デジタルアンプをアナログ回路アンプでサポートするという新発想
角田:
今日、初めてソニー待望のヘッドホンアンプ「TA-ZH1ES」と、ハイエンドヘッドホン「MDR-Z1R」の組みあわせを試聴させて頂きましたが、実に素晴らしかったです。スピーカーで聴いている感覚が、そのままヘッドホンに乗り移ったという印象ですね。
ふだん僕がリファレンスとしている音源を再生させて頂いたのですが、たとえば、2Lの「Quiet Winter Night」なんかを聴きますと、トランペットがステージの奥の方から手前に向けて奏でられている様子とか、演奏者の位置関係が手に取るようにわかります。まずその「空間性」の再現力に感心しました。
稲山:
ありがとうございます。実は「空間性」は私たちがこの製品を作る際にとても大事にしたことの1つです。今回、初めて据え置き型のヘッドホンアンプを作るにあたり、まず考えたのが「開放感」でした。スピーカーで音を聴くのと比べると、どうしても音像が頭の中にとどまっている印象があり、それを解消したいと考えました。
そして、偶然にもヘッドホンチームもまったく同じことを考えていました。彼らも新しいハイエンドヘッドホン「MDR-Z1R」では、これまで以上に空気感を出したいと考えていたんです。それを聞いたとき、これを組み合わせたらきっと上手くいくと自信を持ちました。ですから今、そのようにご評価いただけたことをとてもうれしく思います。
角田:
実は僕、昔からソニーのヘッドホンを愛用しているんです。古くは「MDR-CD3000」(1991年)から、「QUALIA 010」(2004年)などまで、ずっと使ってきた。なぜかというと、ソニーのヘッドホンにはその空間性があったから。奥行きがしっかりつかめるんですよね。ただ、今回のこの組みあわせは、それらの中でも群を抜いている。
とりわけエポックメイキングなのが、空間性を出すことにこだわりながら、オープンエアタイプではなく、クローズドタイプを選んだこと。この開放感を密閉型で出せているというのがすごい。ここまでのものを実現するにはヘッドホンのポテンシャルもさることながら、やはりアンプが相当の役割を果たしているのでしょうね。
また、空間性の良さだけでなく、音の立ち上がりが俊敏なところなども印象に残りました。ものすごく穏やかな音から、パッカーシブで躍動感のある音まで、いろいろな音を聴いてみましたが、その応答性の良さに驚かされました。
それと静寂感ですね。ヘッドホンで静寂感を追い込むのはとても難しいと思うのですが、この製品では弱音と強音を実に上手に両立させている。簡単に言えば「ダイナミックレンジがとても広い」ということになるのかな。本当に文句のつけられない組みあわせです。
稲山:
お褒めいただいた音の立ち上がりの良さなどは、フルデジタルアンプ「S-Master HX」のストレートかつダイナミックでシンプルという特性がきちんと発揮されているからでしょう。「TA-ZH1ES」では、その辺りの特性をアンプの基本的な音色感としています。
ただ、デジタルアンプには、強力にドライブしようとする際に波形がなまってしまう、歪んでしまうという弱点があります。しかも今回は、「MDR-Z1R」に限らず、重い負荷のヘッドホンを鳴らしきるパワーを備えたものにするという目標がありましたから、電源電圧も高めにとって、かなりパワフルな設計になっているんです。
そこで新開発したのがデジタルアンプの良さをそのままにアナログ回路を用いて信号補正を行う「D.A.ハイブリッドアンプ」という仕組み。これは高出力時に、S-Master HXの増幅プロセス最終段階であるMOS FETで発生してしまう誤差をアナログ回路が補正し、理想波形の音だけをヘッドホンから出力できるようにしたもの。その威力は角田先生に体験していただいた通りです。
「D.A.ハイブリッドアンプ」の信号処理イメージ
角田:
いや、これは本当に画期的なアイデア。でも、よくこんな事に気がつきましたね。今までそういうアプローチは聞いたことがない。画期的というか、これはもう"事件"ですよ。
