T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO 学生プロジェクトグランプリ 山西もも
写真が作品になるとき / α1とヒマラヤ山脈へ
写真を学べる14の美大・専門学校から選抜された96名の学生がポートフォリオ形式で作品を発表する「T3 STUDENT PROJECT」。東京駅東側エリアで開催される「T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO」と連動して行われる同企画では、毎年4名の外国人レビュアーが学生の作品を講評し、1名のグランプリを選出しています。 昨年グランプリを受賞したのは、東京藝術大学の山西ももさん。ZOOMS JAPAN 2024でもグランプリを受賞するなど注目を集める彼女に、3月20日(水・祝)より東京・京橋の72Galleryで開催する個展に向けた想いと、副賞として貸出を受けたソニーα1とレンズの魅力についてお聞きしました。
山西もも 1995年大阪府生まれ。東京藝術大学工芸家鋳金専攻卒業。幼少期に父と行った登山の記憶から、学生時代は山岳部に所属し、日本の山々からアラスカやネパール、パキスタンの山を登る。そうした旅の経験を金属の彫刻や写真作品で発表している。 HP: https://yamanishimomo.wixsite.com/momoyamanishi Instagram:https://www.instagram.com/momoyamanishi/ 山西もも個展「光の王国」 会期:2024年3月20日(水・祝)〜3月31日(日) 時間:12:00-19:00(月・火: 休廊) 会場:72Gallery 住所:東京都中央区京橋3-6-6 ExArt Bld 1F ウェブ:https://tip.or.jp/2024/5718
――まずは今回受賞された〈光の王国〉がどんな作品か教えていただけますか? 2019年に訪れたムスタンという地域でトレッキングした経験が軸になった作品です。アンナプルナとダウラギリと呼ばれる8000m級の山の狭間にある谷で撮影しました。そこは山岳で生まれた風や水によってどんどん地形が削られていくような場所で、驚くほどたくさんの化石が散らばっています。そんな場所だと知らずに歩いていた時、たまたま踏んだ石が割れ中から化石が出てくるという体験をしたんですね。その時の記憶を作品にして残せないかと考えたのがシリーズ制作のはじまりです。
――登山に興味を持たれたきっかけは何ですか? 小学生の夏休みに父親が八ヶ岳に連れて行ってくれた思い出があります。元々、大阪の盆地で育ったので山への憧れが当時からあったのかもしれません。高校に上がるとスノーボードが好きな友達ができ、その友人の影響で冬山に行くようになりました。大学では山岳部に入部。3年生のときに大学の友人がネパールの未踏の山に挑戦したことに感化され、私も何かしたいと思い立ってキリマンジャロに1人で登りに行っています。
――工芸科の鋳金専攻というユニークなバックグラウンドですよね 高校生のとき通っていた予備校の先生が東京藝大の工芸科卒の先生だったので、影響を受けたのかもしれないです。本当は彫刻科に行きたいと思っていましたが、藝大では工芸科に行くことになり、一番彫刻に近いことをやっている鋳金を選択することにしました。
――彫刻と写真の関係性という事で意識することはありますか? 最近、ロダンやブランクーシについて調べているのですが、ロダンはちょうど写真が登場したくらいの年に誕生しています。ダゲレオタイプが生まれたのが1839年、ロダンが1840年です。ですから、ロダンは写真の影響を受けた彫刻家だと思います。 これは私の解釈ですが、彫刻は重いですし、移動するのが大変です。そこで、ロダンは写真を使って自分の作品を拡散させたり、一緒に写真を展示する試みを行ったのではないかと考えます。写真は彫刻と比較すると非常に軽いという利点が生かされている好例です。
