TV に酷い出来事が映る。だが事件や災害がどのように特別に悲惨であったかよりも、その出来事がその人達から大切な日常というものを奪い去ってしまった事。いかに日常と言うものが大切だったかということ。そこに人間として考えるキモがあることを忘れてはいけない。古来ひとは95%以上の日常とほんの数パーセントの非日常と一緒に暮らしてきた。非日常には”ハレ”とも言える良い非日常と、"ケ”とも言える悪い非日常がある。この良悪をわける線引きは簡単だ。好きな時に日常に帰ってこられるのが良い非日常。もう戻って来られないのが悪い非日常。当たり前の事だが、だとすれば人は無意識にせよ、日常の方を基準に生きているのだ。
報道に限らない。ものを作ってみせると言うのは、ひとまず、めずらしいものを見せた方がインパクトがある。しかしより重いのは普通の日常である。日常に繋がった所に答えに近いものがある。そのことを忘れないでいたい。 特殊な立場にたって、別世界に行ってしまって、恐ろしく変わったものを造り出そうと、オザワは思っていない。そういうすばらしい作家達もいるが、そうなりたくない。John Lennon と言う人がいる。この人が、「imagine」と歌うとき。「A Day In The Life」と歌うとき、これだけの大アーチストの歌声から、特別な人だけに解る特別変わった色合いを感じない。このひとは偉大に日常を歌える。あるいは僕たちの日常のあくまでも延長線上に夢を(音楽的にも思想的にも)歌える人なのだ。それでいて私小説にはならない。なんだか分不相応にすごい人を引き合いに出してしまったが、まあそんなことも考えながら、写真を撮っています。