ソニーはバランスド・アーマチュア(以下BA)ドライバーユニットを採用したインナーイヤーヘッドホンを12月に順次発売する。ドライバー1基搭載モデルから4基搭載モデルまで4つの異なる音表現を持つ「リスニングタイプ」のほか、コントロールボックスを無くした「ノイズキャンセリングタイプ」、Bluetoothによる「ワイヤレスタイプ」、すすぎ洗い可能な防水の「スポーツタイプ」と、一挙にラインアップが勢ぞろいするあたりにソニーのこの商品への「本気」がうかがえる。
それらBAヘッドホン各モデルには、もちろんソニーならではのこだわりが大量に詰まっているのだが、そのコアにあるのがなんといっても、BAドライバーユニット自体の設計、開発、製造までもソニー自身で行っているという事実。そんな、まさに「Made in Sony」なBAドライバーユニットについて、開発責任者であるパーソナルエンタテインメント事業部ヘッドホン技術担当部長の投野耕治氏に話を聞いた。
投野氏はソニーでヘッドホン開発一筋、30年間携わってきた。1989年の登場以来、いまだに音楽制作の第1線で活躍し続ける(そして筆者も愛用の)モニターヘッドホン「MDR-CD900ST」の開発者でもあるという、知る人ぞ知る人物である。
ソニーが同社初の密閉インナーイヤー型ヘッドホン「MDR-EX70SL」を世に出したのは1999年のこと。当時世界最小直径である9mmのダイナミックドライバーユニットを採用した画期的なヘッドホンだった。特に斬新だったのは、まだカナル型と呼ばれるタイプがない時代に、耳内に深く挿入するタイプのイヤーピースを採用したことだ。発売当初から時間をかけてじわじわと話題になり、やがて海外でもヒット製品となっていく、まさにカナル型インナーイヤー・ヘッドホンの先駆けであった。MDR-EXシリーズに代表されるソニーのカナル型インナーイヤーヘッドホンはその後、今に至るまでハイエンドからカジュアルタイプまで、数多くのラインナップを輩出してきた。
そんな中、市場でじわじわと存在感を増してきたのが「バランスド・アーマチュア」ドライバーユニット採用のヘッドホンだ。BAはもともとは補聴器に使われていたドライバーユニットであり、ダイナミック型に比べて繊細な音作りが可能なほか、ドライバーユニット自体が小型なことや、高感度なこと、ヘッドホン自体の密閉性が向上できるなどのメリットがある。
そのころ、バランスド・アーマチュア・ドライバーユニットは専業メーカーでなければ作れないというのが常識で、投野氏のもとにもBAドライバーユニットメーカーからの売り込みがあったという。
実際にBAドライバーユニットのヘッドホンを試聴した投野氏はこう語る。
「2004年に初めてBAヘッドホンの音を聴いて、ダイナミック・ドライバーユニットとは明らかに違う面白さを感じました。それと同時に、このドライバーユニットを試してみたい、と思うようになったのです」
そんな中、2008年7月に偶然ともいえる出会いがあった。投野氏とは25年来の付き合いであり、以前いっしょにダイナミック・ドライバーユニットの自動生産設備を立ち上げたこともあった精密加工技術の専門スタッフと約10年ぶりに会って話をしたのだ。
そこで、何かいっしょにできることはないだろうか、という話題になった。千載一遇、投野氏は切り出す。
「世の中にはバランスド・アーマチュアという非常に高感度なドライバーユニットがある。供給しているメーカーはあるけれど、これをソニーの生産技術を使って、全て自社製でやれないだろうか、と提案しました」
そこから、すぐにバランスド・アーマチュア・ドライバーユニットに関しての検討がはじまった。どんな部品を組み合わせるか、素材はどうするか、その構成をどうするか……投野氏に加え、上述の生産技術部門、音響解析部門など、社内の技術力を結集してドライバーユニットの設計が進んでいったのだ。
とはいえ、最初は失敗の連続。
「いろいろ研究していくなか、基本的な構造は分かったのですが、実は、最初はまったく音が出なかったのです」
