未踏のルートを行くアルピニストが
自分にしか見ることができない風景を撮る
〜極限の世界をともに。相棒として選んだ「RX100 VI」「RX0 II」〜
山岳カメラマン 平出和也 氏
山岳カメラマンの平出和也さんは、2024年7月27日滑落の事故にあわれました。平出さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
世界各国の山を未踏のルートで登り、誰も見たことがない風景を見せてくれる山岳カメラマンの平出和也さん。彼がその過酷な環境の中に持って出掛けたのが、1.0型の大型センサーを搭載したプレミアムコンパクトデジタルカメラ Cyber-shot「RX100 VI(DSC-RX100M6)」と「RX0 II(DSC-RX0M2)」。なぜこの2台を選んだのか、そして、それぞれがどのようなシーンで活躍したのか。撮影状況や使い分けなども含めて、撮影した作品を見ながら話を聞いた。
平出 和也/山岳カメラマン
長野県出身。石井スポーツ所属。2008年に挑戦したインド・カメット(7,756m)に新ルートから登頂し、登山界のアカデミー賞といわれるピオレドール賞(黄金のピッケル賞)を日本人として初受賞。世界的に評価される。挑戦的な活動をする傍ら、現在プロフェッショナルの山岳カメラマンとして活動している。
2017年、パキスタン・シスパーレ(7,611m)登頂により2度目のピオレドール賞を受賞。
平出和也さんが今回の名峰ラカポシ登頂をソニーのカメラ群で撮影した動画をご覧ください。
動画を見るルールに縛られず自由に力を試したい。
それが登山をはじめたきっかけに
――登山に興味を持ったきっかけをお聞かせください。
僕は学生時代、ずっと競技スポーツをしていました。高校から陸上の競歩をやっていて、大学の時は日本選手権で10位になったこともあります。でも、いつの間にか、ルールがあり、スタートとゴールがある、という縛られた環境に違和感を持ち始めていたのです。自分でスタートとゴールを決め、すべてを自分の責任でやるような活動をしたい。そんな思いを胸に何ができるのか考えた時、小さいころから身近な存在だった八ヶ岳を思い出しました。八ヶ岳のふもとで生まれ育った僕にとっては、庭のように走り回っていた山です。山はすべてが自由で無限大の可能性があることに気づき、真剣に登山をやってみようと思い立ちました。そこから登山にのめり込んでいった感じですね。
――登山を始めたのは何歳くらいの時ですか?
大学2年の秋です。まずは道具を揃えて、人が歩いたことがある登山道を歩いて、登山を学ぶことから始めました。学生の時に運良く8,000m級の山をクリアするくらい登山に夢中になっていたのですが、次第に「道具もルートも指定されているのではないか?」と思い始めたわけです。それでは競技スポーツと変わらないですからね。やはりまだ競技を引きずって登山しているということに気づきました。そうではなく、もっと自由な登山、自分らしい山登りは何だろう、と考え始めるわけです。 まずは、大きくプリントした地図を張り合わせて1畳半くらいの地図をつくりました。人が歩いたことのある部分に線を引き、登頂したところをチェックします。そうすると空白の部分が見えてきますよね。その時に初めて「その空白部分はどうなっているんだろう」「そこを自分の目で確かめてみたい」と思うようになりました。もしかしたら、誰も気づいていないだけで宝石がたくさん埋まっているのではないか、魅力的なものがまだまだ残されているのではないか、と。地図を片手に空白部分を自分の足で歩きながら山を探す、という旅に出たのが2002年の夏のことです。それが未踏ルート、未踏峰を目指すきっかけになりました。 このような冒険は基本的に自分のためにするものです。1年でも長く活動ができるように、僕は社会との接点を持って冒険を続けるという目標を立てました。人としての魅力がなければ冒険家としても輝けないと感じていたので、自分の思いだけでなく社会との繋がりも大切にしようと思ったのです。そのための活動が「山岳カメラマン」という仕事でした。自分の活動を記録するために、カメラやビデオカメラを持ち、自分にしか見ることができない風景を多くの人に伝えることにしたのです。
自然が見せる驚きの世界を
心に記憶できるのが山岳写真の魅力
――今までにたくさんの作品を撮影してきた平出さんですが、山岳写真の魅力はどんなところにあると思いますか?
