サウンドシーンに革命をもたらしたものの、一般的にはまだ高価なイメージがあるハイレゾオーディオ機器。それに対するソニーの答えが、カジュアルさとハイコストパフォーマンスをテーマにしたヘッドホンの新コンセプト"h.ear™"だ。そしてそのインナーイヤーヘッドホンラインナップ"h.ear in"の先鞭をつける製品こそが、h.ear in/h.ear in NCである。h.ear inにはベーシックモデルの『MDR-EX750』、スマートフォン用マイク/リモコンを装備し5色のカラーバリエーションを揃えた『MDR-EX750AP』、さらにハイレゾ対応インナーイヤーで初めてデジタルノイズキャンセリング機能を搭載したh.ear in NCがある。口径9mmという極小にも関わらずパワフルな音を実現するドライバーユニットを新開発し、コンパクトさの中に挑戦的な技術を凝縮したh.ear in/h.ear in NCは、ハイレゾの世界に何をもたらすのか。音響・メカ設計を担当したソニー株式会社ビデオ&サウンド事業本部V&S事業部サウンド1部MDR設計1課の桑原英二氏と、ノイズキャンセルモデルを担当したMDR設計4課の井出賢二氏に開発にかける思いを聞いた。
まずは、シリーズ全体の大きなコンセプトからお聞かせください。
桑原 今回の新シリーズでは"h.ear in"という名前で展開していますが、これはハイレゾヘッドホンのエントリーモデルとして発表させていただきました。ソニーはこれまでハイレゾを普及・拡大してきましたが、インナーイヤーモデルとしては従来の3モデル(XBA-A2、XBA-A3、XBA-Z5)とも高価格帯であり、種類もまだ多くない。今後さらなるユーザー層の拡大を図るために、もう少し気軽に求められるモデルが必要だと感じたのです。また今回、『MDR-EX750AP』 においては5色のカラーバリエーションを用意し、より多くの方のニーズに応える狙いもあります。
井出 「Xperia™」などのスマートフォンがハイレゾ再生に対応し地盤が整ってきているので、ここで若い方を始めとするさまざまな層へのアピールをしていこうということですね。
本機では口径9mmという、昨今では小口径のドライバーユニットが採用されています。ドライバーユニットは大きい方が音が良いという印象が一般的にあると思うのですが、あえて9mmにした理由は?
桑原 h.ear inを開発するにあたり、ドライバーユニットに求められた要件は二つありました。一つは小型かつ高感度、そしてもう一つはハイレゾ対応です。小型かつ高感度については、カジュアルなインナーイヤーモデルということで、より多くの人にフィットすることが求められました。口径9mmというのはソニーのヘッドホンシリーズの中でも最も小さい部類に入りますが、この口径ならかなりコンパクトな筐体が作れ、装着性も向上します。口径と感度の関係で言うと、たしかに口径が大きい方が有利という傾向はありますが、今回はこのサイズでも十分な高感度を達成することに成功しました。
その秘密とは?
桑原 これは今までインナーイヤーヘッドホンでは殆どやっていなかったことですが、外磁型磁気回路を採用したことです。ドライバーユニットの駆動力や感度に影響するのはマグネットです。従来モデル『MDR-EX150』のものと見比べてみると分かりますが、『MDR-EX150』がボタンのような形状なのに対し、h.ear inのマグネットはドーナツのようなリング形状をしています。前者の磁気回路は内磁型といって、ボイスコイルの内側に磁石が配置されています。一方、今回はボイスコイルの外側に磁石が配置されており、これを外磁型といいます。今まで外磁型を採用していなかった理由としては、ドライバーユニットのサイズを変えずにそのまま外磁型にしても、感度がとれなかったためです。しかし今回は構造を大幅に見直しました。マグネット体積を大きくするために、ボイスコイル径をかなり小さくする設計にチャレンジし、またその他様々な要素も組み合わせました。それにより駆動力をおよそ1.7倍にすることができ、小型高感度を実現したのです。
感度が上がる具体的なメリットを教えてください。
桑原 感度が上がるということは、同じ入力電圧でも音量が上がり音質がクリアに聞こえます。特に出力の低いポータブル機器と組み合わせた場合、有利になります。また、我々が音響調整をしやすくなるというメリットもあります。感度が低いとそれを補うような音響調整を余儀なくされますが、これだけ高感度だとその幅が広がります。今回は広帯域化に加え、豊かな中域も実現出来ました。
よく見ると、ドライバーユニットに小さな煙突のようなものがついていますね。これにはどんな意味が?