稲山:
手前味噌ながら確かに画期的な回路だと考えています。従来のアナログアンプでは音質を補正する際は、NFB(ネガティブフィードバック/負帰還)をかけていました。しかし、フルデジタルアンプではその方法が使えません。フルデジタルの良さを活かしながら、なんとかする方法を模索していく中で生まれたのが、この「D.A.ハイブリッドアンプ」なんです。
今までのやり方では、ある意味すでに枯れた技術ともいえるデジタルアンプの性能を劇的にアップさせることはとても難しい。ならば、これまでとはまったく違う観点から改善策を見つけることはできないか、それなら大きなジャンプアップができるのではないか、そういうところから発想しました。そして、今回、このやり方を“発見”できたことで、音質面で大きな飛躍があったと考えています。もちろん開発はとても困難で、実は構想から商品化まで約3年を費やしました。
デジタル技術からシャーシまで、ソニーの技術力が見事に結晶
角田:
その上で、11.2MHz相当に進化した「DSDリマスタリングエンジン」や384kHz/32bit相当に進化した「DSEE HX」といったソニーならではのデジタル技術が威力を発揮します。ただ、フルデジタルとは言え、出力するのはアナログ信号で、また内部にもアナログ回路が搭載されている。にも関わらず、よくぞここまでノイズのない音になったな、と。「DSDリマスタリングエンジン」を利用した時の、まるでスタジオで聴くアナログテープレコードのような音に感心しました。その辺りのご苦労をお聞かせいただけますか?
佐藤:
今でこそ、この形状できちんと収まっていますが、商品開発の初期はデジタル部とアナログ部のノイズの干渉が大きな課題でした。ノイズを取るためにメカ的なシールド構造を追加するなどいろいろな対策を検討したのですが、従来の方法だと物量感が増してしまい今回「TA-ZH1ES」が目指した“デスクトップにも置ける”というサイズ感が実現できません。
そこで、なんとか小型化するため、半ば賭けで、多層基板の上層と下層でアナログとデジタルをはっきり分け、その間にシールドを挟むというアプローチを試してみました。そして基板の表裏でデジタル回路がアナログ回路を囲うように配置し、ギュッと小さく。こうしたことで、悩まされていたノイズを何とか解決できました。原理的に、D.A.ハイブリッドアンプにより、内部で発生したノイズも補正してしまうハズなので、多分、行けるだろうとやや結果オーライ的ではあったのですが(笑)、小型化とノイズ除去を両立させることができました。
また、「S-Master HX」や「DSDリマスタリングエンジン」はソニー独自の技術なので汎用的なDSPでは、必ずしも理想的な信号処理を行うことは難しい。そこで今回の「TA-ZH1ES」では「FPGA」で信号処理をしています。「FPGA」はプログラミングによって自由に内部のハードウェア構造を設計できるプロセッサーで、非常に設計自由度が高い代わりに設計難易度がとても高いんです。しかし、入力信号の切り替えやバッファー処理、「DSDリマスタリングエンジン」や「S-Master HX」の信号処理を行い、同時に小型化を実現するためには「FPGA」の採用が必須でした。想像していた以上に難易度は高かったのですが、結果的に私の考える理想的な処理が実現できました。
角田:
サイズと言えば、僕が感心するのは、普通、このサイズでこれだけの規模のことをやろうとしたら、電源部分を外に出す、つまりACアダプターを使うのが普通なのに、「TA-ZH1ES」はそれをきちんと内蔵していること。よくこんなサイズに収められましたね。
稲山:
いや、そこは大変苦労しました(笑)。私もいろんな部分で無茶な口出しをしましたが、佐藤を始め設計チーム全員が自ら追い込み実現に至りました。例えば、基板上で、唯一、2層になっているこの部分をご覧ください。
角田:
これは……DSPかな?
