━━ まずは廣川さんのお仕事である「PAエンジニア」がどんなお仕事なのかを教えてください。
コンサート、ミュージカル、式典やイベント等でスピーカーから聴衆に音を届ける、PA=Public Address(大衆伝達)という言葉、そのままですね。そのPAの中でも、ステージ上のアーティストが出している歌声や演奏などの”音”をマイクで集音し、ミキシングコンソールで適切にミックスして、スピーカーから最も適切な形で聴衆に届けるのが私の仕事。さらに、ステージ上のアーティストやミュージシャンに自分の歌声や演奏している音、それらを適切に返してあげる「モニターエンジニア」という仕事も担当しています。
━━ 「モニターエンジニア」について、もう少し詳しく教えていただけますか?
イヤーモニターが使用される以前は、アーティストやミュージシャンはステージ上に置かれたスピーカーモニターで自分達の歌声や演奏を聴いてグルーヴしてました。現在もこの方法を使用している現場ももちろんあります。しかし、コンサート会場が大型化するにつれ、聴衆へ届けるスピーカーもパワーアップされ、ステージへの低音の回り込みによる低音の濁りや、会場の壁や屋根による音の反射が深刻な問題となってきました。モニターエンジニアは、アーティストの装着しているイヤーモニターにそうした回り込みや反射に対応した適切な音を返すことで、彼らがベストなパフォーマンスできるようにする仕事です。
モニターエンジニアの立ち位置はPAエンジニアの中でも、特にアーティストに近く、ステージのグルーヴ感をダイレクトに感じられるのが魅力。多くのPAエンジニアはモニターエンジニアを経て、ハウスエンジニアなど、次のステップに上がっていくのですが、私はこの仕事が気に入ってしまって、ずいぶん長くやってきてしまいました(笑)。
━━ ステージイヤーモニターはアーティストが、意図通りに正確な演奏をするために欠かせないツールなんですね。
そうですね。耳に深く装着するステージイヤーモニターは、会場の音響環境の影響をさほど受けませんし、ステージ上、どこに行ってもある程度同じ聴こえ方でモニタリングできますから、今ではほとんどのアーティストがステージイヤーモニターを使うようになっています。
ステージイヤーモニターを国内にいち早く導入した松任谷由実さんとは、私がこの業界に飛び込んで以降、約25年間ほどお仕事をご一緒させていただきました。そこでのたくさんの経験を積んだ上で、今、主にお仕事をさせていただいているのはMr.Children、久保田利伸さん、LiSAさん、米津玄師さん。彼らのツアーに帯同して全国各地を廻っています。
━━ 最新のステージイヤーモニター事情についても聞かせてください。
当初は演奏のためのツールとして生まれたものなのですが、徐々に音質面も重視されるようになっていき、現在ではクリエイティビティを刺激するようなところにまで到達しています。わかりやすく言うとレコーディングスタジオ的というか……。ステージイヤーモニターは外音を比較的遮断してくれるので、各曲の世界をそれぞれのシーンごとに作ることができるんです。もちろん、それにはステージイヤーモニターの品質や、エンジニアのテクニックも大事なんですけどね。
━━ これまで使われてきたステージイヤーモニターで、印象に残っているものがありましたら教えてください。
比較的新しいものでは、2014年に発売された密閉型インナーイヤーレシーバー『XBA-A3』(現在は生産完了)が挙げられます。先ほどもお話したよう、ステージイヤーモニターには遮音性を高めるために密閉性が求められるのですが、現在主流の、耳型を採って樹脂でイヤーピースを作成するカスタムインイヤーモニターの多くは、口を閉じている時はぴったりはまるものの、歌唱時や笑った時に顎関節が動くとわずかに隙間が空き、遮音性が損なわれると同時に、フィット感が損なわれ音質が変化してしまいます。普通に音楽を聴く分には気にならないレベルなのですが、ステージ上で歌うミュージシャンにとっては看過できない問題です。これをどう解決しようか悩んでいたところ、ある日、あるアーティストから、この製品『XBA-A3』を提案されまして……。いろいろ試したところ、カスタムインイヤーモニターよりもこうした製品の方が隙間が空かないことを発見したようなんです。実際、これを耳にギュッと押し込むと、口を開いても隙間ができず、高い遮音性を保ったまま音を聴くことができます。
━━ 廣川さんは、いつごろ、どのように『IER-M9』のことを知りましたか?
