研究開発・共通ソフトウェアプラットフォーム 技術開発本部 共通要素技術部門 信号処理技術2部
酒井和樹 (シニア リサーチャー)
金井さんから「スピーカーリロケーション」の話があったのは、2009年の終わりくらいでした。これは開発期間としては異例に短くて大変でした(笑)。まあ原理は簡単で、ファントム定位によりスピーカーを「再配置」するのです。最低2個のスピーカーにターゲットとなるスピーカーの音圧を配分して、設置されている場所とは異なる位置や角度にスピーカーを定位させるだけ。でもこれがなかなか難しい。「A.P.M.」で位相特性の問題は解決していますが、もう一つ難しい問題がありました。それはスピーカーを正面、横、後ろに置いた場合、人間が感じる音圧感が違うんです。
聴く人は前を向いているわけですが、方向により聴こえる強さが違います。映画や音楽のソフト(音源)を作る人は、結果を聴きながら音を配置しますから問題なく希望の音場が作れます。しかしスピーカーの位置を変えてしまうと音圧を再配分したただけではまだ配置がずれているんです。耳の特性の問題です。
つまり「移動」のために数学的な再配分の計算をすることはできても、人間にはその通りには聴こえないんですね。いったんは、数学的に作りますが、それを評価して修正するのはやはり人間のなのです。その点が開発で時間がかかる部分で、「HD-D.C.S.」の反射音のファントム配置などで培ってきたこれまでのノウハウを総動員し、完成にたどり着くことができました。時間との戦いで、そこがいちばん苦労しました。たくさんの人に聴いてもらい、意見を伺いながら調整を進めていきました。金井さんや佐藤さんには初め「変」と言われましたが……(笑)。
はい。「変」でしたよ(笑)。
いや、「かなり変」でしたね(笑)。でも、その試行錯誤のお蔭で、最終的にはよいものになったと思います。
さて、ソニーの音場補正技術は次第に進化し続けてきましたので整理してご説明します。スピーカーの距離、音圧、周波数特性までを補正するのが基本的な「D.C.A.C.」です。これはお城でいえば、お掘りや石垣となる土台の部分です。この「D.C.A.C.」に 「A.P.M.」機能が加わったのが 「アドバスントD.C.A.C.」。土台の上に御殿が建った感じ。さらに「スピーカーリロケーション」がついたのが「TA-DA5600ES」の「D.C.A.C.-EX」です。天守閣が建てられたといえますね。
「スピーカーリロケーション」は位置の「補正」のほか、4チャンネルや5チャンネルの環境であっても7.1チャンネルの音を聴くことができるメリットも大きいです。まず7.1チャンネルで記録されたブルーレイディスクソフトの再生に威力を発揮します。また5.1チャンネルの映画ソフトでも、サラウンドスピーカーの数が増えたのと同じように豊かな音になります。
昨年から搭載した「HD-D.C.S.」は、映画館の広がりを7.1チャンネルで生成しますが、リロケーションによりスピーカーの数が少ない環境でも7.1チャンネルの残響が全部聴こえますので、とてもリッチな音場が再現します。また「HD-D.C.S.」では今回、フロントハイスピーカーを鳴らせるように機能を追加しました。従来の水平方向の広がりに加えて垂直方向の表現力を高めたサラウンド技術です。もちろん、ドルビープロロジックIIzも搭載しています。
「HD-D.C.S.」はソニー・ピクチャーズ エンタテインメントにあるダビングシアターの音場を再現し、まるで映画館で作品を鑑賞するような体験ができるものです。さらにスクリーンの中から音が出てくる感じの再現に挑戦したのが「HD-D.C.S. フロントハイ」です。映画館のスピーカーはスクリーンの裏にありますから、まるでスクリーンから音が出てくるように感じます。しかし家庭ではスクリーンの下にスピーカーを置くのでそうなりません。そこでフロントハイスピーカーで映画館の天井方向からの反射音を再現したのです。人間は反射音で音源位置を認識しますから、これで映画館と同じ位置から音が聴こえるようになりました。スクリーンから音が出る感じを一度味わうと、もう元に戻れませんよ。
このフロントハイを利用する「HD-D.C.S. フロントハイ」は、「TA-DA5600ES/DA3600ES」の両方に搭載しています。サラウンドバックチャンネルが使えなくなりますが、サラウンドバックスピーカーは設置が難しい環境の方が多いのに対して、フロントハイスピーカーはフロントスピーカーの上部スペースなので、設置の空間的な難しさはむしろ少ないでしょう。小型で結構ですが、低音までしっかり出るスピーカーを使ってください。
それから「TA-DA5600ES」では「スピーカーリロケーション」がサラウンドバックをファントム生成しますので、フロントハイ使用時でもサラウンドバックの音源を鳴らすことができ、9.1ch状態の「HD-D.C.S.」を聴くことができます。