取材:折原 一也
今、音楽のリスニングシーンにワイヤレスが浸透し始めている。スマートフォンユーザーの約60%はスマートフォンで音楽を聴き、そのうち約2割のユーザーはBluetooth対応機器によりワイヤレスで音楽を聴いているユーザーだ。ソニーが2012年10月にワイヤレスステレオヘッドセット『MDR-1RBT』、Bluetoothレシーバー『DRC-BTN40』、ワイヤレススピーカーシステム『SRS-BTV5』といったBluetooth対応製品群を投入した背景には、そんなワイヤレス視聴の広がりがあった。なかでもソニーによる新しいヘッドホン、スピーカー製品群では、近距離無線通信NFC(Near Field Communication)の技術を利用して、スマートフォンと対応機器を「ワンタッチ接続」できるという新しい提案を始めている。
今回、新たに採用された「ワンタッチ接続」はどのような経緯で誕生し、開発が行われたのか。商品企画、ヘッドホン、スピーカー、ソフトウェア開発のメンバーから結成されたNFCプロジェクトチームから、まずは開発の背景から話を伺った。
「スマートフォンをお使いのユーザーが増えるなかで、Bluetoothの商品はワイヤレスで音とか通話を飛ばしたり便利なのに、最初のペアリングの初期設定、そして繋げた後も、繋げたり切ったりするのに設定メニューを開いたりと大変で、せっかくいい商品なのに、なかなか広まらないことを残念に思っていました。そこで、昨年の2月ごろから、まずヘッドホングループがNFCの技術を使い、タッチでBluetoothの接続を簡単にできないかという検討をスタートしました。そして、ヘッドホンだけでは寂しいね、みんなで一緒にやろうよと我々の事業部内で声をかけあって、スピーカーグループとヘッドホングループの共同で商品化をスタートしました。ただ、NFCというものは、まったく我々にとっても新しい技術でした。そこで、ソニーのなかにあるフェリカ事業部というNFCのデバイスをやっている事業部がありまして、そこのメンバーに協力してもらい、形にしていきました。」(福田氏)
NFCとはソニーとフィリップスが共同開発した、近距離無線通信技術だ。2011年後半からアンドロイドOSを提供するGoogleがNFCをスマートフォンの重要な機能として公式に推進を始めており、国内でも今年冬以降に登場するスマートフォンでは必須の機能になろうとしている。NFCに採用されている技術は日本の「おサイフケータイ」や、EdyやSuicaに採用されている、電子マネーとして利用可能なFeliCaの仕様を含んだ上位互換規格となっており、タッチと呼んでいいほどに近づけることで双方向の通信を可能とする仕組みだ。
さて、それでもNFCの技術とヘッドセット、スピーカーといった技術にはまだ大きな隔たりがあるように感じるだろう。しかし、一見無縁にも思える組み合わせへの取り組みは、実のところソニーの社内では10年ほど前から接続に利用するアイデアがあったという。
「今回のNFC接続のルーツとして、ソニーでは10年ほど前に"FEEL"というプロジェクトがありました。これは我々のソニーコンピュータサイエンス研究所で研究していたもので、ある機器と機器を繋げる時に、例えば、NFCや赤外線通信で一度通信して、それをきっかけに別の便利な通信、BluetoothやWi-Fiを繋ぐという研究開発がされていました。もっとも、10年も前ですから、この時点ではBluetoothもスマートフォンも広まっていませんでした。ようやく時代が追いついてきて、スマートフォンにNFC、FeliCaの機能が入って来たので、いよいよ世の中に準備が整った際に、我々としては機器と機器を繋ぐところのこの技術を使っていこうと、みんなで議論して決めました。また、世界標準としてNFCというグローバルな規格を決めて行くなかで、ソニーが主導して他社とも一緒に機器設定を繋げるという、今回の繋ぎ方に関する内容も将来的には便利に使えるものと想定して決められていました。」(福田氏)
10年の時を経て、満を持してNFC対応開発が始まったのは昨年のこと。冒頭で説明したNFCに関連するメンバーが商品企画、ヘッドホン、スピーカー、ソフトウェア開発から集まり、部署を超えたNFCプロジェクトチームが結成され、開発がスタートした。
いざ、NFCを利用してスマートフォンとヘッドセット、スピーカーのペアリングを行う−−という方針が決まった後には、対応するスマートフォン、ヘッドセット、スピーカーに実装していく開発のステップが待っている。NFCによって通信を行い、スマートフォンとNFC対応機器のBluetoothのペアリング設定を行うということ自体、アイデアはあっても、今までのスマートフォンでは全く実装された前例のない試みだ。
そこで、AndroidTMのスマートフォン向けに、GooglePlayで公開されているBluetooth接続用のアプリケーション「NFC簡単接続」を開発した神田氏に話を伺うと、意外な答えが返ってきた。