佐藤:
そうです。そしてこれを外したところに「FPGA」が配置されているんです。本当は1枚にきちんと収めたかったのですが、どうしても収まらず苦しいながらもこういうトリッキーな配置を選びました。でも、この方式にしたことで経路が最短になるという利点もあり悪い配置ではないんです。
角田:
あと、電源だとか要所要所にかなり高品位なパーツを贅沢に使っていますね。
佐藤:
この辺りはアナログアンプを長年やってきた蓄積が活かされています。ちなみに、変な表現ですが、「TA-ZH1ES」は"部品のダイナミックレンジが広い"んですよ。携帯電話レベルの処理をするようなものから、普通のアナログアンプで使うようなサイズのものまで、一つのセットの中で適材適所に幅広い部品を使っています。
稲山:
シャーシの方もご覧いただきたいです。これまでESシリーズで培ってきたF(Frame)B(Beam)シャーシ構造に、W(Wall)を加えた、FBWシャーシを新開発しています。
佐藤:
Wallはまさかの押出成形を行なっています。聞くところによると、これが押出で作れる最大のサイズなんだそうで……。これまでの据え置き機では分割して作ってきていますが、押出材ならではの剛性を生かすためにもなんとかこのサイズに収めて一体押出を使いたかったんです。とはいえ、このサイズで押出成形をやると寸法精度が出ないので、最終的には全周囲、機械加工で一皮削って……。
角田:
これ、押出成形なんですか……ありえない(笑)。ここまでやると単に剛性が上がるだけでなく、微細振動も全部キャンセルできるのでは?
稲山:
そうですね。ただ、押出成形は不要振動を抑え込むには最適なのですが、ガチっとさせすぎると、ストレスを生むことにもなり、変な鳴きが発生してしまう。今回は天板のところをわずかに緩くすることで、巧妙に逃げる設計としました。緩くし過ぎると太鼓になってしまうので、絶妙なポイントを試行錯誤しつつ見つけています。ちなみにアンプって、天板とかカバーを外した状態で使うと、開放感のある良い音がすることがあるんですよね。今回は天板を付けた状態でも、それに近い状態になるようチューニングしています。
小型化と優れた拡張性によって新たな楽しみ方も提案
角田:
そのほか、「TA-ZH1ES」で目立っているのが前面にずらりと配置されたヘッドホン端子群。JEITAの統一規格であるφ4.4mmのバランス端子を含めて3系統のバランス出力が用意されていることに加え、一般的なヘッドホン出力もφ3.5mm、φ6.3mmの2系統用意されている。こちらはシングルですが、なにやらすごいトランスを入れているそうですね。
佐藤:
はい。今回、このためだけにカスタムのトランスを作りました。構成的にはバランス出力を中心に考えているのですが、現実問題として、多くのユーザーさんはまだ普通のジャックを使うことが多い。そこでもきちんと良い音で聴いていただきたいということで、しっかり作り込んでいます。
角田:
そして、アナログインプットも用意。これは入力した信号がデジタル処理されて出てくるということですか?
佐藤:
もちろん。今回は優秀なADコンバーターを搭載していて、最大でDSDの11.2MHzまで選べるようになっています。ここまでできる製品は民生機にはなかったと思います。
角田:
それはすごい! しかし、そうなると、ぜひアナログプレイヤーを繋いで、レコードなどをハイレゾ音質で聴きたくなりますね。
稲山:
まさにそういう狙いがあります。「PS-HX500」を繋いで使っていただければ。
角田:
あとは、せっかくここまで良い音が奏でられるなら、パワードスピーカーをつないでみても面白そう。
稲山:
さすが鋭いですね!実はそのユースも狙っています。
角田:
このサイズならいろいろなところに置けるでしょうし、夢が広がりますね。
稲山:
そうですね。このサイズも「TA-ZH1ES」が強くこだわったところの1つです。普通のアンプの大きさ(430mm)で良いものを作るのは慣れているのですが、今回はそこから考え直し、今、どのくらいのサイズが音楽を楽しむ上でベストなのかというところから再検討しています。例えば、PCの横に置いて使う時に430mmサイズで良いかと問われたら、やっぱりそれはないわけです。
