音質、使い勝手、機能。それらの要素を高いバランスで併せ持ち、製品として長年高い評価を得ているソニーのヘッドホン。国内外において一般ユーザーからの評判がいいのはもちろん、プロのレコーディング業界でもデファクトスタンダードとして利用されるなど、ソニーのヘッドホンは、常に時代の最先端を走り続けてきた。その背景には、高音質を追い続ける姿勢、細かな使い勝手の改善、そして技術的ブレイクスルーを繰り返してきたことがある。ソニーのヘッドホン開発の歴史の裏には、はたしてどのような取り組みがあったのだろうか?今回は、各関係者への取材を通じて、その一端に迫ってみたい。
ソニーのヘッドホン開発部隊にはちょっと妙なものがある。それは非常にリアルな形をしたピンク色の耳型。シリコン製なので、触った感じもかなり不気味にも感じられるのだが、多種多様な形の耳型がなんと500個以上もあるのだ。
ズラッと並んだ耳型。ソニー社内にはなんとこれが500個以上ストックされている
この耳型はすべて実際の人の耳をかたどったもの。ソニー社内にはこれら耳型を作成する「耳型職人」なる称号が存在している。代々続いてきた匠のワザは、5代目耳型職人である松尾 伴大氏が受け継ぎ、現在も月に1つ程度のペースで耳型を作っている。といっても、松尾氏の本職はソニーのPI&S事業本部1部2課所属のヘッドホンの音響設計のエンジニア。耳型職人は正式な役職というわけではなく、エンジニアの自主的活動となっている。
現在、5代目耳型職人を襲名(?)している松尾 伴大氏
ソニーのヘッドホンを数多く手がけてきた投野 耕治氏も、実は第2代目耳型職人!
でも、そもそもなぜ耳型など作っているのだろうか? 「ヘッドホンの性能を大きく左右するふたつの要素は、音質と装着性の2つです。この2つは密接に関係しており、装着性が変わると音も変化してしまうのです。そこで装着性を向上させるために、多くの人たちの耳型を利用しテストしているのです」(松尾氏)
ある人にはうまく装着できても別の人には不快に感じるかもしれない……。そんなことがないように、多くの人の耳型を使ってテストし、万人に合うように設計しているというわけだ。とくにインナーイヤータイプのヘッドホンの場合、耳の内部でぶつかっている箇所があっても、人間の耳を切って中の状況を見るというわけにはいかない。だが、耳型なら切断して内耳を断面図として確認するといったことも可能になるわけだ。
耳は大きさや「立ち」方などがまさに十人十色。だからこそ、万人に合うヘッドホンをつくるには、たくさんの耳型サンプルを取ることが重要になってくる
耳型の明確なメリットのひとつは、「切断」できること。断面を見ながらフィット感をチェックできるので、インナーイヤータイプのヘッドホンをつくるときには欠かせない
「社内の多くの人たちの耳型をとらせてもらっています。人を見ると、耳の大きさや形、傾きなどがとても気になるんですよ。ちょっと珍しい耳の人がいたら、『耳型をとらせて』とお願いしています。また海外の関係者が出張で日本に来た際などにもよく声をかけています」と松尾氏は語る。
今回、その耳型をどのようにとるのかの実演を見せてもらったので、紹介しよう。
まずは雌型を作成する。被験者に片方の耳(通常は左耳)を上にして机の上で顔を固定。脱脂綿で耳の穴の奥に詰める形で耳栓をする
耳を筒(ガムテープの芯を利用)で覆い、ここに雌型を取るための材料を流し込むのだ
型取り材料を流し入れたら、気泡を抜くために指で攪拌する。硬化は10分程度で完了
型取り材料が硬化したら、筒を外し、雌型を耳から慎重に取り外す
耳から無事取り外すことができた雌型。先端に付いているのは最初に挿入した耳栓だ
ここで耳型サンプルとなった人の名前を彫刻刀で刻印。左右反転するのを想定して彫らなければいけないのでちょっと大変、らしい
ここから、いよいよ実際の耳型を作成。独自のレシピで調合したシリコンをさきほど作成した雌型に流し込む。まずは型の内部に隙間無く流れるように少しずつ…
型の内部にシリコンが行き渡ったら、先ほどの筒にはめこみ、思い切りよくシリコンをそそぐ
十数分で硬化が完了。紙筒を抜くと・・・
耳型、完成! 被験者のピアス穴まで忠実に再現できているのに注目
今回、耳型モデルになってくださったソニー 山内氏(メディア・バッテリー&パーソナルエンターテインメントマーケティング部AV ペリフェラル MK課、写真左)。ヘッドホンのマーケティングを担当しており、前々から噂に聞いていた耳型職人に自分の耳型を取ってもらうことが夢だったという。自分の耳型を持って、松尾氏と記念写真
「初代耳型職人の時代は素材にシリコンではなく、石膏を使っていました。その後、さまざまな素材で検討を重ねた結果、現在はシリコンを使うようになったのですが、私もより良い素材を日々探しています。いずれにせよ、多くのサンプルがあることで、多くの人にフィットするヘッドホンを開発することが可能になるわけです」(松尾氏)
老若男女、だれにでも気持ちよくフィットし、最高の音質を実現できる装着感を目指し、代々耳型を取り続ける耳型職人に、心からのエールを送りたい。