東京・品川のソニー本社5階にある、社員専用のラーニングスペース「PORT」を巡った第1回。この第2回目では、引き続きコクヨ株式会社が運営するワークスタイル戦略情報メディア「WORKSIGHT」の編集長を務める山下正太郎さんに、未来のオフィス空間のあり方や、そこでの働き方、そしてオフィスの理想形についてお伺いしました。
「当社は1986年頃からオフィスの研究を始めて、1988年に『エシーフォ(ECIFFO)』という研究情報誌を創刊しました。円高不況の対策として、政府がニューオフィス推進運動を提唱し、コクヨはこれをビジネスチャンスと捉えて、日本の市場拡大と啓発をかねて海外企業のオフィス事例を紹介するようになったんです。その後、2009年にエシーフォが廃刊になり、2011年に『WORKSIGHT』を創刊。エシーフォでは、空間や什器などオフィスのハード面を中心に紹介していましたが、WORKSIGHTでは、働く環境や制度設計など、より広義の『働き方』を紹介するようになりました。日本のワーカーは、1社に勤める期間が長く、その会社の環境や制度しか知らないという人がとても多いんです。さまざまな事例を紹介し、働き方のリテラシーを上げるというのが、コクヨがWORKSIGHTを立ち上げた一番の目的です」
「この8年は研究者のあいだでは、第四世代のオフィスと呼ばれています。歴史的にみると18世紀後半の産業革命によって大量生産が可能となると同時に大量の伝票が生まれ、その処理のために、人が集められた空間が、近代的なオフィスの始まりといわれています。これが第一世代:テイラリストオフィスです。第二次大戦後、ヨーロッパに好景気が訪れ、賃金以外の付加価値をつけて、優秀な人材を獲得しようとしました。ワーカーに食事を提供したり、オフィスの中に公園を作ったり、リラックススペースを作ったりしたのが、第二世代:ソーシャルデモクラティックオフィスです」
「インターネットやモバイルデバイスなどを使用し、バーチャルで仕事ができるようになったのが、第三世代:ネットワークドオフィスです。オフィスの中で仕事が完結せず、いつまでも仕事が残っている状態で、1990年代以降はワーク・ライフ・バランスのあり方が盛んに議論されるようになりました。ところが、第四世代:ミックスオフィスでは、ワークとライフを積極的に統合しようという考え方に変わってきています。働く空間にリラックスできる要素を取り入れ、プライベート空間にワークの要素を取り入れる。自分にとって望ましい生き方や働き方のために、ライフとワークを混ぜていきましょうというのが、最先端のオフィスの考え方です」
「コクヨの調査では、日本のオフィスの90%以上が、まだ第一世代にとどまっているという結果が出ています。産業革命時代のオフィスのように、下から順番に情報が上がっていき、上長がハンコを押したりサインをしたりして、次の工程に進むといったイメージです。近年、日本でもようやく、働く環境を変えていこうという機運が高まってきましたよね。世界的には第四世代が訪れているといわれていますが、日本の場合は、第一世代から急いで駆け上がろうとしている状況といえます。ただし、誤解してほしくないのですが、第四世代がオフィスの理想型というわけではありません。理想のオフィスのあり方は、企業によって異なります。第一世代が向いている企業もあれば、第四世代が向いている企業もあるということです」
「アクティビティベースドワーキング(ABW)といわれる、時間と場所を柔軟に選択できる働き方が、日本でも主流になっていくと考えています。ABW は、1990年代にオランダでスタートした、働く時間と場所を自分の意思で選択する働き方です。家やカフェで仕事をしてもいい、必要ならオフィスに来てもいいといった具合です。日本では労働人口が減ってきていますから、条件に合う人を増やせるように、今後はABWを取り入れる企業が増えていくと思いますね」
「ワーカー全員分の席を用意しなくていいので、企業にとっては、オフィススペースを減らせるというメリットがあります。一方、ワーカーにとっては、仕事以外の趣味や副業、育児、介護などに、柔軟に対応できる点がメリットですね。オランダとオーストラリアは、ABWの先進国で、ほぼ全ての大企業の社員が、時間と場所を選択できる働き方を実践しています」