「こんな世界があるんだ」「こんな一瞬があるんだ」と思うような、自然が見せてくれる驚きの世界を記録できることですね。その瞬間、その場所にいて、その記憶を撮ることは自分がそこにいなければできませんし、テントの外に顔を出さなければ出合えないものです。僕は常にそういったチャンスに出合いたいと思っていますし、僕が出合うことで多くの人にも出合ってもらうことができると考えています。その世界を見た人が、自分の目でこの世界を見てみたいと一歩を踏み出すなど、1枚の写真でさまざまなきっかけをつくることができると信じているのです。 僕はカメラで記録を撮っていますが、カメラを通して「自分の記憶」としても撮影しています。メモリーカードだけに記録するのではなく、自分の心にも記憶しているという感覚です。心に記憶しているからこそ、伝えられるものがある。自分の心の中に記憶としてしっかり残そうと思って撮影しているので、その思いが作品にこもり、人に伝える力が加わっているのではないかと思っています。
自分の冒険を記録できる相棒として
初めて選んだカメラがRX100 IIIだった
――カメラを選ぶ時に大切にしていることはありますか?
今はカメラの機能がかなり高性能になっていて、場合によっては自分がカメラに振り回されてしまうこともあります。でも僕はカメラという道具を使う立場でいたいですし、命を預けるパートナーと同じように、カメラもパートナーであって欲しいのです。僕は初めて自分で選んだRX100 IIIを登山用のカメラとして使っています。RX100 IIIの後継モデルなども使っていますが、RX100 IIIを使い始めたころから僕とカメラのパートナーシップは始まっていて、このカメラで記録してきたものが自分の手元に何年分もあるわけです。共にずっと積み重ねてきた相棒だからこそ、今も僕が使うのはRX100シリーズ。最初にどのカメラを選ぶべきか探している時、RX100 IIIは「僕の冒険を記録できるもの」だと判断したからこそ、最初に選ばれ、今があるのです。
――「僕の冒険を記録できるもの」と判断した要因は何だったのでしょうか。
いろいろありますが、あえて挙げるならこれ一台あればフィールドですべてのことができる、ということですね。写真も残せるし、動画も残せる。カメラによっては写真と動画、どちらかはおまけで付けた、という感じのものもありますが、RX100 シリーズはどちらもしっかりとしたクオリティーです。しかもタイムラプスが一般的になり始める以前からアプリを使って撮影できる先進機能が入っていた。RX100 IIIにはすべて入っていたので、これ一台でいろいろなことができる、と思ったのが選んだ理由です。 RX100 IIIは今でも現役で使っています。だからこのカメラを見ると、これまで一緒に登ったたくさんの山のあらゆる景色を思い出します。自分の心にしっかり記憶されて残っていますからね。「あの時はああいう風に撮ったな」と、とても鮮明に覚えています。
24-200mmの高性能ズームレンズは
安全なルート探しに役立った
――今回はパキスタン北部にある標高7,788mの名峰ラカポシの登頂時に「RX100 VI」と「RX0 II」 で撮影していましたが、2台のカメラはどのように使い分けていたのですか?
山頂に向かっていく時にこの2台を持って行きましたが、パートナーと交換しながら、互いを撮り合っていた感じですね。実は、僕はほとんど「RX100 VI」で撮影していました。「RX100 VI」か「RX0 II」、どちらか選ぶ時、やはりこれまで築いてきた歴史があるので、僕はRX100シリーズを積極的に使ったということです。 「RX100 VI」 は200mmまでズームできるので、表現の幅が広がりますね。山では「もう一歩近寄って撮りたい」と思っても、クレバス(氷河や溶けずに残った雪にできた深い割れ目)などの危険要素があって近寄れないことが多くあります。そうなるともうズームに頼るしかないわけです。 下の2枚の写真は登山ルートを見るために全貌が見えるものと、望遠200mmまでクローズアップしたものです。200mmまで使えると登山ルートを見つける時にも役立ちます。
アップにしても高精細に雪山の状態を写せるので、ここからいろいろな情報を見つけることができます。拡大した写真の上部には、クレバスによって断ち切られた氷の一部が塔状に残る「セラック」が見られます。このセラックが崩れることを想定して安全なルートを見極めるわけです。拡大して見ると、雪崩の筋なども見えますからね。そこをしっかり読み取ってルートを探します。もちろん双眼鏡で見てもいいのですが、パートナーとしっかり情報共有する、という意味でも画像を見て確認するのが一番です。 このような写真を見ながら、パートナーと2人で無事に生きて帰る最善の方法を、意見を出し合い、事細かに決めて出発します。 下の写真は拡大写真に写っていたセラック近くのルートを登っているところです。バス1台分、もしくはビルくらいの大きさのセラックだったので、かなり慎重にアタックしました。
――こんな過酷な状況では、カメラを取り出して構えるだけでも大変そうですが、平出さんはどこにカメラを収納していたのですか?
