メモリーオーディオの台頭や、音楽配信サービスの普及、高級ヘッドホンブームなど、この20年で音楽を取り巻く環境は激変しました。しかし、それでもなお変わらないのが、音楽をよりよい音で、より快適に楽しみたいという欲求です。ソニーが2015年に発売したテイラーメイドイヤホン Just earは、その願望をとことん突き詰めた究極の選択肢。その“価値”を、開発担当者が語ります。
最大公約数ではない、
妥協なきヘッドホンを作りたい
まずはJust earという取り組みが生まれた背景について教えていただけますか?
- ソニー株式会社
- HES事業本部 モバイルプロダクト事業部
- プロフェッショナルオーディオ事業室 Headphones チームリーダー
- 松尾 伴大
その際、痛感したのが、ヘッドホンという製品が、その性質上、どうしても「最大公約数」的なものになってしまうということ。聴く音楽も、耳の形も人それぞれですからね。そして、その「人それぞれ」が、思った以上に大きいぞ、と。逆転の発想で、ひとりひとりに合わせて個別にヘッドホンを作ることができれば、お客様にとって最良のヘッドホンを提供できるのではないかと考えるようになりました。それが、Just earという製品の企画が立ち上がったきっかけになります。今からおよそ5年前。2013年頃の話です。
Just earは、都内にあるイヤーフィッティングのプロ、東京ヒアリングケアセンターの協力を得ているというところもユニークです。これにはどういった経緯があったのでしょうか?
松尾:Just earを事業化していく際、まず参考にしたのが、自分の耳型に合わせてイヤホンを作成できる「カスタムイヤホン」あるいは「カスタムIEM(In Ear Monitor)」と呼ばれる製品群。これを実際に試していく中で出会ったのが、今、隣にいらっしゃる東京ヒアリングケアセンターの菅野さんです。カスタムイヤホンは多くの場合、補聴器などを取り扱っている専門のお店で耳型を採取してもらい、それをメーカーに送付して製品を完成させていくのですが、東京ヒアリングケアセンターは、耳の型採り作業がすごく丁寧だったんです。当時はまだJust earがどういった事業になるのかも定まっていなかったのですが、その場ですぐに菅野さんの協力を得て、事業を展開していきたいと考え始めました。
「東京ヒアリングケアセンター」について、もう少し詳しく教えてください。
- ヴァーナル・ブラザース株式会社
- 取締役・認定補聴器技能者
- 東京ヒアリングケアセンター 青山店店長
- 菅野 聡
菅野:東京ヒアリングケアセンターは、1995年に私の両親が立ち上げた補聴器専門店が母体。当時、世間では補聴器にあまりポジティブなイメージがなかったため、正しい補聴器の価値を伝えなければならないという使命感がありました。その理念のもと、2006年には、補聴器の固定概念を変えるために、情報発信地である青山に2号店となる私の店舗をオープン(今回の取材も、その青山店で実施しています)。カスタムイヤホンの販売や耳型採取は、その頃から検討を始めていたんですよ。世界的なサーカス団からステージ用のモニターヘッドホン制作の依頼があったのがきっかけで、その後、8年ほど前から事業としてステージやスタジオ向けの他、一般向けの製品でもお引き受けするようになっています。多いときは、イヤホンだけのために年間1,000人の耳型採取をしたことも。両方の分野に深く取り組んだ結果、耳に対する考え方やイヤーフィッティングについて、強いこだわりを持つようになりましたね。
松尾:ちなみに、ヴァーナル・ブラザースの社長である菅野さんのお父様(菅野利雄さん)は、ソニー出身。ソニーがかつて補聴器事業を展開していたころに、ソニーの補聴器専門店として起業されたという奇縁があるんですよ。
ヘッドホンの未来を切りひらいてきた「耳型職人」たち
「耳型職人」とは、初代『ウォークマン』が発売された前年、1978年にヘッドホン設計部署内で代々引き継がれてきた非公式の役割・称号。個人差の大きな耳の形をデータベース化することで、ヘッドホンの装着感を高めていくことを目的としています。また、そこから新発想の製品を生み出していくというもう1つの役割も担っており、世界初のイヤーコンシャス構造(ドライバーユニットを耳に垂直に配置する構造)を採用した『MDR-R10』(1988年)や、世界初のカナル型インイヤーヘッドホン『MDR-EX70SL』(1996年)などは、当時の耳型職人が発想したものです。
- MDR-R10
- MDR-EX70SL
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ユーザー1人ひとりの耳にフィットする
「テイラーメイド」という挑戦
