音楽を聴くスタイルが多様化していく中、Bluetoothヘッドホンへの関心が高まっている。ソニーが2016年3月に発売した「h.ear on Wireless NC(MDR-100ABN)」は、高いノイズキャンセリング性能とデザイン性を兼ね備えたBluetoothヘッドホンとして市場を席巻した。そして今回、ソニーはワイヤレスヘッドホンの新たなフラッグシップ「MDR-1000X」を投入する。h.ear on Wireless NCを超える高い音質とノイズキャンセリング性能にこだわりながら、デザイン性も追求。開発者が自信をもって送り出す期待のニューモデルについて伺った。
――はじめに、どんなことを目標にMDR-1000Xの開発はスタートしたのでしょう。
井出 ノイズキャンセリングヘッドホンの一番の魅力は、外界のノイズをシャットアウトして純粋に音楽を楽しめることです。ソニーは2008年に初めてデジタル信号処理によるノイズキャンセリング機能を搭載した「MDR-NC500D」を発売しました。それ以来、移動中のビジネスマンなどに音楽をもっと楽しんでいただきたいと考え、とにかく騒音のない中で音楽を楽しむことを追求して製品開発を行ってきました。そして今回、「業界最高クラス(※)のノイズキャンセリング」を目標に、ソニーの持てる技術をふんだんに投入して実現した「最高の音質」を、Bluetooth機能による「ワイヤレス」の状態で、「自分らしく快適に」楽しんでいただけるMDR-1000Xを完成させました。
※ノイズキャンセリングヘッドホン市場において。2016年9月1日時点、ソニー調べ。JEITA基準に則る。
――では、「業界最高クラス(※)」と自信をもって言われているノイズキャンセリングの秘密をお聞かせください。
※ノイズキャンセリングヘッドホン市場において。2016年9月1日時点、ソニー調べ。JEITA基準に則る。
井出 MDR-1000Xに搭載した「デュアルノイズセンサーテクノロジー」と「パーソナルNCオプティマイザー」により、今までのソニーのノイズキャンセリングヘッドホンの中でも、そして業界においても、最高クラスの性能を実現しました。 本機種では、専用のドライバーユニットを搭載したことや、ノイズキャンセリングにおける信号処理をブラッシュアップすることで、特に飛行機搭乗時の機内ノイズや電車・バスの走行ノイズなどの非常に低い音域のパワーが大きいノイズをキャンセリングする性能を向上させることができました。それらの走行ノイズは、「ほとんどなくなる」と言っていいくらいに消えると実感しています。さらに、これまでは苦手だった比較的高い周波数までノイズキャンセリングの帯域を伸ばすことができたので、例えば周囲の人の声なども、以前の機種よりかなり低減できるようになりました。 しかし、ヘッドホンは人によって装着状態に違いが出ることから、ノイズキャンセリング能力に差が出てしまうんです。そこで、個別に処理方法を調整し、その人にとって最良のノイズキャンセリング機能を発揮させる「パーソナルNCオプティマイザー」を新開発しました。
――パーソナルNCオプティマイザーの仕組みをお聞かせいただけたらと思います。
松本 例えば、メガネを掛けている場合などに、イヤーパッドと頭の間に隙間ができ、音が漏れてしまうことがあります。ノイズキャンセリング機能は非常にデリケートで、少しでも隙間があると性能を発揮しきれない場合があります。そのような状態でもベストなパフォーマンスを引き出すのが、「パーソナルNCオプティマイザー」です。装着した状態で機能をONにすると、「ガイド音」と一緒に「測定音」が流れてきます。内蔵したマイクが測定音をキャッチし、装着状態を推定し、その状態に合わせて、ノイズキャンセリング処理を調整するというものです。測定音はユーザーにとって耳あたりのよい信号を新規に開発し、十数秒で終わらせるよう工夫しています。
――ノイズキャンセリング機能自体についてもお聞きしたいのですが。
井出 搭載する主なノイズキャンセリングの機能は「デュアルノイズセンサーテクノロジー」と「フルオートAIノイズキャンセリング」の2つです。「MDR-1RNC」から採用しているデュアルノイズセンサーテクノロジーは、ハウジングの内側と外側に搭載した2つのマイクで外界のノイズを検知し、それに対して信号処理をかけることでノイズキャンセリング用の信号をつくっています。デジタルノイズキャンセリング用のICを独自に開発しており、信号処理の遅延を最小限に抑えることでデジタル処理でも高いノイズキャンセリング効果が得られています。これまで、さまざまなノイズキャンセリングヘッドホンを発売してきましたが、「業界最高クラス(※)」のノイズキャンセリング性能を実現するために、今まで培ってきたノウハウを整理し、改善できるポイントを探っていきました。そのため、通常のモデル設計よりもはるかに長い時間をかけて検討をさせてもらい、マイクやドライバーユニットなどの位置を最適化することなどさまざまな発見があり、ノイズキャンセリング性能を飛躍的に向上させることができました。
