
石田:「もちろん、パラスポーツの選手にも使っていただいています。片方のプレートだけ動くように設定できるので、片脚が義足の選手でもトレーニングや測定が可能です」
岡元翔吾さん(以下、岡元):「FAABと同じシステムを使っていますが、JUMPで使用するのは横のカメラだけです。計測するときは、発光マーカーを体側面に10個取り付け、ジャンプの動作をハイスピードカメラで撮影します。発光マーカーの動きをトラッキングすることによって、股関節、膝関節、足関節がどのように動いているか、それぞれの関節に対してどのような力がかかっているか、どの局面での力発揮が足りないかなど、動作分析をすることができます」
岡元 翔吾 | ハイパフォーマンスジム トレーナー
岡元:「そうですね。スポーツ科学部の映像情報グループが開発したトラッキングシステムが組み込まれています。ディープラーニングによって素早い分析が可能となるので、撮影後、時間をかけずに選手にフィードバックできます」
岡元:「バイオメカニクスを専門とする研究員と連携して、各選手の課題を抽出します。例えば、アルペンスキーなど低い姿勢で雪面からの衝撃をコントロールするような競技では、ジャンプ前の反動をつける局面で踏みとどまるパワーもカギになります。ジャンプ高にだけ目を向けるのではなく、競技特性も踏まえ個人に合ったトレーニングに繋がるフィードバックを行うように心掛けています」
中本真也さん(以下、中本):「トレーニングの様子を録画し、『10秒遅延』などあらかじめ指定した時間に、録画した映像を遅延再生できるシステムです。2台のカメラを使い、正面と横からの様子を確認することができます。例えばトレーニング中の動作を確認する場合、正面からは左右のブレ、横からは姿勢の正しさを確認できます」
中本 真也 | ハイパフォーマンスジム トレーナー
中本:「選手は基本的に、システムを自由に使用していいことになっています。スロー再生や巻き戻し、早送りといった操作が簡単にできるので、『映像遅延再生システムを使いたい』という選手からの要望は高まっていますね。トレーニングだけでなく、採点競技の選手が、遅延再生システムを使用して自身のフォーム・動作がどうなっているのかを確認する際にも利用してもらっています。即時に客観的なフィードバックを得られることで、パフォーマンス向上につなげているのだと思います」
中本:「多いですね。映像がなければ主観で動作をフィードバックするしかありませんが、映像遅延再生システムを導入することで、目で見た動作の再確認ができることに加え、その映像を選手自身にも見てもらい、本人にも納得してもらったうえで次のトレーニングに活用してもらうことができるようになりました。トレーナー側も、映像をより客観的データとして示しながら良いフィードバックができるようになりましたね」
高橋:「今日の疲れが残ったまま翌日のトレーニングに臨むと、どれだけトレーニングを積んでも、パフォーマンスの向上にはつながりません。より良いトレーニングのためにも、しっかり睡眠を取ったり、休日を作ったりして、リカバリーすることが大切だと思っています。JISS内のコンディショニング研究グループには、睡眠の専門家がいて、時差調整の研究などを行っています。ヨーロッパ遠征後に時差ぼけに悩む選手は多いですが、パフォーマンスが落ちないようにする方法を、専門家に相談することもできます」
高橋:「時差調整だけでなく、睡眠の質に関するアドバイスも受けられますね。JISS内には選手が利用できる宿泊施設があり、希望があれば各部屋のベッドに睡眠の質を測れるマットを敷くこともできます。ただし、睡眠の質が向上したからといって、必ずしも選手がメダルを獲れるとは限りません。選手のパフォーマンスに1/10,000でも貢献できればいい、といった心持ちでしょうか。やはり最終的には、選手自身の練習量や集中力にかかっています」
高橋:「選手一人ひとりのサポートをより厚くしていくべきかなと思います。例えば、『記録を伸ばす方法がわからない』という選手をハイパフォーマンスジムで受け入れ、さまざまなデータを取り、コンサル的にアドバイスをしていくといった方法が考えられます。また、多種多様な企業と手を組んで、競技力向上に貢献していくことも、パフォーマンスジムの今後の課題です。JISSは他のスポーツ施設に比べて、情報が集まりやすい場所です。スポーツに関する先進システムや、国際的な取り組みなどの情報を上手く集めて、選手のためにアウトプットしていけたらいいですね」
「デザイン性やユーザビリティの高い最新機器が設置されているだけで、選手のモチベーションは変わってきます」と、高橋さんは言います。他のスポーツ施設にはないプロフェッショナルな“人”と“技術”によるサポートが、トップアスリートの士気を高め、彼らのパフォーマンス向上に大きく貢献していることが分かりました。日本のスポーツ界の中枢神経ともいえるハイパフォーマンスジムから、今後も目が離せません。
(取材:2020年2月)
ハイパフォーマンスジム スタッフの皆さん
国立スポーツ科学センターはスポーツ医・科学研究の中枢機関として、日本スポーツ振興センターが運営するハイパフォーマンススポーツセンターの中核を担っています。充実した最新施設、器具・機材を活用し、各分野の研究者、医師等の専門家集団が連携しあって日本の国際競技力向上を支援しています。
東京都北区西が丘3-15-1
https://www.jpnsport.go.jp/jiss/