企画スタートから約2年後、2015年4月にソニー初のテイラーメイドイヤホン(『XJE-MH1』および『XJE-MH2』)が発売されました。
松尾:最初に目指したのは「テイラーメイド」であらゆるタイプのヘッドホンを作れるブランドを生み出すこと。インイヤー型は、言わばその第1弾となります。インイヤー型はカスタムイヤホンなどで既に一定の市場ができあがっていましたから、まずはそこから参入していこうと。なお、『XJE-MH1』は音質をお客さまの嗜好に合わせてチューニングする「音質調整モデル」、『XJE-MH2』は、代表的なシチュエーションに合わせた3つのプリセットから選べる「音質プリセットモデル」となります。
製品購入後の流れについて簡単に教えてください。
松尾:製品を購入いただく際はまずは、東京ヒアリングケアセンターにお越しいただき、お使いになられる方の耳型を採取させていただきます(『XJE-MH1』では、ここで音決めのヒアリングも実施)。そして、それを元に、それぞれの耳にフィットするようイヤホンを作成、約2か月程度での完成となります。なお、『XJE-MH2』は完成後の配送にも対応していますが、XJE-MH1は、完成後さらに音質を詰めるために東京ヒアリングケアセンターまで再度ご来店いただく必要があります。
「テイラーメイド(「既製服」に対する「注文服」の意)」という言葉には、どういった意図が込められているのですか?
松尾:Just earで「テイラーメイド」と銘打ったのは、受注から製作、納品までを一貫して管理していることに自信を持っているからです。一般的なカスタムイヤホンでは、販売と耳の型取り、製作が別々の場合があります。もし耳にフィットしなくても微調整ができず、責任の所在を明確にしづらい問題もあるようです。その点、Just earでは、耳の型取りから納品、その後の微調整やアフターケアまでを、東京ヒアリングケアセンターが一貫して担当しますから安心です。
また、その型採りも、菅野さんがJust earの構造を把握した上で、その人の耳にどう収まっていくか、完成状態を想像しながらやってくれます。Just earで採用しているダイナミック型ドライバーはとてもサイズが大きいので、これをおざなりにしてしまうと、装着感も見た目もベストなものになりません。Just earでは、これを適切に調整するため、専用の耳型採取用ヘッドゲージを共同開発するといったことまで行っているんですよ。その仕上がりの差は、できあがったものを実際に耳に装着していだければ一目瞭然。たとえば右耳と左耳の形が大きく異なっているという人でも、菅野さんが違和感のないようにバランスを取ってくださいます。
菅野:ここで難しいのが、バランスを取り過ぎない方が良いこともあるということ。このあたりは開発段階から全てのお客様の耳型を採取して培ったノウハウに基づいて、その都度判断していくことになります。
ヘッドホンを耳にジャストフィットさせることで、音質にどういった違いがあらわれるのでしょうか?
松尾:何よりも大きいのが、音響設定をする際の前提条件を揃えられるということ。先ほども少しお話ししましたが、一般的なヘッドホンは、装着者の耳の形のばらつきなどを考慮に入れる必要があり、“どんなお客さまの耳にも良く聞こえる音質”にするのは容易ではありません。そのため、“理想の音質”を徹底的に追求するということが難しいのですが、テイラーメイドならそれができてしまうんです。
では「理想の音質」とはいったいどういうものなのか。我々は、それがお客さまによって異なると考えています。Just earが画期的だったのは、業界として初めてここに踏み込んだこと。実は、Just earに携わるまで、私は音質のチューニングは、開発者側に主導権があるなと思い込んでいました。こういうハードウェア構成で、こういう音楽を聴くなら、これがベストですよというスタンスですね。それが、Just earの企画を練り込んでいく中で、大きく変化しました。今では、技術者として、お客さまの望む音質を実現するのがJust earのあるべき姿だなという考えになっています。
それが、Just earの「音質調整モデル」となる『XJE-MH1』なんですね。
松尾:はい。ただ、お客さまの中にはプロが考える最高の音で音楽を楽しみたいという方もいらっしゃいます。「音質プリセットモデル」である『XJE-MH2』は、そうした方のための製品で、用途別に「モニタータイプ」「リスニングタイプ」「低音重視タイプ」の3モデルをご用意しています。
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対面ディスカッションで、
その人だけの音を追求していく
『XJE-MH1』で、どのように「お客さまの望む音質」に調整するのかを教えてください。
そうしたパラメーターの調整は具体的にどのように行うのですか?