※ノイズキャンセリングヘッドホン市場において。2016年9月1日時点、ソニー調べ。JEITA基準に則る。
――そして、もう一つは「フルオートAIノイズキャンセリング」ですね。
井出 これは、周囲の音を分析して自動で最適なキャンセリング処理を行う技術です。「飛行機・一般」や「電車やバスにのっているとき」、「オフィスなどの静かな環境」も想定した3つのモードを設定しています。モードは自動的にシームレスに切り替わるので、例えば電車からホームへ降りたときなど、気づかないうちにその場に最適なノイズキャンセリングの状態にしてくれます。
――イヤーパッドの遮音性も重要ですよね。
横山 はい、ノイズキャンセリング性能を上げるためにはイヤパッドと頭の間の密閉度が求められるので、イヤーパッドは人の頭に触れた部分に隙間ができないよう、頭の形に追従する素材や形状であることが重要です。MDR-1000Xには、材料メーカーと共同で開発した非常に柔らかく伸びがよい合成皮革を表面に使っています。内部の素材は、これもまた人の頭の形に追従しやすく、遮音にも効果がある「低反発のウレタンフォーム」です。伸びの良い合成皮革を使用するとウレタンを巻き込むように包んで内側に縫い目を設けられるため、縫い目から空気が漏れません。また、縫い目部分は硬くなるため、縫い目が頭に触れない構造をとることで柔らかく、頭の形に沿いやすいという利点もあります。今回開発した合成皮革は伸びの良さだけではなく、厳しい基準をクリアした耐久性をもっていますので、しっかりと長く使っていただけます。さらに装着時の快適性をより高めるため、合皮には特殊な加工を施して高い吸放湿性を持たせています。装着時に蒸れにくく、快適な付け心地を維持できます。
――高音質を実現する3つの機能について教えてください。
井出 高音質を実現する機能として、1つめにソニーのヘッドホンでは初搭載の「DSEE-HX」(*1)が挙げられます。これはBluetooth接続時、 mp3などの圧縮音源をハイレゾ相当の高音質で楽しむことができる機能です。サンプリング周波数とビットレートを音源本来の数値よりも高めて、ハイレゾ相当の高音質にアップスケーリングできます。それにより高域の成分が足されて、より豊かできらびやかになる。そして、ビットレートが16から24ビットに増えるため、ダイナミックレンジの「音の滑らかさ」が、従来の圧縮技術よりも増すと考えています。本来は音源に“ない”音の成分が足されることを不思議に思われる方が多いのですが、DSEEに関してソニーは非常に長い歴史を持っており、音源に“ある”音の情報を見て「高域を補完する」技術を有しています。「もともとは、こういう音だろう」と、カットされている高音域の成分を低音域の成分から予測し生成することで、周波数帯域を拡張しながら、自然な音を作り出すことができます。
2つめは「LDAC」。ハイレゾ音源をBluetooth経由でもハイレゾ相当のクオリティを保ったまま送信できるようにするソニーが開発した音楽圧縮技術です。従来のBluetooth圧縮技術のSBCなどに比べて、約3倍(*2)のデータ量を送信することができ、ハイレゾ音源だけでなく、従来からお持ちの音源でもデータに忠実な音を無線で楽しめます。 そして3つめの「S-Master HX」は、ソニー独自のフルデジタルアンプ「S-Master」をハイレゾ音源に対応させたものです。ハイレゾ音源の再生帯域のノイズを除去する性能が上がり、音質が向上することで、ハイレゾ音源をより楽しめるデジタルアンプになっています。MDR-1000Xは、ソニーのワイヤレスヘッドホンのフラッグシップを目指したモデルですが、高音質の実現において、この3機能は不可欠なものでした。
*1:SBC/AAC/aptXのコーデックによるBluetooth接続時のみ有効(LDACによるBluetooth接続時や有線接続時は無効)
*2:Bluetooth A2DPのSBC(328kbps、44.1kHz時)との比較
――「高音質」の鍵となるドライバーユニットについては、いかがでしょうか。
井出 ドライバーユニットはMDR-1000X専用に開発しており、ケーブル接続時ならハイレゾ再生も可能です。ドライバーユニット自体を広帯域化しているのですが、特に注力しているのは低域の高感度化です。これは低域で大きなパワーを持つ飛行機や電車のノイズに対応するためです。ドライバーから大きな音圧を出すためには振動板の振幅を大きく稼がねばならず、それには振動板をハイコンプライアンス化といって、「柔らかい」形状にしなければならない。ところが、そうすると今度は高域が出にくくなる。振動板自体の物性としては「堅くて軽い」ほうが、より高域まで再生できるのです。この相反する関係を克服すべく、独自のシミュレーション技術を使って試作を繰り返しました。結果、低域から高域まできちんと再生できる形状を割り出すことができ、それを実際の振動板に採用しています。また、高域の再生をより伸ばすために、ボイスコイル自体も非常に軽量なものを使いました。それにより、高域でリニアリティの高いレスポンスが実現できました。