「アプリ開発は……とても簡単でしたね(笑) この"N"マークが付いているところにタグが埋め込まれていて、Bluetoothのアドレスや名前、サポートしているプロファイルといった情報が書かれていて、携帯をかざす時に読み取り、従来手でやっていた作業を自動的にやるもので、それほど技術的に難しいことではありませんでした。AndroidTMの場合はフレームワークが用意されているので、それを組み合わせることで実装しています。」
もっとも、簡単に作れたのはあくまでもアプリの設計の話で、実際に対応するスマートフォンの端末サポートまで含めると話は一気に複雑になる。理由は、「NFC簡単接続」のアプリでは、NFCだけでなく日本のスマートフォンで幅広く採用されている、FeliCaをベースにした「おサイフケータイ」による接続にも対応するためだ。
動作上の違いは、NFC対応の機種ではアプリをインストール済みであれば起動していなくてもワンタッチでペアリングできるのに対して、「おサイフケータイ」対応の機種ではアプリを起動した状態でタッチして接続する。例えば、ソニー・モバイル・コミュニケーションズのスマートフォンでは2012年の11月〜12月に発売予定のXperia AX SO-01EではNFCに対応、それ以外ではXperia acro以降の機種でもFeliCaをベースにした「おサイフケータイ」対応により利用可能だ。勿論、動作確認済み接続機器に挙がっている機種であればソニー・モバイル・コミュニケーションズ以外のスマートフォンも接続に対応する。
「一番大変だったのが、スマートフォンの機種ごとの差、というものがありました。NFCはGoogleさんが作った標準の仕組みで開発していますが、FeliCaの方はFeliCa用のソフトウェアが提供されていて、それを使うようになっています。日本の「おサイフケータイ」ではバックグラウンドでFeliCaを読むことを許していないので、日本のように浸透している国ほど、その流儀に合わせて作らないといけないという苦労はありました。もともとFeliCaには接続に使うというユースケースというのは存在しないので、スマートフォンとしては初体験のことを我々のアプリが今回やっていているんですよね。」(神田氏)
「Edy、Suicaといった「おサイフケータイ」では、FeliCaの仕様から見るとスマートフォンはリーダーから読まれる側なんですよね。相手にもっと強いリーダーがいて読まれる側で、カードをかざすのと一緒なのです。それに対して今回はスマートフォン側が、対応機器の情報を読みに行く。スマートフォン側から読みとるケースというのは、今まで日本であまり使われていなかったので、各社のNFCスマホのリーダーの性能の違いに苦労しました。そうした端末個別の実装の違いに対する対応が、開発終盤では最大の苦労した点でした。」(福田氏)
スマートフォン側のアプリの開発が進む一方で、今回のNFC対応ヘッドセット、スピーカーの第一弾の製品群に対しても、NFC対応モジュールを組み込む開発が進められていた。こちらも世界初となるNFC対応ヘッドセット、スピーカーの製品開発にあたっては、セットに組み込み可能な極小サイズのNFC対応モジュールを、ヘッドホンのチームとFeliCa事業部が共同開発して新規に作るところからスタートした。
「(ヘッドセット型のDRC-BTN40を手に取って)NFCの通信モジュールは、このクリップ型の部分のなかに入っています。縦が約9ミリ、横が26ミリ、薄さはほとんどコンマ何oというレベルのモジュールになっていまして、このなかに収まるくらいに小さくなりました」(小山氏)
NFC対応機器に実装するNFCモジュールが完成してからは、改めて先ほどにも挙がったスマートフォンごとに、読み取るパワーの特性がスマートフォンという機種ごとにバラバラという問題に直面した。
NFCやFeliCaでは仕様上10cm程度までの読み取り可能としているが、スマートフォンではバッテリー駆動をしていることもあり、実際に読み取りはタッチ前提のせいぜい数ミリ程度。特に電波を出して読み取る側になる使い方に慣れていない日本のスマートフォンメーカーもある。「NFCにはアンテナがあるので、近くに電池や基盤などの、構造物があると途端に特性が悪くなるんですよ。そこで電磁界シミュレーションを使ってどういう特性になるのか、そういった観点からテストしていて、最適解を出して場所を決めています。こんな小さいアンテナで、どれだけ感度を高められるか、というのはハードウェア、ソフトウェア含めて、NFCチームの一番の課題になりました」(小山氏)
もちろん、同じようなNFC電波の信号をより確実に届かせるための設計の苦労は、同時にNFC対応製品として送り出されたヘッドホンのMDR-1RBT、スピーカーのSRS-BTV5でも共通だ。
「(ヘッドホン型のMDR-1RBTを手に取って)これも、アンテナは外装面から1.5ミリのところにあるんですよね。実際には厚みが2ミリ以上あったんですけど、NFC部分を彫り込んで距離を近づけています。ここらへんはメカ設計と何度も議論しながら作っていきました。」(小山氏)