ソニーは、オーディオ製品に限らず、小さなものをセンス良く作ることを求められています。例えば、今回この製品を3倍の大きさで作ってもお褒めいただくことはないと思います。1984年に弊社が世界初のポータブルCDプレイヤー「D-50」を作った時、当初からかなり無茶なサイズを提示されたというエピソードが残っていますが、今回もまさにそれです。この大きさで作りなさい、ちゃんと電源も内蔵しなさい、って(笑)。
角田:
でも、苦労された甲斐はあったのではないでしょうか。デジタル技術がここまで進化した昨今、製品のサイクルがどんどん短くなってわけですが、後世まで残せるものはとても少ない。でも、このモデルに関して言えば、音もさることながら、センス、質感の良さをとても強く感じる。ソニーの技術を聴いているのだという満足感もある。まさに「大人のオーディオ」と言うべき仕上がりになっていると感じました。
佐藤:
うれしいお言葉をありがとうございます。仰る通り、今の時代だからこそ長く使って頂ける商品を作りたいと考えました。たとえば、フォーマットも将来を見据えてDSD22.4MHz・PCM768kHzへの対応も率先して行っています。また、お客様が大事にされているCDクオリティのコンテンツも精彩にお聞きいただけるよう今のソニーでできる最高レベルの信号処理にこだわりました。そして、ハイエンドオーディオを担ってきた私たちだから作れる、デジタル時代だからこそのアンプ=「D.A.ハイブリッドアンプ」で音楽の楽しみ方を変えていきたい、というメッセージを込めています。
真のスタジオサウンドに触れてみたいという人のための選択肢
角田:
最後に改めてヘッドホン「MDR-Z1R」の話もしておきましょう。この製品の魅力はまず、70mmという大きなマグネシウムドーム振動板でしっかり耳全体を覆って、スピーカーさながらの音を出していること。特に、前面からしっかり空間性が出るようにドライバーが耳の角度に沿ってオフセットされて取り付けられているのが特徴です。
かつ、70mmのドライバーで良い音を出そうと思ったら、ハウジングの中の音圧をコントロールできるような構造にしなければならないんですが、そこも微小通気素材を使うなどして、実に見事にやっている。結果として、密閉型ヘッドホンなのに、あたかもオープンエアタイプのような感覚で音が広がってくる。これは本当に素晴らしい仕上がり。ぜひ「TA-ZH1ES」と組み合わせて使っていただきたいですね。カチカチっと、止まってほしい所で止まる可動部の構造や、耳当ての部分のさらりとした素材感など、装着感の良さも気に入っています。
稲山:
MDR-Z1Rの開発チームが聴いたら喜ぶと思います。
角田:
このヘッドホンは先にも話したように、自然な音の立ち上がりや空間性を求めた製品。多くのヘッドホンはインパクト重視でアタックが強いのですが、その反面、倍音は思ったほど伸びないことが多い。だからクラシック愛好家などは、弦楽に余分なアタックが付いていて自然な音がしないことに不満を感じていることが多い。その点、「MDR-Z1R」はアタックが短くて、倍音がびっくりするくらい伸びる。
ハイレゾ音源って何がすごいかというと、アナログに近い倍音の再現性を秘めていること。ただ、それは自然な立ち上がりで出てこないとダメですね。その点「MDR-Z1R」と「TA-ZH1ES」の組みあわせなら、アタックを強調せずに自然に楽曲の躍動感を引き出してくれる。これは本当に魅力的です。
角田:
また、すでに愛用しているヘッドホンがある人にも、「TA-ZH1ES」を試してもらいたい。300Ωのヘッドホンって、ドライブ力がないと、高い音階で音がひずんでしまう。たとえば、シンバルやトランペットの高域がノイジーになってしまうんです。それが「TA-ZH1ES」ではまったくそういうことがない。今回、某社のハイエンドヘッドホンでキース・ジャレットなんかを聴かせてもらったんですが、タイトで引き締まっていて、倍音がきれいに出てくるところに感動しました。
残念なことに、ヘッドホンリスニングを、いまだにスピーカーリスニングの代替と考えている人が多いのですが、それはもはや過去の発想。特にこの「TA-ZH1ES」と「MDR-Z1R」の組みあわせは、部屋の広さと関係なく、音の広がり感、リアリティを感じさせてくれる最高の組みあわせ。まるでその場で演奏されているような、臨場感のある音を楽しめます。
眼前で演奏されているような世界。真のスタジオサウンドに触れてみたいという方に強くおすすめしたい逸品です。