去年の秋くらいに、一緒に仕事をしている同僚から「ソニーが新しいステージイヤーモニターを出すらしいですよ」と教えてもらいました。なお、PAエンジニアが新しい機材に詳しいのは、最新の機材と技術を駆使することで、アーティストのパフォーマンスを引き出したいという思いがあるからですね。
━━ その後、実際にステージで『IER-M9』を使うようになった経緯も訊かせていただけますか?
話を聞いて、これはさっそく試してみたいとソニーに連絡し、『IER-M9』をMr.Childrenの現場で使う試聴機としてお貸し出しいただきました。
━━ 『IER-M9』を試してみた感想、ぜひお聞かせいただきたいです!
第一印象ですが、正直なところ、最初はちょっと違和感があって……。ところが、3曲、4曲とやっていくうちに、あれ、これは良いんじゃないかと思うようになりました。
━━ 「違和感」についてももう少し詳しく教えていただけますか?
『XBA-A3』と比べて、音に立体感がありすぎて、これまで耳のそばにギュッと固まっていた音が、フワッと周囲に拡がったようなイメージを持ちました。それによってバンドの音が遠くなってしまったというのが「違和感」の正体だったのかなと。
ただ、それと同時に、バンドの音が離れたことで「楽になった」感じがあります。これまでのステージイヤーモニターは、耳のそばで強く音が鳴っていて、それがある意味、少し攻撃的でもあったんです。でも『IER-M9』では、音の圧が和らぎつつ、聴きたい音はきちんと聴こえます。ボーカルも、自分自身の声が少し正面上方に抜けたあたりから聞こえるようになり、声を張りやすそうでした。
━━ 廣川さんご自身のご感想も、もう少し詳しく聞かせてください。
ゲネプロの際は、私も『IER-M9』で音を聴いていたのですが、ほぼ同じ感想です。ただ、あまりに立体感、解像感が良すぎて、オペレーションしていてとても緊張を強いられました(笑)。
━━ え? それはどういう意味なんですか?
ライブはレコーディングとは異なり、エンジニアの音響操作も当然、リアルタイムでやらなければなりません。その場の空気感に応じて変わるミュージシャンの細かなアプローチに合わせてミキシングコンソールのフェーダーを動かしていくのですが、高精細な『IER-M9』では、そこにこれまで以上に繊細な操作が要求されるんです。
また、ステージイヤーモニターに返す音、主に歌やドラム、アコースティックギターやピアノにはリバーブ(残響効果)を適用しているのですが、曲ごとにそのプログラミングは変えていて、さらに会場の広さに合わせて都度変えたりもしています。それは、その会場の一番奥にちゃんと音が届いていることを感じさせるようなエコー感を出すため。これをまちがえると、自分の声が会場の奥に届いていないのではないかという不安感をアーティストに与えてしまいかねません。その距離感をピタっと合わせるのが私の特技の1つだと思っているのですが、そういったところも『IER-M9』だと、より繊細に感じられるようになり、非常に気を使いました。
━━ そうした精細感の向上が、アーティストのパフォーマンスには影響を及ぼすことはありますか?
はい、実際のパフォーマンスに影響が出ると思います。周囲の演奏だけでなく、自分の息づかいも繊細に聞こえてきますから、シンガーもそこに焦点を当てやすくなるのではないかと考えています。お互い、ちょっとした失敗がはっきり分かってしまうので、怖くもあるのですが、それ故に面白い、やりがいがあるとも思いました。
━━ 昨年10月からの全国ツアーの途中から、『IER-M9』を投入されたそうですが、約4か月の長丁場を終えた今、当時をふり返って、何か印象に残っていることはありますか?