松尾:製品を分解して、私が実際に手作業で調整します。ただ、そうした調整を行いやすい構造にしているとは言え、それなりに時間のかかる作業ではあるので、オーダー時点では、専用のシステムを使ったシミュレーションで詰めていくかたちとなります。ちなみにこのシステムは、ソニーが自社のヘッドホンを開発する際に使っている極めて高度なもの。もちろん、最後には耳の形に合わせてできあがった製品を装着していただいて細かい微調整を行います。つまり、完成までに2回の調整を行うことになりますね。
音質調整の際は、どういったやり取りを行うのですか?
松尾:実際に聴きたい音源を持ち込んでいただき、お客様と私とで同じ音を聴きながら約1時間程度、チューニングの方向性について相談させていただきます。ただ、自分がどんな音楽を聴いているかって、実はかなりの個人情報ですよね。中には恥ずかしくて、ついついよそ行きのプレイリストを持ってきてしまう人がいらっしゃるのですが、そこから、その人が「本当に聴きたい音楽」を見つけだすのが、腕の見せ所です(笑)。でも、やっぱり最初から好きな曲を自己申告していただいた方が、より良い結果につながります。私自身はどんな音楽も好きなので、そこはさらけ出していただけるとうれしいです。
実際にどういった方がJust ear製品を購入しているのかを教えてください。
松尾:年齢層では30代のお客さまが一番多いですね。次いで40代、20代……そして10代の方も。製品の価格帯的に驚かれるかもしれませんが、大学生、高校生のお客さまも少なくないんですよ。大学入学のお祝いにという方もいらっしゃいますし、夏休みに一生懸命アルバイトをして、自分のお金で買いにきたという方もいらっしゃいます。Just earの事業が始まって今年(2018年)で3年になりますが、年齢比率はどんどん若返っているように感じます。学生の頃からカスタムイヤホンに憧れていて、初任給で買いにきたという20代のお客さまもいらっしゃいました。……そして、これは余談なんですが、弊社の今年の新入社員にJust earに関わる仕事がしたいと入ってきたという者がいました(笑)。
また、一人で、2つ、3つのJust ear製品をお買い上げになるという方も珍しくありません。まずは『XJE-MH2』を買って、そこから『XJE-MH1』に乗り換えたという方もいらっしゃいますし、好きな音楽ジャンルやアーティスト、使用するシチュエーションに合わせて使い分けているという方もいらっしゃいます。
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スマートフォンでも、最高級プレイヤーでも、
極上のサウンドを
Just earの製品はどのクラスのプレイヤーを接続して利用することを想定していらっしゃいますか?
松尾:どんなプレイヤーでもしっかりした音が鳴るということを目指しています。イヤホンの場合、屋外で使うことの方が多いですから、気軽に楽しめることも大事。そう考えた時、今、最もポピュラーなプレイヤーはやっぱりスマートフォンです。ですので、そうしたプレイヤーでも充分に音楽を楽しめることを前提に設計しています。
個人的なおすすめは、別売のワイヤレスオーディオレシーバー『MUC-M2BT1』との組みあわせ。ケーブルが着脱式になっていますから、こうした製品と接続することが可能なんです。ワイヤレスで気軽に音楽を楽しもうと思った時、現在考え得る最良の選択肢の1つだと自負しています。もちろん、高価なハイエンドモデルに接続した時には、そのパフォーマンスを十全に引き出します。最新のハイレゾ対応ウォークマンで採用されている5極φ4.4mmプラグにも、別売ケーブルに差し替えることで対応可能。本体の構造がとてもシンプルなので、接続方法を良くするだけで、ダイレクトにその効果を実感していただけます。
なお、ハイエンド方向での個人的なおすすめは、据え置き型のDAC内蔵ヘッドホンアンプ『TA-ZH1ES』との組みあわせ。初めてこの組みあわせで音楽を聴いたときは、我ながらポテンシャルの高い製品を設計しておいて良かったなぁと思いました(笑)。室内でお使いになるというお客さまにはぜひともお試しいただきたいですね。
ソニーストアでは、ソニーのウォークマン最高峰モデル『NW-WM1Z』と組み合わせ使用することを前提にしたという、期間限定モデル『XJE-MH/WM1』も販売しています(ソニーストア直営店で実施する、受注イベント時のみご購入いただけます)。こちらについても教えてください。これは、「音質プリセットモデル」である『XJE-MH2』の特別版という理解で正しいでしょうか?