桑原 これは音響微調整のための機構なのですが、これで一台ずつの音質最適化が可能になります。また、ドライバーユニットの生産段階においての個体ばらつきも最小化しています。
このような音響特性を良くする機構は以前からあったのでしょうか?
桑原 大口径のモデルではありましたが、口径9mmのドライバーユニットを使った小型モデルではこれを盛り込むスペースがなくやっていませんでした。ただ今回は乗り越えるべき壁として挑戦しました。9mmドライバーユニットの少ない面積の中に基板と両立させて配置しないといけないので、ここはかなり苦労した部分ですね。部品を作る上での限界付近にチャレンジしています。
振動板の設計にも苦労があったと想像しますが。
桑原 先ほど小型高感度とハイレゾ対応の両立ということを言いましたが、ハイレゾ対応、すなわち超高音域の再生に関しては、振動板の工夫で実現しています。ボイスコイルが取り付けられている部分の振動板形状が超高音域の再生に大きく影響するのですが、試作を何度も繰り返し、広帯域でしかも音質面でも最適な形状を導き出しました。
井出 ソニーは振動板のシミュレーションを行なう独自の技術を持っています。シミュレーションで周波数特性の良いものが出来たら実際に試作して検証してみることを繰り返します。これにより多くのパターンの中からベストの形状を見つけています。
桑原 また、本機においては小径のボイスコイルが音導管に対して同軸で配置されています。それによって、超高音域が障害物に遮蔽されることなく耳に届くようになっています。なるべく遮るものを無くし、超高域を減衰させないような構造がデザイン形状にも表れており、工夫したポイントの一つです。
そのほか、このモデルの特長、こだわりについても教えてください。
桑原 まずは、ハウジングにアルミニウムを採用していることです。アルミニウムは剛性が高く、プラスチックに比べ肉薄の設計ができ、筐体の小型化につながります。さらに不要な振動を抑える特長がありますので、より色づけのない素直な音を実現できます。また、本機でも筐体内の空気の流れを制御し、低域のリズムを改善する効果を持つ「ビートレスポンスコントロール」を採用しています。アルミ筐体のブッシング根本付近に、その通気孔を設けました。
井出 他には、高価格帯の機種で採用してきた銀コートOFC線、独立グラウンドケーブルを本機でも採用しています。
NCモデルh.ear in NCは、ハイレゾ対応インナーイヤーヘッドホンでなおかつNC(ノイズキャンセリング)機能搭載という、ソニーのヘッドホンシリーズとして初の画期的な製品だと思うのですが、ラインナップにこのモデルを加えられた意図はなんだったのでしょうか。
井出 騒音下においても快適にハイレゾの高音質を聴けるということを目指しました。先に言った通り、私たちはかつてない小型高感度な9mmドライバーユニットの開発に成功しました。それをNCに使わない手はないと思ったのです。例えば飛行機内の騒音の音圧は想像以上に大きいものとなります。その騒音を打ち消すにはドライバーユニットの感度が十分高いことが望ましいのですが、今回開発したドライバーユニットはまさにうってつけでした。また、ソニーではこれまで、デジタルNC用の独自DSPであるインテグレーテッドDNCプロセッサを開発してきましたが、本モデルからはハイレゾ対応することができました。h.ear in NCはこのドライバーユニットとDSPの二つの開発により実現できたのです。
通常のh.ear inとh.ear in NCとでは、同系列のモデルとして音の統一感を取ることはなされたのでしょうか。
井出 音質のみに注力して設計する通常モデルに対して、NCモデルではまず大きな音圧の騒音を打ち消すために、特に低音域の感度を上げることを重視した音作りをして、その後プロセッサの処理によって再生音のバランスを調整します。今回はシリーズとしての音質の統一感も実現しました。
ハイレゾ再生とNCを両立させるにあたって一番苦労された点は?
