一般的に電池は、18世紀後半に発明されたといわれていますが、バクダッドにあるパルティア遺跡から奇妙な壷が発見され、これは約2000年前のもので電池と同じしくみをしていると考えられています。「バクダット電池」と呼ばれているこの世界最古の電池は、レプリカ作成により約5ボルトの発電ができると実証されたのですが、2000年もの昔、何に使用されていたか、その目的ははっきりしていません。
電池の原理はイタリアの生物学者ガルバーニによって発見されました。ガルバーニは、鉄の柵にぶら下げたカエルの足に針金をひっかけると、足が痙攣することに気付きました。これが電池の原理(鉄がマイナス極、針金がプラス極、カエルが電解液)の始まりだといわれています。
ガルバーニのカエルの実験をヒントに、イタリアの物理学者ボルタが1800年に発明したのが「ボルタ電池」です。これは、2種類の金属を溶液につけた形状で、銅と亜鉛と食塩水が用いられました。それから約35年後、イギリス人のダニエルがボルタ電池の欠点を改良した「ダニエル電池」を発明しています。
1867年、乾電池の原形となる「ルクランシェ電池」をフランス人のルクランシェが発明。これは亜鉛、二酸化マンガン、塩化アンモニウムを用いたものでしたが、溶液がこぼれるなどの難点がありました。この問題点を解決したのが日本人である屋井先蔵でした。先蔵の数年後にはドイツ人のガスナーも乾電池を発明しています。
充電できるニ次電池は、一次電池に約60年の遅れをとり、1859年にフランス人のプランテにより発明されました。その後、お馴染みのニカド電池がスウェーデン人のユングナーにより発明されたのは1899年です。現在使われているニカド電池は100年もの歴史があるのですね。
さらにその後、ニカド電池よりも高容量で、かつ有害物質のカドミウムを含まないニッケル水素が二次電池の主流となりました。
今日では、量産化されたリチウムイオン電池が、とても身近な二次電池として多くの携帯機器で使われています。
屋井先蔵は、1863年に新潟県長岡に生まれ、6歳のときに父を亡くし、叔父の元に引き取られた後、13歳で東京の時計店で働き始めました。しかし、労働がきつく、1年で長岡に戻ることになったのですが、15歳の春には長岡の時計店で働き始めます。その頃から「永久運動機械」の発明研究を開始したのですが、なかなか成果は得られませんでした。22歳で再度上京した屋井先蔵は、高等工業学校に入学しようとしたのですが、たった5分の遅刻のせいで試験を受けさせてもらえず失敗。それが余程悔しかったため、“連続電気時計”の開発に取り組むようになったのだといわれています。
連続電気時計の開発には見事成功したものの、その時計に使用されていた液体のルクランシェ電池があまりにも使いにくく、今度は電池の改良に熱中。液体状の電解液をガラス容器に封入した液体電池ではなく、“乾いた電池”は作れないものか、と先蔵は考え、まだ見ぬその発明品を「乾電池」と命名。苦労に苦心を重ねた末、明治18年、弱冠21歳という若さで乾電池の開発に成功したのです。同年、浅草の長家に「屋井乾電池合資会社」を設立。しかし、残念なことに、資金の無かった先蔵は、特許出願をすることができず、世界初の乾電池の発明者という名誉を逃す結果となってしまいました。
さらにその後、先蔵にライバルが現れます。自転車屋の見習いから身を立てた松下幸之助がその人。自転車灯火用の砲弾型ランプを開発した幸之助は、乾電池も開発、1923年に発売したのです。乾電池の生みの親である屋井先蔵は、その4年後に生涯を閉じてしまいます。その直後、乾電池の需要は急増し、ご存知のように松下幸之助は大成功をおさめたのです。世界初の乾電池が屋井先蔵によって日本で生まれたことを知る人は少ないのですが、屋井先蔵の発明は日本人の誇りであることは間違いありません。
1969年、アメリカのケネディ宇宙センターから打ち上げられ、月面着陸に成功した「アポロ11号」の電源は電池で、アイソトープ電池やアイソトープ発電器とも呼ばれる原子力電池(物理電池)でした。物理電池の特長は軽量で長寿命であるということ。もちろん現在でも開発がすすめられおり、ますますの軽量化が実現されています。では、「アポロ11号」の飛行士たちが身につけていた腕時計は電池式だったのでしょうか?答えは「NO」でした。ゼンマイを自動で巻く時計だと無重力ではゼンマイを巻くことができずに止まってしまう、さらに電池だと熱の変化に弱いため、手巻のゼンマイ式腕時計だったのだとか。また、スペースシャトルになってからは飛行士の好きな時計を持っていけるようになっているそうです。
人工衛星では、太陽電池により電力を発生させています。では、太陽光が当たらなくなる日陰時はどうしているのでしょうか。それは、日照時に電力を電池に蓄えておいて、日陰時に放電させているのです。このように充電と放電をくり返しているわけですから、「二次電池」ということになります。例えば、地球のまわりを回る人工衛星は、一日に約16回もの日陰時があり、一年に換算すると約6000回もの充電と放電をくり返すことになるのです。
燃料電池は、英国人ウィリアム・ロベルト・グローブ卿が約160年前に発見した技術でした。水素と酸素を使って燃料電池の中に電気を発生させるというものでしたが、これは電気分解の原理を逆に実行したのです。この発見は、ヴェルナー・フォン・ジーメンスによる発電器の開発(1868年)以降、一旦忘れられてしまいます。しかし、それから約100年以上経ってからこの技術(グローブの原理)に着目したのがアメリカ航空宇宙局「NASA」だったのです。アメリカ合衆国が1965年から宇宙空間に打ち上げた宇宙船は、一部の電力を数個の燃料電池でまかないました。この電池には、宇宙空間の無重力状態でも問題なく作動するという長所に加え、反応作用で発生する水を宇宙飛行士の生活水の非常用備蓄分として利用可能という二次効果もあったのです。