その基本的構造について、模型を見ながら紹介しよう。まず根幹にあるのがパーマロイという磁性の合金で構成されるアーマチュア(黄色の部品)。このセンター部分にコイル(茶色の部品)を巻き、音響信号を与えることによって、先端がN極になったりS極になったりする。その先端に固定磁石であるブロック(グレーの部品)をはめこむ。そうすることで、アーマチュアが上下に振動する。
一方、アーマチュアにステンレスでできた振動板(青の部品)を連結し、そこが連動して動くようにするのだ。それをケースに入れることで完成で、ここに空けられた穴から音が出てくるというのが基本構造となる。
「ダイナミックドライバーユニットでは磁石が強ければ強いほどいい音が出てきます。ところがバランスド・アーマチュアはそうではありませんでした。当初強い磁石を使った結果、アーマチュアの先端が貼り付いてしまい、音が出なかったのです。アーマチュアのバネ力とマグネットの吸引力。この二つの力をバランスさせることで、硬い金属のアーマチュアがフィルムのように柔らかくなり、小さな力でも敏感に動くようになるのです。バランスドという名称の由来はこの磁気バランスにあったことに、後から気づいたのです」
投野氏はそう当時を振り返る。実際、このアーマチュアと磁石の距離は150ミクロン。そこを±15ミクロンの精度で合わせ込むという、超微細な工作技術が必要となる。試行錯誤を繰り返し、社内の加工技術を駆使した結果、開発をはじめてから1年でようやく満足のいくBAドライバーユニットが完成したのだ。
まずフルレンジのドライバーユニットが完成した後、マルチウェイ化に取り組んでいった。スピーカーにおいてはウーファーとツイーターを組み合わせるマルチウェイは当たり前だが、インナーイヤー・ヘッドホンにおいては、サイズが大きいダイナミックドライバーユニットを使っている限り、それは困難であった。
しかし、非常に小型なバランスド・アーマチュア・ドライバーユニットをもってすれば、それが可能になるのだ。ソニーはさっそく、各帯域それぞれのドライバーユニットの開発を始めた。
まずは低音を出すウーファー。これはソニー独自の技術を盛り込んだユニークなものになっている。具体的にはドライバーユニットのケースに直径60ミクロンという微細な穴が空けてあり、これが音響的なローパスフィルターを形成することになり、結果として低域だけが再生できるようになっているのだ。
さらにその穴の径を50ミクロンにしたものがスーパーウーファー・ドライバーユニットだ。50ミクロン、60ミクロンという微細穴のコントロールは製造技術的にも非常に難しい。それを生産工程において安定して実現するあたりにソニーの技術の粋が投入されている。
一方、振動板の仕様を変えて、機械的な共振周波数を高いところに持ってきたのがツイーター。この板圧を変えると振動がどうなるかを社内のシミュレーション技術を使って研究し、最適化させている。さらに、このドライバーユニットにコンデンサを付加することで、電気共振させ、超高域のレスポンスを広げることを実現している。
このように数年間をかけて、完全にソニーオリジナルなBAドライバーユニットが、ソニーの技術力によってゼロから作り上げられた。そして、今回ついに、これらドライバーユニットを用いて完成したヘッドホンが製品化されたのだ。
そう言う投野氏は、製品の出来に大きな自信を見せる。
もちろん、今回の製品群はソニーにとっての第一弾であり、今後さらなる展開も期待できそうだ。
「ダイナミックにはダイナミックの良さがあるので、今後も続けていきますが、ダイナミックは30年も携わってきたら、だいたいどこをいじればどう音が変わるかは分かってきます。23mmのユニット開発から生まれたオープンエアヘッドホンがウォークマンと一緒にアウトドアの音楽文化を作りました。その後も新規16mmのドライバーユニットを使ったインナーイヤー、新規9mmのドライバーユニットを使った密閉インナーイヤーと、アウトドアオーディオを牽引してきました。
バランスド・アーマチュアのユニットを用いた本シリーズも、ヘッドホンの世界を大きく変えていくものと確信しています。しかし、バランスド・アーマチュアはまだまだ未知の部分も多く、広がる余地はありそうです。まだまだ夢は膨らむので、いろいろと展開していきたいと考えています」
そう、今まさに、インナーイヤー・ヘッドホンの新しい時代がスタートしたといえるだろう。