――本作品の制作にはピンホールカメラとデジタルカメラが使用されています 実は、2019年にもピンホールカメラを用いた作品を制作しており、〈光を吹く〉という作品シリーズにまとめました。その作品も登山の体験をもとにしたものです。当時、私が訪れたK2(エベレストに次ぐ標高が世界第2位の山)で目の当たりにしたのは、登山客と現地の人々の暮らしの格差でした。現地の人が荷運びのために雇われて、サンダルで高山を登っていたのは衝撃で今でも脳裏に焼き付いています。 その地域で、先進国からいきなり来た私が現地に入り込んで撮影することへの倫理的な抵抗感と、自分の作品として残したいという欲望との間で葛藤があり、現地にうまく入り込める方法はないかと考えた結果、現地のものを使ってピンホールを自作し撮影するという選択をしました。 そもそも自分が工芸科の鋳金専攻なので「何か身の回りのものを鋳造できないか」とずっと考えてきました。ピンホールという技法と出会ったことで、自分でピンホールカメラを作るというアイディアに至ったのだと思います。カメラを鋳型に見立てることで「光を鋳造しよう」という発想ができるようになり、制作が前進しはじめました。
――「割れた石から出てきた化石」と、鋳造やピンホールカメラの撮影プロセスが呼応しているのを感じました。デジタルで撮影した写真はどうでしょう? 東京藝大の写真センターにもα7 IVがあるので、この作品の時からαシリーズは使用していました。何かを記録したいとき、あるいはディテールを伝えたいときにはαを使っています。ピンホールで撮った写真と対になるデジタルの写真は「言葉」と同じように伝えるための手段として使っています。
――今回の受賞にあたってα1と大三元のレンズを借りていらっしゃいますが、使い心地はどうですか? α1とレンズをお借りしている期間に、ネパールのヒマラヤ山脈に行く機会がありました。今回はゴーキョピークという5357mの地点が最高到達点だったのですが、天気に恵まれ、そこからエベレストとローツェを望むことができました。α1はとても小型で軽量なので、持って山を登るのは簡単です。高所では気温と気圧が低いのでバッテリーが持つか心配でしたが、問題なく使用することができました。(5-6年前はバッテリーが放電して使えなくなってしまったり、気圧のせいで液晶が壊れてしまったという話をよく聞きました。) 登山途中でもα1を持って移動しているシェルパをよく見かけますね。標高の高い地域の気候にも耐えうる性能を持っている証拠だと思います。 さらに高所の酸素が薄くてあまり脳みそが回っていない中でも、ボタンを押すだけで勝手に美しい写真を撮影してくれます。今回出した写真はいっさい編集やレタッチをしていません。高画質なので、後で写真を見返した時に、ここにこんなものがあったのか!とか、撮影時には気が付かなかった発見があり面白いです。
ピンホール写真は自分の中に眠る記憶と結びつきやすいですが、α1は完全にカメラを使いこなす他者のような存在でした。登山で高度を上げれば上げるほど頭は朦朧とし、酸素濃度の関係やサンクラスの装着で視界も暗く悪くなるので、自分の見ている世界と写真で見える世界はどんどん乖離していくと私は感じています。なので、もし8000m峰に挑戦する機会があり、その旅をα1で記録したらどんな世界が写るのかとても気になります。
――最後に今回の展覧会の見どころを教えていただけますか? 私は僻地に行って写真を撮っていますが、いわゆる報道写真や一般的な自然風景を撮影した写真とは違い、簡単には撮影場所が特定できないようなぼけている写真を発表していて、それは観る人にどう受け止めるかを委ねたいからだと自分でも感じています。 最近は、ヒマラヤで化石の写真を撮るだけでなく、同時に紙粘土で形も取りました。化石は国外に持ち帰ることが禁止されていますし、持ち帰ることができたとしても重いです。そこで、紙粘土で化石を覆って型を取り、ワックスを塗って鋳造作品を制作しました。その作品も展示予定ですので、ぜひ観ていただきたいです。 最後に、今回の展示では既存の壁面を使わず、自分で壁面を作ろうと案を練っています。同様に、額についても既存のものを発注するだけでは面白みがないので、これまでの額の概念をとっぱらい「額を額として捉えない」ところを出発点として制作しようと考えています。意識して観るという行為にある外側の部分も詰めれるような展覧会を作りたいと思っています。
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