井出 一番大変だったのはやはりドライバーユニットの開発でした。高いレベルのNCを実現するためには、低音域の量も確保する必要があります。実は通常モデルであるh.ear in用のドライバーユニットとは仕様が微妙に違います。より低音域再生に適すように振動板の厚みを変えることで振動板がより動きやすくなり、目標以上の低音感度を実現できました。一般的に高音と低音の両立は技術的に難しいのですが、度重なる検討の結果、ハイレゾ再生を維持しつつNC用のドライバーユニットを完成させることができました。
本製品ではデュアルノイズセンサーテクノロジーが採用されていますが、これについて教えてください。
井出 本機にはヘッドホンの外側に向いたフィードフォワード(FF)マイクと、音導管内に向けられたフィードバック(FB)マイクの二つのマイクが搭載されています。デュアルノイズセンサーテクノロジーは、この二つのマイクで騒音を集音し、DNCソフトウェアエンジンにより騒音を打ち消す信号を高精度に生成し低減するものです。FFマイクで外側の騒音を集音して低減、FBマイクで外耳道内の音を集音してFFマイクで消し切れなかった騒音を抽出しさらに低減します。これにより、高いキャンセル性能をえることができるのです。
それは過去にも既に採用されていた技術なのでしょうか。
井出 オーバーヘッドのモデルではありましたが、インナーイヤーモデルではこれが初となります。これまで筐体の大きさの都合上、二つのマイクを組み込むことが困難でした。しかし今回、ドライバーユニットが9mmになり筐体内部に余裕ができたことで実現できました。
コントロールボックスやバッテリーボックスも非常にコンパクトですね。
桑原 そうですね。利便性を考えて操作系はケーブル分岐部のコントロールボックスに集中させています。ただ、あまり大型にならないように、メカ設計には気を配りました。そして操作系とバッテリーボックスを分離したことで、バッテリーボックスも小型化することができ、ポケットや鞄に入れ易いサイズになったと思います。
井出 さらに、コンパクトでありながらバッテリーの持ちの良さもポイントです。16時間連続再生可能で、充電も2.5時間で済みます。
バッテリーボックスはかなり下の部分というか、プラグに近い場所にあるんですね。
桑原 この位置も実はかなり試行錯誤しました。もっと上側とか、いろんな位置で試してみたのですが、度重なる議論の末、この位置ならスマートフォンといっしょに持つこともでき、邪魔になりにくい。最適な位置は“ここしかない!”という結論になりました。
一連のh.ear inとh.ear in NC登場によって、ハイレゾの裾野が広がることへの期待感はどれほどのものでしょうか。
桑原 それはもう、期待していますね。これまでのハイレゾ対応ヘッドホンの半分程度の価格帯でご提供することができますし、h.ear inには5色のカラーバリエーション※も用意されています。この独特なカラーもファッショナブルな魅力があると思うので、よりカジュアルに、より多くの層の方にハイレゾの音を聴いてもらえるきっかけになればと思います。一度聴いてもらえば、ハイレゾの良さは分かると思います。
井出 近頃は「Xperia™」や「ウォークマン®」が既にハイレゾ対応していて、ハイレゾが聴けるポータブルオーディオも市場に多くあるのですが、中にはそれに気づいていない人もいるかもしれません。そういった人にもハイレゾ音源を聴いていただいて、その差を実感してもらえれば良いですね。またNCモデルの担当者としては、“NCは音がちょっとね”という風評をh.ear in NCで払拭したいという気持ちもあります。
桑原 ハイレゾの裾野を広げるのはソニーの使命でもありますからね。
開発者の二人の話からは、このラインナップがハイレゾの裾野を広げるエントリーモデルとは言え、音質への妥協は一切しないという矜持がひしひしと感じられた。
良い音は、一部の人間の独占物であってはならない。いつか近い将来、誰もがハイレゾという全く新しい音空間を共有できる世界へ。その扉を、h.ear inとh.ear in NCはきっと開けてくれるだろう。
※スマートフォン用リモコン付モデル『MDR-EX750AP』のみ