自作のストラップを付けて、斜めがけにしていました。撮影のチャンスは一瞬なので、ザックに入れていたら最高の瞬間を逃してしまいます。だから一瞬でパッと撮れるスタイルにしておくのが基本ですね。ストラップの長さを簡単に調整できるように自作しているので、使わない時はキュッと引っ張って短くし、体に密着させます。撮る時はストラップを伸ばして、いい位置にカメラを固定できるようにするわけです。 パートナーは「RX0 II」を細かなギアと一緒にぶら下げていました。金具にくっつけていましたが、このカメラはとてもタフなので安心してそこに付けていたようです。 「RX100 VI」は斜めがけにしても負担にならず、ちょうどいいサイズ。シャッターチャンスをすべて逃さず撮影できたのは、負担なくこの位置にカメラをポジショニングできたからといえますね。
上の2枚の写真もクライミング中に撮影したものです。本来ならロープをしっかり確保しなければなりませんが、「RX100 VI」のサイズ感ならロープを確保しながらでも片手でパッと撮れます。こうした機動性の高さも「RX100 VI」の魅力といえるでしょう。
吹雪の中で3日間も足止め。
何としてでも晴天時に山頂に登りたかった
――登頂に向かう時、荷物はどのくらい持って行ったのですか?
1週間生きて登って帰ってくることができる道具、食料、燃料などを持って行ったので、全部で10kg強くらいですね。登山家や冒険家は、荷物を1gでも軽くしようと考えるもの。カメラの代わりに食料を多く持っていけば、もし何かあった時に生きて帰って来られる確率が高くなるので、基本的にはそちらが優先されます。でも僕にとってカメラは絶対に必要なもの。カメラを置いていったからといって食料をプラスするわけではありません。自分が生きるために必要なものと、自分が伝えるために必要なものは、まったく別物です。カメラは僕にとっては必要なもの、重くはなるけど必要なものとして持って行きます。
――登山の状況や登頂時の天候なども教えてください。
2002年、地図を片手に未踏ルートを探しながら旅をする中で、僕は初めてパキスタンにあるフンザという村に行きました。フンザは長寿の村と呼ばれている桃源郷で、何千m級の山が周りにたくさん見える場所。ラカポシはその時に初めて見上げた山でした。ここから見上げた山はすべて制覇したいと思った、僕の原点といえる村です。その後、レベルアップしながらいろいろな山を登ってきて、最後に残された1つがラカポシだったのです。 ここを登頂することで、登山人生の節目になると思っていましたが、天候は悪かったですね。この辺りの山々にチャレンジする時はいつも天気が悪い(笑)。それだけに今回は、絶対晴れているときに山頂に登ると決めていました。天候回復を待つために最終キャンプで3日間停滞。吹雪に耐えて、その時を待ちました。一食の食料を減らして食い延ばしてでも、晴れの山頂に立って山頂からの景色を撮り、自分の心の中に記憶したかったのです。その強い気持ちがあったからこそ、厳しい環境の中で3日間停滞していても、気持ちが切れなかったのだと思っています。
3日間の苦労を乗り越え、いよいよ天気が回復。上の作品は山頂に向かう日の早朝に撮ったものです。朝の3時くらいに出発して、1、2時間歩いてやっと明るくなってきたところですね。これは登っている僕をパートナーが撮っています。
そして、山頂からの景色が上の作品。「RX100 VI」は高解像で、山々のディテールまで見たままを表現してくれます。山頂ではいろいろな思いがこみ上げてきて、晴天時に登ることができて本当によかったと思いました。
――山頂に向かう早朝の作品も、山頂で撮った作品もJPEGとRAWを同時撮影していますが、JPEGだけで撮影している作品もある中でなぜRAWも同時に撮影したのですか?