「スピーカーのSRS-BTV5については、ユーザーのタッチしやすい場所は製品の上面になるのですが、球形のデザインが特徴のこの商品の場合、タッチするところが曲面になります。曲面だとこの下に通信モジュールを入れると、平面の場合と比べてどうしても距離が出てしまい感度は不利に働きます。上面を平らにすることはデザイン上考えられなかったもので、まわりの金属が良い方に働く配置はないか等シミュレーションを重ねた結果、予定通りのデザインのままヘッドホンと同じ性能にすることができました。」
実際にNFCチップを内蔵したヘッドホンのMDR-1RBT、ヘッドセット型のDRC-BTN40、スピーカーのSRS-BTV5を見ても、わずかに"N"のマークが刻印されてNFCのタッチ箇所が示されているのみで、外観上ほとんど変化がない。しかし、その裏では各社、仕様も一定していないスマートフォンとの接続を確実に行うために、設計陣たちによる悪戦苦闘があったという訳だ。
幾多の苦労を経て完成したスマートフォン用の接続アプリと、NFC対応のヘッドセット、スピーカーによる接続は、実際に使ってみると機器同士のワンタッチでBluetoothによる接続が完了する。一度タッチすれば自動的にアプリが動作してペアリング・接続をし、再度タッチすれば接続を解除、という実に分かりやすいものだ。NFC対応のモデルでは音楽アプリで曲を再生している最中に、タッチするだけで音楽の再生先を切り替えられる体験も新しい。
NFCによる「ワンタッチ接続」の便利さのポイントとして製品の開発陣として強調したいのは、スマートフォン側の操作の簡略化だけでなく、対応機器側の操作も簡単になっているためだという。
・福田氏
「実は今回のNFCでは、タッチして接続するだけでなく電源オンをする機能も持っているんです。実はこの時、待機電力も使いません。NFCというのは、スマホの方が電源を出してくれて、相手側の電力のやりとりをするんですよね。だから読み取られる側は相手から電波が来たというで、電源をオンにするのと同じ信号を入れています。なので、かざすだけで電源をオンして、接続して、音が出るところまで一気通貫になるんです。今まで8手順、9手順かかっていた手順が、たった1ステップになるからこそ、我々では「ワンタッチ」と呼んでいるんです。この電源まで入るところが、実際に使っていただいた皆さんに驚いていただいているんですよ。」
NFCによるワンタッチによる操作には、「接続」「切断」「切り替え」のアクションが可能になっている。まず、スマートフォンとNFC対応機器を1度タッチで「接続」、再度タッチで「切断」、更には例えばヘッドセットに繋いでいたスマートフォンをそのまま別のスピーカーにタッチすると音声の出力先を切り替えられる「切り替え」も可能だ。
この3つのアクションはよりシンプルにNFC接続をするために厳選して作り込まれたもので、スマートフォンで通話中でもタッチ操作で機器を切り替えられたりと、今までの設定画面を開く操作にはないほどスムーズに移行できるようになっている。
最後に、今回のNFCプロジェクトに関わった4人のメンバーからの一言を紹介したい。
●企画マーケティング部門 Sound商品企画部 福田 和博
最近ソニーのなかにいても、「ソニーさんからおもしろいものでてきませんね」って言われて、じくじたる思いをしていたのですが、今回は新しい提案ができたと思っています。実際に体験してみると、すばらしいと感じていただけると思っています。
●V&S事業部 PE2部 3課 大口 伸彦
今までスピーカーだけ持っていた人は、ヘッドホンを買い足したらワンタッチ。ヘッドホンを持っていたひとはスピーカーでワンタッチ。両方持つとこのワンタッチは2倍の良さがあるので、そういうユーザーがどんどん増えてきて欲しいですね。
●V&S事業部 PE1部 3課 小山 昇
とにかく、触っていただきたいですね。NFCを一度触って、使うともうやめられません(笑) 色んな、多くの人に体験していただきたい。それからどんどん、これを起点にNFCが広まっていくと嬉しいですね。
●ソフトウェア設計本部 ホームアプリケーション設計部門 6部 7課 神田 学
NFCは自分が最初に使ってみて、おおーって面白いと感じた技術で、恐らく自分達が面白いと思ったことはお客様にとっても面白いと思うので、是非多くのお客様に使っていただきたいなと思っています。そして、GooglePlayの「NFC簡単接続」のアプリに星5つを付けてくれるとありがたいなと(笑)
既に店頭に並んでいるNFC対応のスピーカー、ヘッドホンと、NFC内蔵のソニー・モバイル・コミュニケーションズの最新スマートフォンXperia AXを用意して「ワンタッチ接続」をトライしてみると、今までBluetoothのペアリングをするためにスマートフォンの設定画面を開いたり、ボタンの長押しをしたりと、接続までにどれほど手間がかかっていたかを思い知らされる。「ワンタッチ接続」対応機器であれば、これからはスマートフォン本体のスピーカーからヘッドホン、スピーカーと次々にタッチするだけで、出力先の切り替えが可能になる。Bluetooth対応機器のペアリングが「ワンタッチ接続」で済む利便性は、一度体験すると引き返せないほどワイヤレスによる音楽のリスニングを身近なものにしてくれる筈だ。