――ドライバーユニットには、他にも何か特長があるのですか。
井出 振動板の素材には、ソニーのハイエンドなモデルやプレミアム価格帯のモデルに使用している「アルミニウムコートLCP(液晶ポリマー)」を採用しています。液晶ポリマーは軽くて堅く、かつ内部損失が高い素材です。内部損失が高いことで、余分な響きなどが音に乗らず、音源に対して何も色付けをせずに再生できます。そして液晶ポリマーをアルミニウムで薄くコーティングすると、内部損失がさらに向上し、超高域までクリアな再生が可能になります。このドライバーユニットの全帯域を高感度化し、ノイズキャンセリングにも適したものにしています。低域の感度が非常に高くありながら、ハイレゾ帯域まで出せるドライバーの開発って結構難しいんです。 このドライバーユニットにより、高いノイズキャンセリング性能を発揮しながらも、Bluetoothヘッドホンとは思えない良い音を楽しむことができると考えています。
――「こういう音を目指そう」「このジャンルで聴いてほしい」という思いはあるのでしょうか。
井出 従来のMDR-1シリーズと同様に最新の音楽トレンドをとらえながらも、ジャンルを選ばずにさまざまな音楽を楽しめるような音作りをめざしています。トレンドは毎年少しずつ変化していきますので、それに合わせて私たちも少しずつ音作りを変化させています。近年の音楽トレンドはアコースティックな要素が増えており、低域〜中域のバランスをより自然に聴けるような調整を行いました。ノイズキャンセリングヘッドホンは若い方から40代のビジネスマンなど幅広い年齢層のお客様がお使いになると考えていますが、ロックやポップスだけでなく、ジャズやクラシックまでさまざまなジャンルを、それぞれのお客様の嗜好に合わせて楽しんでいただける音質に仕上がったと思っています。
――ケーブルが着脱式になっていますが、これも高音質に関係がありますか。
井出 付属ケーブルのOFCには銀メッキを施した「銀コートOFC線」を採用しています。MDR-1000Xはケーブルで聴いたときの音質と、Bluetoothでつないだときの音質がほぼ一緒で、どちらでも同じような状態で楽しんでいただけます。なお、「ノイズキャンセリング」や、「外音取り込み」の機能は、ケーブル接続時にも動作させられます。
――ノイズキャンセリング機能で使う内蔵マイクを、別の目的にも活用しているそうですが。
松本 はい、「外音取り込み(アンビエントサウンドモード)」という機能にも利用しています。具体的には、周囲の外音をノイズキャンセリング機能で使っているマイクで取り込み、音楽と一緒にヘッドホンから鳴らします。私が入社した2008年頃、ソニーから世界初のデジタルノイズキャンセリング機能を持った「MDR-NC500D」というヘッドホンが発売されたのですが、そこにマイクが搭載されていることを知ったとき、私には別の思いが湧いたんです。デジタルで信号処理をするようなプロセッサーが入っているなら、他にもいろいろできるはずだと。そのインスピレーションをもとに完成させたのが今回の外音取り込み機能で、今までとは違うリスニングスタイルを選択肢として提供できます。例えば、音楽に没頭したいというわけではなく、外の雰囲気も味わいながらBGM的に音楽を聴きたい、あるいは、 音楽を聴きつつも、周囲の音やアナウンスは気にしていたい、そんなニーズにぴったりの機能で、「ノーマルモード」と「ボイスモード」を用意しています。「ノーマルモード」はご説明したように、音楽を聴きつつも周囲の音の雰囲気を味わうためのモードです。周りの音を全部取り込み、自然に聞かせてくれます。それに対し「ボイスモード」は、人の声を聞かせながらも、聞きたくない騒音は極力消すモードで、音楽を聴きつつも、電車内のアナウンスや、人に声を掛けられたときに気づくことができます。
――それを素早く作動させることができるのが、このクイックアテンションモードですね。
松本 そうです。手のひらでハウジングの全面に触れると、すぐに外の音が入ってきます。離すとまた外の音は消える。例えば、電車の中で「車内放送だ」と思ったときや、「外の音が聞きたい」と思ったときに、すぐに機能させられます。レジで会計をするときなどにも便利ですよ。「ノーマルモード」「ボイスモード」では音楽のボリュームはそのままですが、クイックアテンションモードでは音楽のボリュームが少し落ち、外の音がより聞きやすくなります。これまでにも「モニターモード」という外の音を聞ける機能はあったのですが、それはあくまでも緊急用という位置づけでした。しかし、MDR-1000Xの「外音取り込み」機能は外の音も自然でクリアに聞けることを目指し、音響設計メンバーと信号処理技術開発メンバーとで協力して完成させました。私は「外音取り込み」機能をサブ的な機能ではなく、新しい一つのフィーチャーと位置づけています。さまざまな場所でフィールドテストを重ね、性能改善を続けてきて、満足する性能が出せましたので、皆さんには多くのシーン使って欲しいと考えています。