松尾:いえ、実は、考え方のベースは、「音質調整モデル」の『XJE-MH1』となります。ポイントは、顧客として『NW-WM1Z』をお使いのお客様を想定したことです。NW-WM1Zを最もよく知る者として、この製品を生み出した3名の開発者に協力してもらい、彼らが開発時に大切にした部分、製品に込めた想いを引き出せるようなチューニングを行っているんですよ。
『NW-MW1Z』を購入されるお客さまは、このプレイヤーに心底惚れ込んでいる方が多く、そのポテンシャルを最も引き出せるヘッドホンはどれなのか、常に探していらっしゃるんですよね。室内で楽しむのであれば、同時発売されたオーバーバンド式ヘッドホン『MDR-Z1R』もおすすめなのですが、外でも最高の音質で、設計者の意図したサウンドで音楽を聴きたいという方のために、今回、こういった選択肢も用意させていただきました。
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お気に入りの楽曲を、
最高の品質で楽しんでほしい
今後、Just earがどのように進化・発展していくのかを教えてください。
菅野:製品こそ変わっていませんが、フィッティングの技術は毎年少しずつ進歩しています。それを今後もさらに追求していきたいですね。Just earは、開発段階からフィッティングを担当する東京ヒアリングケアセンターと、製品を製造するソニーが一体になって取り組んでいるので、よりきめ細かな対応が可能。たとえば、より良い装着感を実現するために、製造工程を変更するといったことも現実的なんですよ。
松尾:内部の話になるのですが、昨春、Just earの事業がソニーエンジニアリングから、ソニービデオ&サウンドプロダクツ株式会社に移管されるということがありました。これをもって、Just earが今後、特徴が薄まるものになってしまうのではないかと不安になられているお客さまがいらっしゃるようですが、そんなことは全くありません。むしろこれまで以上に“深掘り”する方向に行くことを考えていますので、ご期待ください(笑)。
Just earはヘッドホンとしてはかなり高額な製品のため、なかなか踏ん切りが付けられないという人も多そうです。最後に、お二人から悩んでいる方に最後の後押しをいただければ。
松尾:これは私個人の持論なのですが、オーディオ機器そのものの価値は限られている考えています。価値があるのは、そこで再生される音楽の方。その音楽を良い音で再生できるから、高くても良いオーディオ機器が欲しくなるのだと思っています。
今、ネットでは楽曲が、1曲あたり数百円で購入できるようになりました。流行りのサブスクリプションサービスを使えば、限りなくタダに近付いていきます。でも、音楽の価値って、そんなに安いものではありませんよね。人によっては、ある楽曲の価値が数千円分にも数万円分にもなり得ます。数十万円分の価値を感じている作品だってあるかもしれません。
Just earを買うということは、製品ではなく、お気に入りの音楽にお金を出すということ。そう考えると、20〜30万円という価格も決して高くはない……ですよね。
菅野:松尾さんもおっしゃっていましたが、耳の形は皆さんが思っている以上にそれぞれ異なっており、その違いは、普通のヘッドホンに付属している大・中・小のイヤーピースを交換するだけでは埋め切れない部分があります。イヤーピースが耳のサイズにわずかに合わないだけという場合もありますが、そもそも耳の穴の形状がイヤーピースのような丸型ではなく、縦長の形をしたお耳である方も多くいらっしゃいます。このようなお耳の方には、丸いイヤーピースではフィットが難しく、結果として、大好きな楽曲の本当の音を聴き取れていなかったということもありえます。その点、Just earは、こうしたヘッドホン付属のイヤーピースが耳にフィットしないという方にもおすすめ。普通のイヤホンでは耳から取れてしまい、外出時に音楽を楽しめないという方にも、使っていただきたいですね。私が出勤している日は青山店でもご相談をお受けできますが、ソニーストアさんでも年に数回、試聴会や販売会をしていますので、そういう時にでも是非ご相談いただければと思っています。
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Just ear オーナーの
レビューをご覧いただけます
糸井重里さん、矢野顕子さんなど、
Just ear を愛用いただいているオーナーの皆さんから、
選ばれた理由や、使い心地についてお話をうかがいました。
ソニーショールーム・
直営店舗ソニーストアでの展示紹介
ソニーの直営店舗・ソニーストアでは、実際に商品を体感いただけます。