取材:岩井 喬
ハイレゾ時代のニュースタンダードといえるMDR-1Aをベースとしつつ、よりファイルミュージックの世界を手軽に楽しんでもらうための提案として打ち出されたモデルが、ソニーとしては初となるUSB-DAC内蔵ヘッドホンMDR-1ADACだ。この魅力溢れる新提案モデルの開発を担った塚本哲朗氏(ソニーV&S事業本部 V&S事業部 サウンド1部 MDR設計4課)に設計コンセプトについて伺ってみた。
「これまで我々はPHA-1, PHA-2とポータブルヘッドホンアンプを発売してきました。非常に高い評価をいただき、売れ行きも良いのですが、スマートフォンとヘッドホンアンプとの組み合わせがかさばるという意見もいただいています。昨年からハイレゾ対応プレーヤーも増えている中でもっとコンパクトでカジュアルに、そしてリーズナブルにポータブルアンプを使った音の良さ、音楽体験をもっとリスナーの皆さんに味わってもらいたくて開発しました。」
よりシンプルに楽しめるためにできるだけ簡単に、そしてコンパクトにというテーマで設計を行ったとのことだが、DACだけでなくヘッドホンアンプについてもハウジングに収め、さらに価格も抑えた構成にすること。さらに音質には妥協なくポータブルヘッドホンアンプで味わえる高音質体験を単一筺体で味わってもらえることを念頭に置いたという。
アンプだけでなくデジタルからアナログ変換するDACまでヘッドホンに収める意義はドライバーユニットまでの経路を最短距離で結べるという音質的メリットにあるが、USB入力を備えるMDR-1ADACではもう一歩踏み込んで、スマートフォンやPCとの間で音の劣化を極力抑えた直結接続を行えることに最大の特徴がある。一般的にUSB接続ではUSBインターフェース回路を用いて、USBからの信号を後段にあるDACのデジタル入力へ、対応した信号へ変換する必要がある。この一連の機能を統合したものがいわゆるUSB-DACであり、本機のように192kHz/24bit・PCM192kHZ/24bit&DSD:5.6MHz(※1)再生を行えるハイレゾ対応のDACとヘッドホンが一体化したプロダクトは市場の中でも珍しい存在だ。
だからこそ、USB-DAC部に必要なチップやアンプ用のデバイス選択が重要なポイントとなる。例えばPHA-1、PHA-2ではポータブルアンプとして筺体にも余裕があり、高級なDACチップや大容量充電池、高級デバイスをふんだんに使うことができるがMDR-1ADACではそれもかなわない。その結果たどり着いた答えがハイレゾ対応ウォークマンNW-ZX1やF880シリーズで実績のあるソニーオリジナルのフルデジタルアンプS-Master HX(※2)である。
「S-Master HXはNW-ZX1などで実績あるシステムですが、きちんとした性能を引き出すには非常に難易度が高い回路でもあります。デジタル信号ノイズの影響を極力抑え、基板のレイアウトやパターン設計を完璧に仕上げないとノイズフロアのレベルが下がらないなど、技術的なハードルは高いけれど、それを乗り越えないとこのモデルはあり得ないと当初から思っていました。
S-Master HXシステム採用に当たり、ウォークマンの開発チームとも十分に連携を取って設計を進めていきましたが、S-Master HXの魅力は繊細な解像感、空気感、クリアな音場再生にメリットがあるので、そうした点を最大限引き出せるようにしています。高音質部品である大型コンデンサー「OS-CON」(※3)もNW-ZX1では4個使っていたものを7個に増やし、電源を強化してよりダイレクトに、そしてパワフルにサウンドを伝えようと努力しました。」と塚本氏は振り返る。
(※3)「OS-CON」は三洋電気の登録商標です
DSD再生においては192kHz/24bit変換を行うそうであるが、そのアルゴリズム開発においても苦心したという。
「昨年発売されたハイレゾ対応ウォークマンでもDSD→PCM変換を行っていますが、Android搭載モデルはスマホ並みの処理能力を持っていまして、そのふんだんな演算能力で処理するからこそDSD変換が実現したという背景があります。しかし今回はとてもそんなパワーを持たせる余裕はありませんし、当初は難しいと思っていました。しかしソフトウェアチームが頑張ってくれたおかげで専用の変換アルゴリズムを一から作りなおして、完全にこのモデル用にチューニングして、より少ない演算能力で満足の得られる特性が出るようになったのです。」と塚本氏。ネイティブ再生ではなくとも、DSDの持つ空間の緻密さや自然な広がり感がPCM変換された後でもきちんと反映されており、"DSDらしさ"をしっかりと味わうことができる。
PCと直結できるメリットに加え、iOSデバイスやXperia、ウォークマンとのデジタル接続も可能だが、色々な接続形態を考慮して仕様を吟味した付属ケーブルが5種類付属するので、買ってすぐにユーザー自身の使用形態に合わせて高音質を楽しめる使い勝手の良さも本機の魅力となっている。そしてPCとのUSB接続やウォークマン、Xperiaとのデジタル接続時は本機に内蔵している高精度なクロック(44.1kHz系と48kHz系の2基搭載)による非同期通信に対応。ジッターの少ない高S/Nで澄んだサウンドも楽しむことができる。
なおドライバーユニットやイヤーパッドについてはMDR-1Aと同じエルゴノミック立体縫製イヤーパッドを用いており、アナログ接続ではMDR-1Aとほぼ同様の音質で楽しむことが可能だ(別売ケーブルには非対応)。
外観としては一見MDR-1Aと同じように見えるが、そうしたサイズ感に落とし込むことも非常に困難であったと桑尾氏は語る。
「本体重量に応じてヘッドバンドの形状を変えて装着感や側圧も最適化しています。ハウジングやハンガーの設計に関しても全く別物なので技術要求に応じて再調整しました。DACやアンプの内部基板、バッテリー容積とのせめぎ合いでしたね。実は最初設計から渡されたものはアンプなどの構成物がハウジングに収まりきれず、外まで出てしまっていたんです。MDR-1シリーズとして、基本的なフォルムは崩したくありませんし、そこは何とかしてほしいと強くリクエストして、エンジニア陣に頑張ってもらい、ハウジング内に詰め込んでもらいました。」
DAC内蔵モデルであっても基本的なトーンバランスはMDR-1Aと揃えてチューニングされており、音色傾向に違いはない。むしろハイレゾ再生での高分解能な音像描写や空間再生能力はDACが最短で結ばれているからこその鮮やかな純度感が得られており、ファイル再生を主体としたリスナーにとってはこれほどシンプルで理想的な再生アイテムはないだろう。また充電池を内蔵したことでウォークマンやスマートフォンとの連携も果たし、場所を選ばぬ最高のハイレゾ体験できるツールとして、PCオーディオ入門者にも最適だ。このMDR-1ADACの登場によってMDR-1シリーズは"王道"の所以たる『サウンド・装着性・デザイン』の基本3要素だけでなく『ライフスタイル』という新たな機軸をも手に入れた。音質も利便性も譲れないというリスナーにはぜひ体感してほしいヘッドホンである。