昨年末、12月23日にツアーの国内ラスト公演が大阪城ホールで行われました。もちろん、全ての公演で全力を尽くしていますが、最終日はアーティスト、スタッフとも、いつも以上に力が入ります。私も、緊張しつつも、より繊細に、アーティストの意気込みに負けないよう大胆にオペレーションを行いました。すると、公演終了後にメンバーからも「今日は特に細かくやってくれましたよね」とねぎらいの言葉をいただくことができて……これも『IER-M9』の効力でしょう!!(笑)
━━ やっぱりそういうのって伝わるんですね!
自分自身、それまでは0.5db程度上げ下げしても分からないだろうと思っていたのですが、『IER-M9』導入以降は0.2dbくらいでも分かってもらえるようになった気がしています。
━━ 今回の全国ツアー、『IER-M9』を投入したことで、アーティストのパフォーマンスは向上しましたか?
Mr.Childrenは、これに限らず、常に進化を止めないアーティストなので、どこが『IER-M9』のおかげとはなかなか言いにくいのですが、1つ、明らかに変わったなというところがあります。全国ツアーでは、それぞれ会場が異なるため、本番前のリハーサルで、各パートから、PAエンジニアに対して細かな修正要望が入るのが常なのですが、『IER-M9』導入後、メンバーからのリクエストは激減しました。最初からドンピシャなところに入れられるようになったようです。
━━ それは素晴らしいですね!
これまでの環境では、自分以外の楽器が強い音を出したときに、どうしてもそれが耳に直接ガツンと来てしまうことがあったようなのですが、『IER-M9』では音の空間が拡がり、そういったことがなくなったそうです。
━━ 『IER-M9』はプロのアーティストに使っていただけるステージイヤーモニターではありますが、通常のリスニング用途として、一般ユーザーにご利用いただくといったケースも想定した商品です。こうした、アーティストがステージで使う機材を、ふだんのリスニング用途に使う際のメリットについておうかがいできますか?
まず、大好きなアーティストがステージ上で使っているのと同じイヤホンを使っているというだけで気分が上がりますよね。音質的にも、プロのアーティストがステージ上で感じている解像感の高さで音楽を楽しんでもらえるのは面白い事だと思っています。実は、個人的にハイレゾ対応のウォークマン『NW-ZX300』を愛用しているのですが、これと『IER-M9』の組みあわせはヤバいですね! 私がイヤホンに求めるのは、重低音の効いたふくよかなサウンドなのですが、そうした要望をこれ以上ないくらい満たしてくれています。そして何より、音のリアリティが素晴らしい。試しに、自分がミックスしたライブ音源を聴いてみたのですが、「あれ? 俺、上手くなった?」なんて思ってしまったり(笑)。
━━ PAエンジニアという立場から、この製品の魅力をさらに引き出すコツのようなものがありましたら教えてください。
もし、アーティストがステージで聴いているサウンドをよりリアルに再現したいのであれば、少し大きめのイヤーピースを選んで、耳に押し込むような形でしっかり装着し、耳にかかるハンガーもしっかりホールドし、そして音量はちょっと大きめに。もちろん、耳を痛めない範囲でですが、こうすることで、『IER-M9』特有の、少し拡がった音場がギュッと凝縮され、より音の世界に没頭できるようになります。アーティストやエンジニアがふだん、こういう音を聞いているのだということを感じていただければと思います。この製品の世界観はぜひ体験してもらいたいですね。
━━ ここぞと言うときにはそのスタイルを試してみたいですね。最後に、廣川さんが今後のソニー製品に求めることをお話しください。
『IER-M9』は久々のソニー製ステージイヤーモニターとして、音質には充分に満足していますが、ステージイヤーモニターとして求められるポイントなどを今後さらに進化させていってほしいと思います。そのために、「プロの現場」の声が必要であればぜひ協力したいと思います。