――さて、“空気感”のための要素である「広ダイナミックレンジ」はどのようにして実現されたのでしょう。
潮見:密閉型のハウジングの場合、ドライバーから出る音と周囲から入ってくる音がハウジング内で共鳴音を生み出してしまいます。貝殻を耳に当てると「波の音がする」と言いますよね?あの「コー」という音は、周囲の音が貝殻の中で共鳴して生まれています。密閉型のハウジングの中でも同じことが発生していて、この共鳴が排除されたものを「レゾナンスフリーハウジング」と呼んでいます。 せっかく微小な音を再現できるハイレゾが世の中に出てきたのに、そこへ共鳴音が乗ってしまっては、微小な音が埋もれてしまいます。共鳴を排除することで、ものすごく小さな音をクリアに聴けるようになります。そのためにハウジングの開発にも大変な労力を注いでいますが、重要な要素のひとつに通気のコントロールがあります。Z1Rは、ハウジングの面全体で微小な通気を持たせています。これにより、共鳴を最小限に抑えることができました。
尾崎:それを可能にしたのが、立体的に作られた高通気抵抗の音響レジスターです。通気量を厳しくコントロールでき、形状の自由度と安定性も兼ね備えた素材を探し続け、最終的に選んだものはカナダ産の針葉樹を原料とするパルプでした。これにより、ハウジング全体を音響エリアとしてシームレスに覆うことができ、なめらかな曲面でつないだ形状とすることで、機械的な定在波が立ちにくく、共振しにくい性質を持たせることに成功しています。この形状に行きつくには、デザイナーからの提案がありました。
矢代:私は3年ほど前にプロジェクトに参加しましたが、独創性よりも「音のために一番いい形を探す」というデザインを、エンジニアとずっと一緒にやってきました。デザインにおいて私は「本質を表現する」ということを一番大事にしています。素材も、形状も、加工方法も、全部が音に影響するということを今までの経験から学んだので、そこを今回も突き詰めています。 まずは、このパルプをベースに音響レジスターの形状を考えました。共鳴を減らすために必然的な、物理法則に基づいたデザインを探求したのです。 形状のヒントになったのは、風を受けた時にフワーッときれいに膨らむ布でした。風の圧力を受けて布がつくりだす曲面というのは、一番自然な形です。これが、ドライバーが発する音の圧力を自然に受け止める形なのではないかと思い、直感的に試作してみたのです。すると、設計チームが解析を進めていく中で、この形状がいいと分かりました。発想の原点は設計からもらい、そこにデザインを加えることで、一番いい形を見つけ出す。そんなキャッチボールをしながら開発は進んでいきました。
――この音響レジスターの形状が、ハウジング全体の形に大きく関係してくるわけですね。
潮見:最初はフラットな外観を検討していたのですが、フラットだと天板が太鼓のような働きをしてしまい、悪影響がありました。新しい形状を検討していた時に、ちょうどデザイナーからこの提案があり、形状や素材が実際のカタチになっていきました。また音響レジスターだけでは製品として成立しないので、この上に同じ形状のハウジングプロテクターを被せます。
矢代:私がやったのは、通気させながら、外装として成り立たせるにはどうしたらいいかということです。本当に繊維を編んで外装をつくるとか、例えばクモの糸を素材にした繊維を使ったらどうかとか、尾崎といろいろ検証しました。そして、プロテクトするための強度は不可欠なこともあり、行き着いたのは“繊細に編み込まれたステンレスの繊維”でした。
尾崎:この素材は、軽量化のために細いステンレスワイヤーを使い、高密度に編み込みんでいます。一本一本がしなやかでバネのような弾力性を持つため、たわむことで衝撃を逃がすという狙いです。その反面、曲げても戻るということは、プレス成形で形状がきっちりと出にくいということです。特に、このような曲率がゆるやかに変化していく複雑な3次元形状は、非常に難易度が高いものになります。モノづくりのシミュレーション技術が発達した今でも、こればかりは金型職人の経験と勘がものを言いました。
矢代:網の目も大きなポイントで、はじめは均一な織り方をしていましたが、うまく曲面がつくれない。尾崎がさまざまなサンプルを集めた中に「綾織」という方法があり、「上、上、下、上、上、下」という感じで「2・1・2・1」の関係で編んでいくと、すごく美しい編み方ができるのです。しなやかさを持たせるためにワイヤーを細くしていますが、この綾織なら強度を持たせるために密度を高めて編むことができ、形状が安定しました。