1974年生まれ。広告写真やCM映像をはじめ国内外での作品発表や出版など幅広く活動を続ける。写真と映像で培った豊富な経験と表現者としての視点を見いだされ、是枝裕和監督から映画撮影を任され『そして父になる』、『海街diary』、『三度目の殺人』と独自の映像世界をつくり出している。代表作に、『BAUHAUS DESSAU ∴ MIKIYA TAKIMOTO』、『SIGHTSEEING』、『LOUIS VUITTON FOREST』、『LAND SPACE』のほか、『Le Corbusier』、『CROSSOVER』など。最近の展覧会に「CHAOS」(Galerie Clémentine de la Féronnière、パリ、2018)、「CROSSOVER」(ラフォーレミュージアム原宿、東京、2018)、「CHAOS 2020」(妙満寺、京都、2020)など。
α7 IVで瀧本さんに撮っていただいた映像は、以前α1で撮影された「After the rain」の続編と伺いました。まずα7 IVをお使いいただいて、感じたことをお聞かせください。
仕事では機材もスタッフも大掛かりな撮影がほとんどですが、小さなカメラを手にすると少人数でフットワークを軽く撮ってみたくなります。「After the rain」も続編となる「PRIÈRE」も京都で撮影していますが、少人数どころかずっと自分ひとりで撮っています。使う機材が変わると気持ちが変わりますし、実際に撮れる写真や映像も変わってきます。
たとえば4x5などの大判カメラを携えていると、どこに三脚を立てて何を切り取ろうか考えます。手持ちで撮れないカメラだから当然ですが、無意識のうちに4x5の目線になるんです。その点α7 IVははるかに自由になれますね。肩から掛けて歩いていて、足元に草むらがある。その草の中にこのカメラを入れてみようかな、入れたら何が撮れるかな……と思う。そして躊躇せず試せるんです。
写真作品「PRIÈRE」より
α7 IVはフルサイズαシリーズの中ではベーシックモデルという位置付けですが、4:2:2 10bitや最高4K/60p(APS-C/Super 35mm記録モード時)記録など動画制作にも十分対応するスペックを備えています。瀧本さんの今回の映像作品はとりわけ約15+ストップ(S-Log3時)という幅広いダイナミックレンジが生かされているように思います。淡々と時間が流れる静かな映像でありながら、ローアングルやクローズアップ、流れるようなカメラワークなど、さりげなく駆使されたカメラワークも印象的でした。
今回の作品は主にお寺の境内で撮影していて、ほとんどは三脚が禁止されていたり、禁止とは掲示されていないけれどためらわれる状況でした。ムービーの撮影には厳しい状況ですが、三脚がなくても何かできるんじゃないかと考えてみるわけです。その結果、人にぶつかる心配がない場所では一脚を持って、自分自身がクレーンやドリーになってカメラを振ったりしました。小川の水面を撮っているクローズアップも、一脚に装着したα7 IVを逆さにして水面に近づけるようにして撮影したものです。α7 IVのような小さいカメラだからこそ出来る、自由で楽しい撮影でしたね。
映像作品「PRIÈRE」より
そうして制作されたのが「PRIÈRE」というわけですね。作品からは、水や風から独特なゆるやかさ、あるいはたおやかさのような悠久の世界をα7 IVという最新のデジタルカメラで撮影されています。これまでの作品はフィルムで撮影されたものが多いかと思いますが、フィルムとデジタルの使い分けなどはどのようにされていたり、あるいは今後されていくのでしょうか。
僕がデジタル一眼レフを初めて手にしたのは2016年頃でしょうか。写真家としてはだいぶ遅い方ですよね。正直デジタルカメラというものに興味がなかったんですが、少し撮ってみたら意外といいな、これは使えるなと。だけどフィルムの代わりにそれを使おうとは思いませんでした。どちらでもよいのなら、使い慣れていて、仕上がりも信頼できるフィルムでいいわけです。