チャンスは一度しかない、撮り直しが効かない、自分の中でもよりクオリティー高く撮りたい、という気持ちもありJPEG+RAWで撮影しました。とくに登頂前後や登頂日、ここぞというシーンはこの設定で撮影します。 今後、自分がおじいさんになって見返した時にも記憶がしっかり蘇るように、その時の最高画質で残しておきたい、という感じです。同じ場所には二度と行かないわけですから、その瞬間は二度と撮ることができません。極論を言えば、氷河が溶けてしまって登れない山も出てくるかもしれないですからね。だからこそ、この時代、この瞬間に記憶できるものを撮っていきたい。それは誰のためでもなく、自分のためですね。
――カメラの設定は登山前にセットしているのですか?
やはりこだわりを持って撮りたいので余裕があるときはマニュアルで撮影しますが、クライミング中はすべてオートにしています。今まで長く使ってきた信頼感のあるRX100シリーズなので、オートでもしっかり撮れるという確信がありました。 いつ雪崩が起きるか、落石が来るか分からない状況ですから、基本的に身に危険が及ぶ行為は避けなければなりません。カメラに集中してしまうと、危険察知にまで気が回らなくなってしまいますからね。ですから基本的にはすべてオート。テント場に行った時にはマニュアルにして撮っています。 撮影にはそんなに時間をかけていられないので、瞬時に電源を入れることができ、瞬時に撮って、撮りたい画角に収められることが理想。その点でも「RX100 VI」は優秀でした。
「RX0 II」ではタイムラプス動画を撮影。
厳しい登山であるほど動画に残したい
――「RX0 II」では動画撮影もしていますが、動画撮影に「RX0 II」を選んだ理由は?
タイムラプスができる、という点から「RX0 II」を選びました。僕の場合、今は写真だけでなく、動画作品も残すことが前提になっています。もちろんきれいな映像で伝わるものは多くありますが、重要なのは「音」。風が強いと「ザー」という音が入りますよね。それによって現地の世界観が分かると思うのです。写真1枚だけですべてを伝えることは非常にハードルが高いですが、映像だと音もあることでその場の空気感をより伝えることができます。
カメラとともに記憶を心に刻み
自分にしか撮れない写真を撮り続けたい
――雪の照り返しが強い中での撮影だったと思いますが、電子ビューファインダー(EVF)と背面の液晶モニター、どちらを見て撮影することが多かったですか?
僕はほぼすべて背面の液晶モニターを使って撮影します。雪が多く眩しい場所でも問題なくしっかり見ることができました。ファインダーを覗いてしまうと視界が遮られて、ファインダーの中の世界しか見えなくなりますよね。周りが見えなくなると危険、という側面もありますが、僕はやはり広い世界を記憶として残したいという思いがあるので、視界を遮らない液晶モニターを選んでいます。
写真は一部しか切り取ることができませんが、僕の心にはその周りまでしっかり記憶されている。そこでしか見ることのできない世界を広く心に刻みたいと常に思っているのです。
――今回紹介してもらった作品の中で、お気に入りの1枚は?
山頂で撮影した下の作品ですね。これもパートナーに撮ってもらったものですが、僕の視線の先には標高7,611mのシスパーレという山があります。
シスパーレは僕が山を始めた時に「人生をかけて登りたい」と思った山で、3回登頂に失敗し、15年をかけ、4回目の挑戦でやっと登ることができた山です。山は、自然の美しさや厳しさだけでなく、人間として、登山家としての未熟さも教えてくれる「ものさし」のような存在。登山を繰り返して悩んだり立ち止まったりした時にこそ「あの山に帰りたい」と思ってきました。いつの間にか、「あの山にさえ行けば何か教えてくれるんじゃないか」という存在に変わっていったのです。 3回目に一緒に登ったパートナーで、2015年に遭難で亡くなった谷口けいさんへの思いもあり、いい意味で彼女のことを忘れるために登りたい。それが僕にとって第一の登山人生を締めくくることができる唯一の山だという思いもありました。そんな思いが詰まった山を近くから眺め、頂きと一緒に写った写真は僕にとって大切なもの。ですから少し特別な後ろ姿なのかなと思っています。
――最後に、山岳カメラマンとして平出さんが大切にしていることを教えてください。
僕は、世界で誰も登っていない場所に行って、自分が最初にそこを見たいという探究心を大切にしています。カメラの世界も同じで、世界で初めて撮れる場所、立ち入れる場所を撮影したい。冒険家はより入り込んだ場所で撮影することができるので、僕にしか撮れないものがあるはずですからね。今後も、ソニーのカメラを相棒に、山岳カメラマンとして自分にしか撮れない写真を撮り続けていきたいと思います。
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