「いわゆる座席などがある執務スペースは減少傾向にありますが、オフィスそのものがなくなることはまだ考えにくいと思います。ABWは、移動時間が減ったり、好きな場所で働くことでモチベーションを保てたりするなど、短期的な生産性は上がりやすくなります。その一方で、長期的には帰属意識やエンゲージメントは、どうしても下がりやすくなる。それらを担保するために、オランダやオーストラリアでは、オフィス空間に工夫を凝らすケースが増えています。例えば、オーストラリアの大手銀行では、部署で占有して使える部室的な空間や、上司と1on1で深い会話ができる空間を、オフィス内に設置しています。作業する場所から、心のつながりを作る場所に、オフィスの役割がシフトしているんですね。また、人事や経理などの機密情報を扱う部屋、新規事業開発のプロジェクトルームなど、外部では調達できない機能は、この先もオフィスに残っていくと思います」
「現在、成長している企業では、単純作業のためのスペースが縮小してきています。その代わり、より難しい仕事に空間を割こうとしている。より難しい仕事とは、答えもやり方もわからないような『課題探求型』の仕事ですね。このような仕事では、さまざまな専門家とのコラボレーションが求められます。そのような仕事を後押しするうえで大切なのは、機能を限定できない空間を用意すること。どのような形のコラボレーションにも対応できるように、パーツをたくさん用意しておき、状況に応じて自分たちで編集してもらうんです。ソニーのPORTは、そういった空間の代表例といえます」
「その通りです。当社は、オフィスづくりの上流から下流まで関わっていますが、最近では、なるべくオフィス家具を置きたくないという企業が増えています。無機質でかっちりした造りの家具よりも、木製や、やわらかい曲線の家具のほうが、インスピレーションを与えやすい。課題探求型の仕事の増加にともない、家庭で使うような家具や什器が求められるようになってきています」
「大手IT企業などは、アメリカのテック企業の働き方や、オフィス空間を積極的に取り入れていますね。社内にコワーキングを作り内でも外でもない『バウンダリー』な環境でチームが働くような会社もあり、非常にユニークだと思います」
「『未来のオフィスは回帰する』と思わせる現象が起きています。若い世代のテック系企業を見ていますと、オフィスの中に農場を作ったり、ファブスペースを作ったりするなど、アナログな感覚が非常に強く求められています。PORTでも、コミュニケーションワゴンの取っ手に革を張るなど、物の質感にこだわっていますよね。いまは全世界的に、フィジカルな感覚が求められる傾向にあるのだと思います。特に、ミレニアル世代が多く働くテック系のオフィスは、どんどん古く懐かしい雰囲気になってきていますね。最近では、家具を寄付でまかなったり、拾ってきた家具を使ったりする企業もあります。安価な家具を購入して、自分たちでリメイクするようなケースも、多く見られます。完成品を買うのではなく、自分たちの手を介した物のほうが、愛着が湧くということでしょうね」
「いい取り組みだと思います。なぜなら、雑然としたオフィスのほうが、イノベーションが起こりやすいといわれているからです。例えば、とあるSNS企業の米国本社では、オフィスをラフに作ることを、かなり意識しています。レイアウトが定まっていませんし、床に落書きしても怒られないような汚れた感じを、あえて演出している。作りかけの雰囲気が空間を生き生きさせ、ワーカーの創造を促すためのトリガーになるという、明確な思想があります。そういった雰囲気をどう作るかが、現在のイノベーションオフィスにとって、非常に大きなテーマになってきていますね」
「ワーカーの創造を促すためのトリガー」となり得るオフィス。全2回の取材を通して、先進性や新たなスタイルを追い求めるだけではなく、その企業の性格や体質に真にフィットする空間づくりが、これからのオフィスには重要だということを語ってくれました。オフィスの理想形は決して一つではなく、その空間にいる人が作り上げていく。山下さんの言葉を通じて、未来のオフィスの在り方の一端を垣間見ることができました。
WORKSIGHT編集長 / ワークスタイル研究所 所長
コクヨ株式会社に入社後、オフィスデザイナーとしてキャリアをスタートさせる。その後、戦略的ワークスタイル実現のためのコンセプトワークやチェンジマネジメントなどのコンサルティング業務に従事。コンサルティングを手がけた複数の企業が「日経ニューオフィス賞」を受賞。2011年にグローバルで成長する企業の働き方とオフィス環境を解いたメディア『WORKSIGHT(ワークサイト)』を創刊。また未来の働き方と学び方を考える研究機関「ワークスタイル研究所」を立上げ、研究的観点からもワークプレイスのあり方を模索し続けている。