だから「どうせ使うならデジタルでしか撮れないものを撮ってみよう」と思って、インドネシアのイジェン複合火山に行きました。硫黄分を含んだ摂氏600度近い火山ガスが、夜の暗闇でかすかに発光するんです。ずっと撮りたいと思っていたのですが、フィルムで撮れる明るさではないし、ガスマスクが必須なのでファインダーものぞけません。まさにデジタルカメラでしか撮れない世界なんです。それを撮ることができて、フィルムとデジタルを両方持っていると、撮影の可能性が広がるんじゃないかと思いました。
ではフルサイズαシリーズに興味を持たれたきっかけは何でしょうか。
CM撮影でソニーのVENICE(シネマカメラ)を使う機会があって、なぜこのカメラはこんなにきれいに撮れるのかなと思ったんです。機材に詳しいスタッフに聞いたら、センサーなどのキーデバイスをすべて自社生産しているアドバンテージだと。それでαに興味が湧いてきました。まずα1を手にして、ちょうど京都に通い始めていたので撮影してみたのが「After the rain」です。
そしてα7 IVでその続編を撮りました。もともと僕はごくふつうのカメラで写真を始めたので、小さなカメラが写真にもたらす効果は感覚的にわかっています。ただ映像撮影で果たしてどう体が反応するのかに興味がありました。実際には写真を撮る感覚で映像が撮れましたね。
α7 IVはベーシックモデルでありながら、上位機種の機能や性能を取り入れたり、それを上回る部分もあるオールマイティでお買い得なモデルでもあります。新開発のセンサーを搭載しつつ、映像エンジンは最上位機種のα1と同じというのは“いいとこどり”ともいえますが、そのあたりはどう感じられましたか?
たしかにα1はずっと使ってみたいカメラです。α7 IVはそこからスペックを抑えたとのことですが、α1にはないバリアングル液晶を搭載しているのがいいですね。これだけで撮影の可能性が断然広がります。
仕事ではさまざまなリサーチや検証をして、自分ひとりでは動かせないくらいの大掛かりな機材で撮影します。それをαのような小さなカメラに置き換えれば、スタッフやコストを削れるように思われがちです。しかしVENICEのようなシネマカメラのクオリティに小さなカメラで近づけようとしたら、むしろ手間や手数が必要になるし、それでもなお追いつかないと思います。結局シネマカメラを使った方が早くて楽なんですよね。
むしろα7 IVはひとりで持ち歩いてサッと撮れるのが最大のメリットです。それを生かしてシネマカメラや大判フィルムカメラでは撮れないものを見つけたい。たとえばCMの現場では何かひらめいても、それを実現するには新たに機材やスタッフが必要になります。でもα7 IVならそこを考えなくいいし「あっ、この光がきれいだな」と思った瞬間、RECボタンやシャッターボタンを押せる。今までそういう状況に遭遇するとスマートフォンで撮って、たぶん撮った気になっていたと思うんです。僕ももちろんそういう経験はありますが、それって残るものにならないなと常々感じていました。
誰もがカメラマンになったけれど、写真や映像を撮る敷居が下がって、丁寧な作品づくりが報われにくいというのはよく耳にします。
写真はそれが印刷されて出版物や広告になったり、あるいはプリントされて展示や売買をされてきました。広がり方は遅かったり、狭い範囲かもしれないけれど、そうやって文化が形成されてきた。それが今はSNSで一晩にして世界中に広まることもありますが、それは消費されるだけで文化になりにくい。α7 IVのように小さくて、でも優れた写真や映像が撮れるカメラが普及すると、またしっかりと作品を見せようという文化やムーブメントが生まれるかもしれません。僕自身もαで発信できるものはなんだろうと考えた結果、「After the rain」と「PRIÈRE」を制作しました。大きなカメラはひらめきを実現するのが大変ですが、小さなカメラだと柔軟に対応できます。ひらめきを映像や写真にするツールとして、α7 IVはとても有効だと思いますね。